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とても孤独な障害

   私には、広汎性発達障害(別名ASD)という障害があります。

   私は昔から、他人に関心を寄せることが難しかったと思います。他人を考えず、自分主軸で物事を考えていたのかと思います。
子供の頃、調子に乗って積極奇異を発動してしまった事があります。
   私の積極奇異は、周りの人達の状況や気持を考えずに徐々にエスカレートしていきました。それで、空気が読めず人に不快感を与えてしまう事が多かったです。人の事を考えずに、本当に感じた事をそのまま言動に移してしまいました。それで、周りを困惑させたり怒りを買うことが多かったです。
    私は、どうしても他人よりも自分優先になってしまうのです。自分が楽しければ、それで良い。周りも楽しんでいる筈なのだと、思い込んでいました。他人の事を考えられず、いつも、『私を見て…』『私に構って…』
になってしまうのです。
    しかし、周りはそんな私に対して依然として困惑する事が多かったと思います。そんな事があってか、私は歳を重ねる毎に対人恐怖を併発し、徐々に積極奇異型から孤立型、受動型に移行していきました。
    また、いじめられている友人の苦しみにはどう頑張っても感情を寄せる事が難しく感じました。私は、自分が体験した事でしか想像力を働かせ共感するのが難しいのです。しかし、いじめは、人の心を傷つけ絶対にしてはいけない事だとは理解していました。
    私は、受動傾向でもあり、意思表示出来ずに友達にズルズル振り回された事があります。そして、警察沙汰にもなった事があります。転校した学校でも、NOが言えずにストレス抱えて周りに従ってきました。
クラスでは、やたらはみ出しものてあり、『キモイ』『不気味』『ブサイク』『怖い』『静か』等とその他勉強の不出来をバカにされ、ピエロの扱いを受けました。
   そんなある日、私は家庭の事情で転校する事になりました。私は、壇上で挨拶する時は嫌な奴らから別れるのが楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。クラスの学級委員長が私に対して挨拶する時が来ました。私は彼女と向き合い花束を受け取りました。彼女の顔を見た時、私はハッとしました。彼女は顔を赤らめ涙ぐんでいました。私は、自分の事ばかり考え、私の事を思ってくれる人達の事をないがしろにしていたのです。実際に、何人かは私と別れるのをとても寂しそうにしていました。しかし、私はそれに心を寄せる事が出来なかったと思います。
    転校した後も、友達と文通を何通かやり取りしました。そこで、近況報告をしました。私は、友達の最近起きた出来事には、あんまり関心を寄せる事が出来ませんでした。その癖、自分が興味関心がある事は一方的に書き綴り、一人で勝手に盛り上がっていました。自分が面白いと感じた事は、他人も絶対に面白いと感じる筈だと思っていた節があります。しかし、友達からの返信は淡白なものであり、感想も虚しいものでした。私は、読み手の事を考えて書く事が全く出来ませんでした。私は他人の事には関心を寄せる事が難しく、いつも自分主軸で物事を考えてしまう傾向が強かったです。
   世間話も、苦痛で何が面白いのかがよか分かりません。他人に関心がないのですから…
    高校に入ったら、対人恐怖も強くありずっと孤立していました。私はずっと図書室に籠り本を読んでいました。時折、『気持ち悪い』や『怖い』等と言われたり嫌がられた事もありました。体育のグループ訳は常に余り辛かった思い出があります。
   やがて、私は大学あがりました。そして、自分を変えようと無理に明るく振る舞い登校拒否になりました。上辺だけの仲間はいましたが、本当の友達はいませんでした。バイトは中々決まらず、決まってはクビを繰り返してきました。怒鳴らる事が多かったです。
  大学を出ると、仕事が中々決まらず決まってはクビを繰り返してきました。私は、嫌われたり変な目で見られてきました。こうして私は仕事や人間関係でつまづき職を転々としていきました。どうしても、ズレや遅れが生じてしまいはぐれ者になってしまうのです。また、adhdの特性からやらかす事も多かったです。しかし、周りに寄り添えず表情や反応が淡白で益々反感を食らいました。
   私は、誰とも関わらない方が一番居心地が良かったのです。誰かと関わる事でストレスを強く感じてしまいました。
   
   実は、私は大学の頃から小説を書いていました。そこでも、自分が面白いと感じた事は他の皆も面白いのだと感じていました。
  しかし、現実は厳しいものがありました。私の書いた小説は、誰にも注目されず認められる事はありませんでした。イラストや漫画、漫画原作も同様にそうなのです。私は、他の多くの人気作を読み研究しました。そこには、複雑な人間描写が多くあり人の心を表現するのが上手い作品ばかりでした。しかし、私は、それがとても難しく感じてしまうのです。
     私は大衆に受け入れられる作品を作ることが難しく、いつも独りよがりで少数派な作品になってしまうのです。第一に、複雑な人間関係や心理描写がおかしくなり、他の作品と比べてかなりズレてしまうのです。共感力や想像力が乏しいのです。見た人がどう感じるのかが難しいのです。だって、自閉な上に、長い間、心を閉ざし孤独に生きていったのですから…

   誰かと一緒に何かをするのが辛く、また、誰かと楽しみや感動を共有するのが難しくいつも自分優先になってしまうのです。卒業式や結婚式、送別会も同様にそうです。周りが涙ぐんでいる時は、白けたりその場から逃げ出してしまうことがありました。共感しているフリも辛いものがあります。
   そんな私でも、人一倍に寂しさや承認欲求があります。しかし、どう頑張っても中々周りとは噛み合うことはできません。ズレが生じてしまい、孤立や嫌われてしまうのです。

    現在でも、他人とのやり取りで失敗したりうまくいかない事が多くあります。
    私は、中途半端な寂しさを抱えながら障害特性と付き合って生きています。

#障害 #発達障害 #ASD #孤独 #人間関係


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