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Twitterの発達界隈に属してみての感想

 本日、とうとうTwitter上の発達界隈を離れる事を決めました。
 理由はやる意味が分からなくなってきたからです。

 垢を作った理由は、noteの宣伝の為です。
色んな人達に自分の文章を読んで欲しかったからです。

 はじめは、宣伝メインにツイートしそしてメンタル系や日常についてのツイートをするようになりました。

そして、自分のアイディンティティを作るべく、発達障害のツイートをするようになりました。

 障害に関するツイートは、初めは客観的な中立的な文章を書いていたように思います。

 しかし、前垢の病んでいた頃のツイートを思い出しそれに類似したツイートをすれば共感してもらえるのでは…?と、思うようになってしまいました。

 こうしてらひねくれた感じのツイートすると、バズる。そして、調子乗って又ひねくれた感じのツイートをする。そして、またバズる。こうしていくうちに、フォロワーも増える。私は、調子に乗って、ひねくれたツイートをするようになってきました。

 しかし、段々と、私、こんな所で何してるんだろ……?と、言う気持ちに駆られました。

 何の救いようも解決策もないような絶望的なツイート…

 ハイスペ側の発達障害インフルエンサーに対する批判的なツイート…彼らにだって、良い面は、ある筈なのに…何で、彼らをこれ程までに意識し対抗心を燃やしてるんだろう…?彼らが、直接何かをしたわけではないし、意識や対抗せずとも何も変わらないし、困らない…

 確かに、ひねくれた暗いツイートをする度にバズるしフォロワーは増えますが、私は、引っ張られ自己嫌悪になってきて自分の垢は何の意味があるのか分からなくなってしまいました。

 Twitter上の発達界隈の中にはネガティブではない方もいますが、そういう方々はリアルが充実している方ばかりで少数です。私も、どちらかと言うと彼らに近く、ごく普通の環境だし相談相手や仲の良い人も居る。職場環境も良い。何の病み要素はありません。

 しかし、Twitterの一般的な発達障害者はネガティブな人達が圧倒的に多いように感じました。
 家庭環境や、遺伝、障害による絶望など…
何も希望が持てない…ひたすら苦しみを吐き出す…

 別にネガティブなのは悪いとは言いません。
障害にはネガティブがつきものでしょう。
苦しみを抱えた孤独な者同士、共感しあい傷を癒やすのは、良い面もあります。

 フォロワーや他のユーザーと繋がり、共感し合える…

 ですが、私は彼らとの温度差を感じるようになりついていけなくなりました。

 しかも、あんまり充実したような内容は、好まれず書きづらく感じてしまうようになりました。

 本来、自分はそこまでネガティブではないのにネガティブなふりをするのが苦しくなってきました。

 私は、発達障害をアイディンティティにし、そればかりネガティブな方向性で考えていくと引っ張られ自己嫌悪になっていきました。

 また、見たくない嫌な話を目の当たりにし、『うっ…』と、思ってしまいました。
また、劣等感や嫉妬も感じてしまいました。

 その他、リプや引用、DMなどでの反対意見を見るたびに『何で自分の所で呟かないんだろう?』と、思いました。
 この人達は、障害特性の悪い部分が出てしまっているのでは…?とも思いました。

 発達界隈・障害者界隈にいても状況が違えば、相性が良いとは限りません。

  私は、界隈を辞めてからはメンタルが安定し、自由な時間も増えました。

 私は今まで、Twitter上で繋がってくれたフォロワーや共感してくれた他のユーザーには、感謝しています。

 ですが、これからは発達界隈・障害者界隈にこだわらずに自分と合った人と付き合って、色んな人に向けて発信していこうと思っています。

 

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