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エドワード・ヤンの回顧展「一一重構:楊徳昌」が台美館で開催中

 台湾ニューシネマを代表する映画監督、エドワード・ヤン(楊徳昌、1947-2007)の回顧展「一一重構:楊徳昌」(A ONE & TWO:EDWARD YANG RETROSPECTIVE)が、台北市立美術館(臺北市中山區中山北路三段)1A&1B展示室で開催されている。ここでは本展の一部をレポートしてみたい。

0. はじめに

 2019年、エドワード・ヤンの妻・彭鎧立氏が創作ノートや企画書、脚本、日記、随筆、手紙、手稿、写真、蔵書、美術道具、そして貴重な映像フィルムなど1万件に及ぶ映画資料の保管を台湾政府機関・国家影視中心(TFAI)に委嘱した。
 国家影視中心は資料のデジタル化に着手し、台北市立美術館と協力して資料整理を始め、三年の準備期間を経てこの大型回顧展を実現させた。展覧期間は2023年7月22日から10月22日まで。回顧展に併せてヤン関連の映画祭も開催中。

1.一一重構:楊徳昌


 先ず本展覧会のタイトル『一一重構:楊徳昌』を読み解いてみよう。「一一」(Yi Yi)とはエドワード・ヤンの遺作『一一』(邦題:ヤンヤン 夏の想い出、2000)から採られている。映画『一一』では、人間の生命と家族の在り方がフォーカスされる。ヤンは家族を構成している異なる世代、「一人一人」を軽やかなジャズのリズムに乗せて描くというイメージをこの言葉に抱いていた。そうしてみると、「一一」は一人一人と読めるのだ。ひとまず、『一一重構:楊徳昌』を「エドワード・ヤンを一つ一つ再構築(再解釈)する」とでも解釈しておけばよいだろう。

 『一一重構:楊徳昌』には鬼才エドワード・ヤンを再解釈するに十分な新資料が、子供時代、少年、都市、ポリフォニー、喜劇、生命、夢、年表といった8つのテーマにそって大胆に展示されている。8という数字は、もう一つのキーワードである8と1/4にも通じている。彼には8つの映画と未完のアニメーション『追風』がある。

2.空白の歴史――牯嶺街少年殺人事件


 「略有志気的少年」(いささか志がある少年)のセクションに入ると、中央にぽつんと置かれた机と椅子にスポットライトが当てられ、両サイドのスクリーンには『牯嶺街少年殺人事件』(1991)の二つのシーンが映し出されている。
 映画『牯嶺街』は1961年、台北市牯嶺街で実際に起きた名門・建国中学の少年殺人事件に取材したもの。時は戒厳令下の白色テロ(赤狩り)が横行していた時代。主人公の少年・小四は、大陸から台湾へ渡ってきた外省人家庭出身で、軍人村に暮らす。小四は中学受験に失敗し不良グループに入り、リーダーの恋人小明に思いを寄せるようになっていく。下級公務員の父は秘密警察に監禁尋問を受け、釈放後は障害が残り廃人のようになってしまった。
 展示では父の尋問のシーンが映し出された後、小四と小明の牯嶺街での会話に切り替わる(下の写真参照)。「君の世界を変えられるのは僕だけだ」と迫る小四に対して、小明は「分かる?あなたにこの世界を変えることなんてできないの!」と反発する。この言葉に含まれた真実を拒絶するように、小四は衝動的に小明をナイフで突き刺してしまう。

小四の父が尋問された取調室のセットを中央に『牯嶺街少年殺人事件』が放映されている
(台北市立美術館『一一重構:楊徳昌』で撮影)

 ヤンは『牯嶺街少年殺人事件』を製作するに至った動機を、次のように語っている。

「1949年に大部分の外省人が台湾へ渡ってきて、私が『恐怖份子』を撮った1980年頃まで、その間の歴史はずっと空白のままだった。私が牯嶺街を撮ろうと思った動機も、あの時代の情緒と関係している。この空白を補う必要があると思っていた。そして、この事件は私の記憶に刻まれていて、私たちの世代を起点とする物語を語るとすれば、この事件こそは重要な切り口になると感じていた」

(展覧会のインタビュー資料から抜粋してまとめた)

 1949年に中国大陸から国民政府に従って台湾へ渡ってきた「外省人」と呼ばれる中国人のエスニック・グループ。1960年代になると「反攻大陸」(大陸に反撃)し祖国に帰るという使命が次第に現実味を失っていく一方で、依然戒厳令が敷かれ、隣人におびえる戦々恐々とした生活が続いていた。台北に生きる外省人たちはアイデンティティ・クライシスに直面し、戒厳令が解除されるまで自由のない生活が続く。その時代をヤンは空白の歴史と呼んだ。出口の見えない抑圧の時代を映画化することで空白を埋めよう試みているのだ。「略有志気的少年」で放映されている二つのシークエンスは、戒厳令下の外省人たちの歴史を浮かび上がらせ、失われた歴史をオーバーライトしている。二二八事件での外省人と本省人の激しい衝突を描いた侯孝賢の『悲情城市』(1989)と響き合うフィルムだ。

3.都市の冒険者

 セクション3のテーマ「城市」(城市探索者)は、エドワード・ヤンの映画に最もふさわしいキーワードの一つだろう。ヤンのデビュー作となった「指望」(『光陰的故事』、1982)、『青梅竹馬』(1985、邦題:台北ストーリー)、『恐怖份子』(1986)、『牯嶺街少年殺人事件』(1991)、『獨立時代』(1994、邦題:エドワード・ヤンの恋愛時代)など、ヤンは「台北」という城市の人間模様、グループ、男女の愛情やすれ違いを描くことに拘りつづけた。
 台北という都市は東アジアの臍帯として東南アジアの華人社会と中国大陸、そして極東の日本をその多元社会の寛容さで緩やかに結びつけている。しかしその都市の外貌と内面には極端な二面性があると言われる。アパートメントの内側は時に華人社会の欲望やエゴが吹き溜まり、他者にはうかがい知ることのできない異様な風景が広がっている。
 後ろを振り返った少女淑安の大型写真が、アパートメントの壁を埋め尽くし風に揺れる一幕は映画ファンなら誰もが知る有名なシーンだ。この『恐怖份子』におけるシンボリックなシーンに台湾社会の内面的な欲望が反映されている。本展にもこの部屋の壁が再現され、多数の若い観客が足を止めて見入っていた。

小強のアパートに張られた淑安の写真が再現されている
(台北市立美術館『一一重構:楊徳昌』で撮影)

4.最後に

 これまで未公開だった大量の新資料が一挙に展示されており、一つ一つじっくり鑑賞するためには2時間以上を要する。緻密な創作ノートや脚本、スケッチ、感情豊かにしたためられた手紙、そして時折見せる人懐っこい笑顔。鑑賞し終えた後、不思議とエドワードヤンの半生を俯瞰できたような気がしてきた。理性と感性が混在するエドワード・ヤンという監督像を浮かび上がらせ、作品の再解釈を促す。『一一重構:楊徳昌』はそのような大型回顧展になっている。

(台北市立美術館『一一重構:楊徳昌』で撮影)

台北市立美術館『一一重構:楊徳昌』オフィシャルサイト
https://www.tfam.museum/Exhibition/Exhibition_Special.aspx?ddlLang=zh-tw&id=734


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