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小学校の教師を目指す皆さんへ

小学校の決まりから

 中学校や高等学校の校則見直しの気運が高まり、noteでも「みんなのルールメイキング」というページで見直しの経緯などが紹介されています。それ以外にも、様々な方から校則を真摯に考えた記事がアップされており、関心の高さを感じ取ることができます。

 注目度は低いかもしれませんが小学校にも決まりはあります。その中には児童の発達特性を踏まえながら、上手に、自然に学校生活が送れるように配慮されたものが多くあります。そのような小学校の決まりから、2つ紹介してみたいと思います。

「どうぞ」「ありがとう」

 一つ目は、私が授業を参観していた低学年のクラスの様子から紹介したいと思います。

 そのときは複数の先生と一緒に参観をしていました。その授業では、配布物を配る際に前の子どもは後ろを振り向き「どうぞ」と言って後ろの子どもに紙を渡していました。そして、後ろの子どもは「ありがとう」と言ってもらっていました。

 その様子を見ていた小学校の勤務経験がない先生から
「こういうのは気持ちがこもっていないとダメなんだよな。」
という呟きが聞こえました。それを聞いた私は「あっ、これを儀礼的な指導と見たのか。」と心の中で呟いていました。

 たしかに、配布時の「どうぞ」「ありがとう」は儀礼的に見える面があるかもしれません。しかし、本来の目的はそこではありません。何も言わずに配付をすると、前の子どもが適当に紙を振り回し、振り回された手や紙が不意を突かれた後ろの子どもにぶつかってしまいやすいのです。手や紙が目に当たれば危険ですし、そうでなくとも授業が騒がしくなる原因になります。

 この「どうぞ」「ありがとう」は、子どもを威圧的に指導することなく、スムーズで安全に授業が行われるように配慮された決まりです。もし低学年の担任になったらこの方法を試してみてください。子どもの実態によって差はありますが、もしかすると効果があるかもしれません。

廊下は右側通行?左側通行?

 二つ目は、安全に配慮した廊下の歩き方の決まりについて紹介したいと思います。

 子どもの数が比較的多い小学校では、廊下を歩くときに右側通行といった決まりがあります。学校の校舎には曲がり角や狭い廊下が多く、普通教室から特別教室への移動、休み時間の歩行など、左右を決めておかないと衝突の危険があるからです。

 私は、廊下の歩行は右側が望ましいと思っていました。なぜなら、道路交通法で歩行者は道路の右側を通行するとなっているからです。子どもが社会生活を送る上で学校での指導が生かされ、自然に適応することができます。でも、学校によっては左側通行で指導をしているケースもあるのです。

 実は、昭和24年に道路交通取締法(当時)の改正で、道路の歩行者が右側通行に変更される前まで、歩行者は左側通行だったのです。そして、法律の求める歩行者の右側通行は道路上のみに限られました。そのような経緯から、今でも駅の構内などの様々な場所で左側通行が多く見られます。

 また、心臓の位置の関係から、人は無意識に左側の接触を避ける本能があり左側通行を好むという説もあります。このようなことにより、歩道が整備され電車での移動が多い地域などを中心に、社会生活への適応や人の特性を考慮して廊下は左側通行となっている学校があるのです。

指導は気付かれないような自然な流れで

「子どものトラブルなんて厳しく躾ければ良い」とか「廊下なんて左右どちらでも同じ」と思われる方もいるでしょう。しかし、小学校で必要以上に子どもを叱責すると、萎縮してしまい子どものよさを引き出せなくなります。そこで、気付かれないかもしれませんが、子どもの目線に立った様々な工夫を通して、安全で質の高い教育を実現しようと努力しているのです。

 小学校での工夫された指導は、このような決まりだけではありません。教師の言葉掛けや環境整備などは、子どもに気付かれないような自然な流れで行われていることが多いものです。ですから成長しても心に残っておらず、大人になって小学校生活を振り返ってみたときに、簡単に子どもを指導しているように思えてしまうのです。

観客席からピッチのプレーヤーへ

サッカーのワールドカップから

 さて、2022年はサッカーのワールドカップで盛り上がりました。選手たちの活躍はもちろんのこと、観客席のサポーターの様子も報道されていました。サッカーのファンはサポーターと言って本当に熱心に応援をされています。また、サッカーの歴史や戦術に詳しく、試合に負けるとネット上で選手起用や戦術の代案を示されている方が多く見られます。

 ですが、どんなにサッカーの歴史や戦術に詳しくても、ピッチという名のグラウンドで日本代表選手として活躍できるとは思わないでしょう。また、森保一監督の代わりが務まるとも思っていないでしょう。そこはプロとアマチュアの差を強く感じているところだと思います。

 ところが、小学校の教師の指導は、気付かれないような自然な流れで行われてきたため簡単にできると思われやすいのです。見方を変えれば観客席のサポーターが簡単にピッチ上のプレーヤーになれると思っている感覚です。

認識の変化が指導者としての喜びや成就感に

 私は過去に教員養成系大学で学生の指導をしていたことがあります。下学年向けの講義をしていると教師の仕事は簡単にできると思っている学生が少なからずいました。レポートなどには学校や教師への批判が多数書かれていました。そして、自分が教師となって学校現場を改革すると書いてありました。当時の社会にあった認識も反映されていたのかもしれません。

 ところが、それらの学生は教育実習で鼻を折られることになります。授業をするには子どもに向けた様々な工夫が必要なのですが、指導の初心者にそのような真似はできません。簡単に授業を崩壊させてしまいます。そして大概の学生はノートにこのように書くのです。「自分の力不足を感じた。」

 この「自分の力不足を感じた。」という認識が、正に観客席とプレーヤーの境にあるフェンスを感じる瞬間だと思います。力不足を感じた学生は、あらためて指導内容や指導方法を研究します。すると、一つ二つと指導がうまくいく瞬間が生まれます。子どもの目が輝き出します。「子どものためになる指導ができた!」そこに指導者としての喜びや成就感が生まれるのです。

志のある人は今こそ小学校の教師に

 小学校の教師は、御家庭から大切なお子さんをお預かりして、質の高い教育の機会と安全を保障して無事に帰宅できるよう、微に入り細に入りといった配慮をしています。そして、自分たちの仕事は、社会の礎を築いているという自負を持って働いています。

 最近は、学校という職場はブラックであるという見方がされるようになりました。都市部を中心に教員採用試験の受験者が減少傾向にあるというニュースも見られます。ブラックな職場という見方は否定できない面があり、働き方改革を進める必要があります。

 反面、観客席からピッチのプレーヤーになるための努力は今後も必要であることに変わりはありません。教師は、指導の成果が子どもの成長を通して感じ取れる素晴らしい仕事です。受験者が減少していることは、真に志のある人が教員採用試験に合格しやすくなったとも言えます。今こそ、フェンスを乗り越えプレーヤーになるための努力を積み重ねてきた人が教師になれるチャンスです。ぜひ頑張ってくださいね。

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