紡希(つむぎ)が紡ぐ出会いの宝物 1章 できたての香り

何度書き始めようとしても、1文書くだけで手が止まってしまう。もうこれで何回試して時間を無駄にしただろう。もう諦めるべきなのか・・・。言葉を並べて1冊の本という世界を作り出す。父は図書館司書で、母は中学校の国語の先生。そんな二人の間に私は生まれた。【紡希(つむぎ)】という文系らしい名前をつけてもらい、今こんなふうに紙に向かってため息をついてばかり。二人が見たらなんて言うだろう。文章と向き合うことが多い二人と一緒に生きてきたのに、何も学んでいかなかったように見えてしまいそうだ。だからか、最近の私は少し自分の名前が苦手になり始めているのだ。キラキラネームとは少し違う意味になるが、プレッシャーをかけられているように感じることは一緒だと思う。関係している名前だから、そのことについては全て完璧。人の思い込みってどうしてこんなにめんどうなものなんだろう・・・。  「紡希、ちょっと手伝ってほしいんだけど。」 一人で悩んでいると、隣の席の涼川実(すずかわみのり)が声をかけてきた。彼女は国語が苦手だっていうのがわかりやすいくらい自信なさげに話しかけてくる。いつものことだからもう慣れたが、最初は少し苦手で避けていた。でも、わざとじゃなくて元々彼女が持っているものだったんだと気づけるある出来事があり、お互い距離を縮めることができた。彼女が持ってくる悩み事は、もちろん文章に関係すること。小論文の書き方やメモの取り方、読書感想文の感想の書き方などがほとんどだった。書くことが苦手な私は、たいした答えを出すことはできない。思いつきで答えるしか方法がないのだ。でも、いつかは適当に答えていたことがばれてしまう。私の場合それだけじゃ終われない。友達というものも同時に失うことになる・・・。嘘をつけば自分自身は守れるが、相手を傷つけて手放さないといけない。ほんとのことを言えば彼女との仲は悪くならないが、自分の心が不安定になってしまう・・・。  「図書室で本借りたいんだけど、一人じゃ行きにくいから付き合ってくれない?」 今日は相談じゃなかった。でも、なんでわざわざ付き合わないといけないんだろう。たぶん彼女と私の好きなジャンルは違う。好きなものが同じなら力になることはできるが、違っていたらおすすめの本を紹介することはできない。興味を持ってもらえないものを勧めても相手の心には響かないから意味がないし言葉の無駄遣いだ。私は相手に合わせながらじゃないと言葉を選べない。過去にもいろんなことがあったのだ。気を使いすぎて利用されたり、遠慮しすぎだってグループ内で避けられたりしていた・・・。それらが重なってから自分らしく生きるということがよくわからなくなった。自分を押さえて周りに押されるように合わせていく。これが今は私の安全ルートだと思う。実と話す時だって自分の考えはあまり口にしない。彼女の思うように私を動かせばそれでいい。使われているからって後悔することはない。私は私自身を守っていきたいだけなのだ。  図書館では、何人かの女子がファンタジー小説を読んでいた。私たちはそっと中に入り、棚と棚の間を進んでいく。もちろん私はついてきただけだから後ろを歩いていくだけ。彼女が止まれば私も止まる。彼女が進めば私も同じように進み後を追っていく。周りから見たら完全にストーカーだ。でも、付き合ってほしいって言ったのは実の方だ。何か言われた時は彼女を盾にすればいい・・・。  結局、私は何も借りずに図書室を後にした。実は片手に7冊くらいの本を抱えている。読書好きなのか勉強好きかわからないが、一目見ただけだと優等生と間違えられそうなくらい真面目な人に見える。彼女は真面目だとは思うが、優等生ではない。ボロボロの教科書は見てないと思う。彼女と出会ったのは去年だった。初めて話した時も相談からだった気がする。名前で不満を持っているのはクラスでたぶん自分だけ。でも、一つだけありがたいと思うことがある。それは、担任の先生の言葉だ。言葉といっても口で伝えるものではない。その時の私に向ける表情なのだ。先生には1度相談したことがあった。去年たまたま国語の授業を持ってもらい、今年担任になった。去年の担任の先生とはうまくいかなかった。優等生ばかりを贔屓する少し不思議な先生だったのだ。私はもちろん冷たく言われる組にいた。点数をへんに気にしすぎたり、先生の様子を伺いながら生活したりと、毎日それだけで疲れていた。たぶんそれは私だけじゃなかったと思う。だってあんなに荒れたクラス初めてだったから・・・。いつ思い出しても怖い。もう2度と当たりたくないと思う。  「ねえ、紡希。お父さんが図書館司書って本当なの?」 実が目を輝かせながら聞いてくる。私は話した覚えがない。でも、父はこの学校では有名人だ。知らないうちに知られていてもおかしくない。誰かが噂を流せば、伝言ゲームのようにすぐに周りへと伝わっていく。私は家族のことは絶対に話さない。聞かれれば答えるが自分からは何も。後悔するのは私。最初からそんなのもうわかっている。両親は文章と共にそれぞれの世界を作って今を生きる。私は文章の方からふられてばかりいるし、何も手に入れられていない・・・。小学生の時は、小説家や漫画家、作家などの本に関わる職業に憧れていた。もちろん、父がしている図書館司書だってそこにあった。でも、今は違う。夢を見すぎていたんだと後悔している。どの道も誰もがもがきながら掴むものだと知ったから。父だって簡単に司書になったわけじゃない。母だって職業は違うが、道の厳しさは同じだと思う。ほんとにやりたいことを仕事にする・・・。その難しさを近くで見てから怖くなった。未来を自由に変えるなんて、描き帳(えがきちょう)とは全然違うんだってことをわかりたくなかった。でも、これが現実という世界。見たくないものや得たくないものも見つけ出せてしまう。私は私自身とどう向き合うべきなんだ。何が私を変えてくれるんだろう・・・。  「そうだけど。」  「そうなんだ。図書館に行くことある?」  「あるけど、いつもじゃない。家族だけど、あそこでは司書と読者だから。」  「そっか・・・。」 父は誰かを贔屓するということを嫌っている。だから、いくら私が娘で、彼の図書館によく顔を出しても、読書好きの高校生としか見てくれない。丁寧な言葉で話、優しく微笑む司書の父。小学生高学年くらいまではまだ子供だからと、名前を呼んで話してくれた。今はもうそんなことはないが、寂しくはない。理由をちゃんと話してくれたから。私だって贔屓することは嫌いだ。だから、父の気持ちもストレートに受け止めることができた。母の方は、学校が被ることがないから何も変化はない。私は高校で母は中学校。私が卒業した中学校ではない。だから、後輩ではあるが、誰も私のことを知らない。でも、その方が私も母も気を使わずに会話ができるからいい。もし知っている子がいれば、母はその子のことを少し気にするだろう。それで、休み時間や帰りに私の話をするかもしれない。怖い・・・。ラッキーなことに、そんなことはないが。父も母も、たくさんの人や文章に出会いながら生きている。文章や言葉に溢れた名前を持つ私の未来は、二人のように輝いているだろうか・・・。  「私いつか司書の仕事見てみたいな。」 実の言葉に少し驚いた。文章が苦手な彼女が司書に興味を持っているのが意外すぎだったのだ・・・。  「文章苦手なのに気になるの?」  「うーん、なりたいってわけじゃないんだけど・・・。参考にしようかなって。」  「進路の?」  「うん。まだよくわからないけど、何かには触れておきたいなって。」  「そっか。でも、やっぱそれなら好きなものと向き合ったほうがモチベ上がるんじゃない?」  「そうなのかな・・・。」 彼女にも後悔だけはしてほしくないと思う。なかなか自信を持って前に進めないからこそ、安全ルートを伝えたいと思ってしまう。彼女がそれをどう受け取ってくれるのかはわからない。でも、たった一人の友達だから、やれることは最後まで尽くしたい。そして、一緒にそれぞれの夢を叶えて笑い合いたい。実がいたからだよって思いたい・・・。  「来年はもう受験なんだよね。紡希は楽勝でしょ?」  「そんなことないから。環境変わるのも友達作りを1から始めるのもストレスになるだけだし、目標が見つけられないから受けて合格したとしても意味がないよ。2年間か4年間かわからないけど、どっちだとしても時間の無駄遣いするだけだよ。」  「そうなの?私紡希はそんなことないと思うけど。」  「ありがとう。」 両親を見上げて自分の名前を嫌っている私に何が残るっていうんだろう。今の私は、友達の優しさも捨てて一人になろうとしている。これじゃだめだってわかっているはずなのに、いろんなものが遠くに見えてくる。私、何してるんだろう・・・。  「ごめん。私、ちょっと一人になりたい。」  「いいよ。」 彼女はそう言ってその場を離れた。いろんな気持ちが頭の中でぐちゃぐちゃになって絡み合っている。これを解く(ほどく)には時間がかかりそうだ。実が1歩先を歩いているように感じる。夢は決まっていないと言っていた。でも、選択肢をなんとか見つけようともがいているのが彼女の言葉からわかる。私また一人になるんだ・・・。中学3年の時もそうだったのだ。友達がいても、進路の話をするときはどこか距離があるように感じていた。私はどうしてこの高校を選んでいたのだろう。今はもう思い出せない。でも、きっとそれが私の未来への鍵になってくれる。見つけ出してもう1度あの時の気持ちの強さに触れたい・・・。  気分転換に寄り道した。父のいる図書館だ。今日は会話をしたいわけじゃない。いろんな職業について書かれている本に出会いたかったのだ。そうすれば、何かはきっと今の私と結びつく。小学生の時とは違う新たな夢と出会えるような気がする。  「こんにちは。どんな本をお探しですか?」  「職業についての本てありますか?」  「はい、こちらです。」 親に対して敬語を使うことにももう慣れた。でも、今の私の状態お探られそうで怖いという気持ちも少しある。将来のことで悩んでいるなんて言いにくい。自分で決めて進まないといけないし、父も母もそれを乗り越えてきた。私ができないなんて言っちゃいけない・・・。頼っちゃ意味がないんだ・・・。できるだけ自分の力で・・・。  棚に案内してもらい、何冊かの本を手にとってみる。それぞれの職業についての紹介が書かれている本や専門用語についての本、有名人の記録をまとめた本などが置かれている。紹介の本を1冊抱え、机のあるフロアに向かった。そこには中高生が10人ほどいて、ノートや参考書を広げていた。私は離れた席を選び本を開く。写真と文章が混じっているものだった。写真は有名人ではなく、仕事内容の例だ。どの写真も絵本の絵のように見えてすごく綺麗だった。でも、肝心なヒントは何も見つけられない。初めから簡単に物事が進むなんてありえなかったのだ。  「紡希だよね?」 聞き覚えのある声が近くで聞こえた。お姉ちゃんだ・・・。大学1年になったばかりの姉、陽(ひまり)だった。彼女は最近一人暮らしを始めて、一緒にいる時間が一気に少なくなってしまっていたのだ。姉は音大に通っている。幼い頃からピアノを習っていて、音楽の先生を目指して頑張り中だ。  「どうしてお姉ちゃんがここにいるの?」  「え?だめだったの?」  「そういうわけじゃないけど。」  「紡希が難しい本手にするなんて珍しくない?何かあった?私でよければ聞くよ。」  「お姉ちゃんには頼りたくない。私よりもなんでもできて、進路もすぐに決まって・・・。私の悩みなんてわからないでしょ?」  「まあ、そうかもね。私は運だけでうまく進めちゃったから。これでも正直に言うと、いろいろ後悔してるんだよ。」  「そっか・・・。」  「うん。ねえ、ちょっと私に付き合って。」  「どこ行くつもり?」  「『幸福カフェ』っていうカフェ。久しぶりに紡希とティータイムしたくて。」  「いいけど、これだけ借りてくる。」  「今日の紡希には合ってないよ。それ借りちゃったら荷物だけじゃなくて、気持ちまで重くなっちゃうんじゃない?」  「私の勝手でしょ!」  「じゃあ、好きにすれば?」  「そうするよ!」 一緒にいても離れて再会しても、二人の会話の流れは何も変わっていない。これがいちばん落ち着くのか私にはよくわからない。  幸福カフェは図書館から3分ほど歩いたところにあった。小さなカフェだが、メルヘンチックでおしゃれなカフェだった。メニューは3種類から選ぶようで、セットで分けられていた。一つはシフォンケーキとカモミールティー。二つ目はフルーツタルトとダージリンティーまたはコーヒー。三つ目は甘さ控えめでくるみが入っているフィナンシェ二つとキャラメルラテ。セットは以上だが、テイクアウト用のメニューもあり、そこにはこのカフェ限定の『福餅』というのが載っていた。ハートや花、四葉のクローバーなどの形をしている和菓子らしい。  私たちは一つ目のセットをそれぞれ注文した。姉がカモミールティーをめんどくさいくらい勧めてきたから仕方なくそれにしたのだ。  「紡希は私のこと『なんでもできる』そう言ってくれたよね。でも、私そんなんじゃないんだ。逆に紡希のことがうらやましい。私も紡希みたいに妹で生まれたかった。」  「プレッシャーばかりだし、何もいいことないよ。」  「そんなことないよ。」 そう話していると、注文していたセットが運ばれてきた。カモミールティーの落ち着いた香りとケーキのふんわりとした甘い香りが重なり、不思議な気持ちになる。カモミールティーを少し飲んでみる。癒しの香りと味が心を優しく包み込んでいく。これはたぶん暖かいからじゃない。カモミールティーが持つ癒しという力だと思う。癒される・・・。ケーキの方は、ふわふわで口に入れると、シュワッと溶けていくような優しい甘さのケーキだった。添えてあるホイップクリームがなくても十分なくらい満足できる味だ。  「ねえ、紡希。お父さんとお母さんには話してないし、秘密にしてほしいことなんだけど・・・。私の話ちょっと聞いてくれない?」  「うん・・・。」  「ありがとう。」 姉はそう言って私とまっすぐ向き合った。そして、彼女の心の鍵を開け、私に話してくれた。彼女色の世界を・・・。

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