くー

俯瞰的に自分のこれまでの人生を眺めてみようと思いました。

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俯瞰的に自分のこれまでの人生を眺めてみようと思いました。

最近の記事

私が住んでいるところは田舎で気候も厳しめなので まだ桜は完全には終わってない。 葉桜もちらほらあるけれど、全体的にはまだピンク色で、風が吹けば花びらが一気に舞う。 犬の散歩をする家の裏の公園は桜の木しか植ってなくて、この時期は本当に見事になる。 今朝も犬の散歩をしながら今年は桜が長く楽しめるなぁと思って気持ちよく歩いていたら 父親と子供2人が公園にやってきて、桜の木めがけて走って行った。 競争してるのか。仲良しだな… と思って見ていたら、 子供がベンチの上に立って、

    • 変な日

      今までこんなこと思わなかったのに 今日ふと、この世は有限なんだと感じた。 当たり前に毎日眺めてる家の中の景色や 子供、主人の顔とか声とか… それらが急に、すごく儚いもののように感じた。 映画のスクリーンを通して見ているような感覚で 私は実際見ているんだけど、少し離れてるというか 目じゃなくて頭の斜め後ろから見ている感覚。 見ているというより眺めているという方がしっくりくるかも。 今日、急にそんな感覚になった。 子供の顔も声も、本当に実在してるんだけど実在してないよう

      • 本当の私の魂

        この間友人から教えてもらったセッションをしてもらった時に、今世の初期設定と本来の私の魂が真逆と言われた。

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        • 産まれるまで 2

          小児循環器の先生による胎児エコーは、先生によって見解が全然違った。 そりゃ母親の胎内にいる小さい心臓を外からエコーで診るわけだから、はっきり分かるわけないよなと思う。 大血管転移症 ファロー四徴症 両大血管右室起始症 …色んな可能性を聞いて、その説明を聞いた。その度に家に帰ってその子がたどる治療法や手術や予後などを調べた。 全てに共通していたことは先生は今の医学なら手術さえ乗り換えれば十分に生きていける。 スポーツ系のクラブなど激しい運動や吹奏楽、水泳など肺に負担がかか

          産まれるまで 1

          息子は胎児エコーで、心疾患と分かった。お腹が少し大きくなってきた頃くらいやったと思う。 私は不妊治療で息子を授かった。私の母も中々子供が授からなかったので、おそらく私も不妊だろうなとは思っていた。調べた結果、抗精子抗体というもので、これは体外受精か顕微受精しかないと言われた。できるだけ自然に授かりたかったのであちこちお参り行ったり漢方を長いこと飲んだりしたけれど効果はなく、結局体外受精に踏み切った。 でも幸いなことに、1回目の体外受精ですぐ妊娠した。 妊娠したのは嬉しかっ

          産まれるまで 1

          道の先

          私は全く霊感もない。とりあえず今はない。 小さい頃…小学生のときは少しだけあった感じはあるが、高校過ぎた頃には全く何もなくなっていた。 ただ、つい最近「あれは何やったんやろ」ということがあった。 実家に帰ってた時に耳が痛くなって、耳鼻科に行くことにした。そこは小さい頃に数回連れて行ったもらったことがある程度で、なんとなくの場所は知っていたけどそこに行くまでの道はかなりうろ覚えだった。 夕方頃に自転車で家を出て、親にある程度の道順を教えてもらって耳鼻科に着いた。 とても混

          服が可哀想

          夫は服や小物が好きで、かなりお金をかける。 私も普通に好きだけれど、買ったとて 専業主婦の私は着て行く機会がほぼない。 普段から質の良い物を着ろ と夫は言う。 私も着たいなとは思うけれど、正直洗濯する時の手間を考えると、どうしても無印やユニクロなど 洗濯機でバーっと洗えるものを着てしまう。いい服をもらっても、もったいなくて着れない。 いいアクセサリーをもらっても、もったいなくて身に付けれない。 夫は私によく服を買ってくる。 ユニクロや無印ばかり着ていると、そういうのしか

          服が可哀想

          文鳥

          小さい頃に文鳥を飼っていたけれど、手乗りの放し飼いにしていて、、足元にいるのを気づかずに踏んで死なせてしまった。3、4歳の頃だった。父の手の中でだんだん死んでいくのを見ていた。その時の感情は覚えていない。泣きはしなかったと母には聞いた。 その後小学校の時はインコを飼っていたこともあったけど、高校卒業の頃にまた文鳥を飼うことにした。 普通なら元気そうな雛を選んで決めることが多いのかもしれないけれど、私は隅っこで他の子に踏まれてるような文鳥の雛を選んで買って帰った。 案の定、

          小さい頃、同じ夢を何度か見たことがある。 今でもはっきりそれは覚えている。 それは芝生のような草が広がる丘で、インディアンに追いかけられ、追い詰められる夢 何人ものインディアン達は馬にまたがって 丘の下から一気に駆け上ってきた。私は誰か他の子供と何人かでいてて、必死に逃げるも あっという間に追いつかれた。もうダメかと思った時に、これは夢だと気づいた私は 一緒にいた子供達に 「これは夢やから!今から私、消えるから見てて!」と言う。 その次の瞬間、目を覚まして私がいつも寝てい

          ぬいぐるみ

          小さい頃、幼稚園に入る前くらいの頃、 犬のオルゴールのぬいぐるみがあってとても気に入っていた。 親犬と子犬が向かい合わせで紐で繋がっていて その紐がネジがわりになっていて、親犬と子犬をそれぞれ持って引き離すように引っ張ると、オルゴールが鳴りながらゆっくり親犬と子犬が近づいてきて最後はくっついてオルゴールも止まるというやつだった。 すごく好きで大事にしていたけれど 母にそれを目の前でドブに捨てられた。 理由は全然覚えていない。 母はそのぬいぐるみを持って私を鉄網の蓋の下に

          ぬいぐるみ

          迷子

          私はかなりの頻度で迷子になった。 幼稚園の年長の頃まで出かけるたびくらいに迷子になった。 私自身が覚えているのは数回だけだが、 親や親戚たちと出かける度にと言っていいほど 迷子になった回数はかなりだったらしい。 でも当の本人は、迷子になっても泣いたり親を探そうともせず、自分の見たいところ、行きたいところに平気で歩き続けていたようで、中々誰にも迷子と認識してもらえなかったらしかった。 ホテルの中でも、勝手に従業員専用のドアを開けて階段を降りて行き、地下をうろついていたとこ

          愛情の確認

          私はしょっちゅう自家中毒になった。 小学校に上がって3年生頃にはすっかりなくなったけど、幼稚園に入る前から幼稚園頃は 本当にしょっちゅう自家中毒で、何度も入院した。 なったことある人はわかると思うけど とにかく吐く。ホースのように吐くことも多く 吐く物がなくなっても、胃液も吐いて とにかくひたすら桶を持って寝込んだ。 私の小さい頃は、ポカリのような便利なものもなくて、病院に行くと脱水にならないように番茶をひたすら飲ませるように言われたようで、私はそれが苦痛で仕方なかった。

          愛情の確認

          みんなと同じもの

          両親はなぜ私が幼稚園でいわゆる問題児になってしまうのか、私の子育てにとても悩んでNHK電話子育て相談も受けたりしていたことを大人になってから聞いた。幼稚園の先生に 「お母さん、お家で厳しすぎませんか?」 と言われても、こんなに自由に育ててるのに何が厳しいの?と全く意味が分からなかったとも後々聞かされた。 幼い子供は自分の家庭しか知らないから、これが当たり前だと思って育つ。私もそう思っていた。でも、今思うと私の両親はかなり厳しかったと思う。 「〇〇しなさい」とか直接的に言うの

          みんなと同じもの

          幼稚園

          幼稚園は登校拒否児だった。いじめられてるとかでもなく、単に本当につまらなくて嫌だった。友達がいないわけでもなくて、幼馴染はたくさんいたし、その幼馴染達も同じ幼稚園に通っていたのに、なぜか幼稚園では一緒に遊ばず、 皆んなは遊具で遊んでいても、ずっと一人で石でできた大きなドームのトンネルの上から砂をひたすら落として、最後に残った細かい砂を「さら粉」と呼んでビニール袋に入れて集めていた。 幼稚園ではほとんど一人でいたけど、家に帰ってからはその幼馴染達としょっちゅう遊んでいた。

          得意なことと好きなこと

          私はバレエやピアノ、フルートだけではなく、乗馬や習字も習っていたが、勉強系のそろばんや公文などは全く習わなかった。 習い事でうまくこなせていても、単に得意なだけなこともある。上手だからそれが好きとは限らない。 私はバレエは最終的には好きになっていたけれど、ピアノやフルートのように上手に演奏できるから好きなんだと思われていたかもしれないが、やってる本人は全く好きではなかった。それがうまくできるだけ、得意なだけだった。 得意と好きは違う。 いつかバレエのように好きになったの

          得意なことと好きなこと

          習い事 2

          母がピアノ教師だったので、当然3歳から毎日ピアノの練習が始まった。 あれだけ母自身、大嫌いなピアノの道に親に無理やり進まされて嫌な思いをたくさんしたにも関わらず、母のレッスンはスパルタだった。 もちろん母のところに通ってくる生徒にも容赦はなく、しょっちゅう生徒がすすり泣く声がピアノの部屋から聞こえてきた。しかしその甲斐もあってなのか音大に進む生徒も多かった。 親になってみると、子供に何かを教えるとなると最初は冷静でいられてもどんどん感情が入ってきてイライラしてしまうことが

          習い事 2