見出し画像

変な日

今までこんなこと思わなかったのに
今日ふと、この世は有限なんだと感じた。

当たり前に毎日眺めてる家の中の景色や
子供、主人の顔とか声とか…

それらが急に、すごく儚いもののように感じた。

映画のスクリーンを通して見ているような感覚で
私は実際見ているんだけど、少し離れてるというか
目じゃなくて頭の斜め後ろから見ている感覚。
見ているというより眺めているという方がしっくりくるかも。

今日、急にそんな感覚になった。

子供の顔も声も、本当に実在してるんだけど実在してないような、なんて説明していいか語彙力のなさに笑ってしまうけど、
それを見ている(眺めている)私に私情が入らないというか感情はあるようなないような、すごく不思議な感じで

子供だけかなと思いきや、仕事から帰ってきた主人にもそんな感覚になって

実際会話はしているんだけど、映画のワンシーンを切り取った写真の連続みたいな感じで
他人事…とまではいかないけど、全部を少し離れて見てる(眺めてる)感覚になった。

それから、この全ての光景が有限で大切で尊いものに思って、一緒に今いてくれてる子供や主人が
確かに家族で、性別も年齢もあるんだけれど、それがまるで、そういう役をしてる対等のもの(人という感じでもなかった)みたいな感じがして

主人に
「一緒に生きてくれてありがとう」って思わず言ってしまった。
本当にそんな感じ。
生きるというより、一緒に体験してくれてありがとうっていう方が近いかも。

そしたら主人に
「なに?急になに?」ってめちゃくちゃ気持ち悪がられた。笑

説明も難しかったから
もう一回、「ありがとうね。一緒に生きてくれて」と言ったら今度は
「何?死ぬの?」って言われた。笑笑

息子にも同じように伝えたら
息子は理解してるのかしてないのか分からないけど
ニヤっと笑った。


ほんとに不思議な感覚だった。
ただその感覚が常にずっと続いてるわけではないけれど、すぐにその感覚に自分を持っていけるようになってる。今のところ。

なんていうか、目でしっかり見るというより、ぼんやりステレオグラムを見る時みたいな感じ笑
(ステレオグラムは凝視するらしいけど、私は凝視せずに対象物の奥を眺めてる方が見えやすい)

自分の中に入りきってしまわないというか、実際今までと変わらず話したり見たり動いたりしてる私はいるけれど、なんかもう一人私が増えて、その私は全く私情なく眺めてるだけ…みたいな感じに。

今までは私一人だけしかいなかったのに。

で、今の世界がとても儚くて有限で二度と味わえないなと思った。きっとすごく懐かしくて勿体無い生き方をしたなと後悔しそうな感じがした。

やっぱり死期が近いのかな 笑
ステレオグラムのやりすぎかな 笑
インターステラーを久しぶりに見たからかな 笑


今夜寝て、明日起きても同じように感じるかな。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?