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産まれるまで 1

息子は胎児エコーで、心疾患と分かった。お腹が少し大きくなってきた頃くらいやったと思う。

私は不妊治療で息子を授かった。私の母も中々子供が授からなかったので、おそらく私も不妊だろうなとは思っていた。調べた結果、抗精子抗体というもので、これは体外受精か顕微受精しかないと言われた。できるだけ自然に授かりたかったのであちこちお参り行ったり漢方を長いこと飲んだりしたけれど効果はなく、結局体外受精に踏み切った。
でも幸いなことに、1回目の体外受精ですぐ妊娠した。

妊娠したのは嬉しかったけれど、それよりもなぜか表現のできない不安感があった。「堕りるかも」という恐怖というか、ものすごく危ういというかそういう感覚がずっとあった。お腹の中の赤ちゃんに何らかの不安定さをずっと感じていた。
体外受精で妊娠したので、しばらくは堕りないようにかなりの数の薬を飲まないといけなかった。その薬が終わる頃に少し出血があり、緊急入院になった。出血はほんの少しですぐ止まった退院したけれど、そうこうしてるうちに悪阻になってきた。それとともにお腹の変な張りがたまにあったので、また入院になった。悪阻がとにかくひどくて、一切飲み食いできなくなってほとんど点滴だけで過ごした。
1ヶ月以上入院していた。普通はそこまでの精神的なダメージは受けないのかもしれない。でも私は入院中も異常な不安に襲われ続け、カウンセリングが必要とも言われた。とにかく自分でもなぜなのか分からないし先生の回診でも問題なしで心音もしっかりしているのに、とにかく不安しかなかった。
ずっと寝たきりで悪阻もひどかったので、退院後は体力が落ちて歩けなくなっていた。
退院後の妊婦健診は車椅子だった。

退院後は安定期だしできるだけ普通に生活してください。その方がいいからと先生に言われたのに、引き続き私はなぜかこの子は危ういという不安感しかなく言いようのない「何か」を抱えたままだった。親にも、「あんたの精神的な不安定さは妊婦とは思えない。何がそんなに不安なん」と言われたけれど、自分でも答えられなかった。とにかく妊娠した嬉しさ、お腹の中で育ってくれてる嬉しさは一切なく
「この子はどうなるんやろう」とずっと恐怖を感じていた。お腹の子は大切という思いはしっかりあるんだけれども、全く自分とは違う生物が寄生してるような感覚だった。違和感しかなかった。

ようやく悪阻もおさまってきて自力で少しずつ歩けるようになった頃の検診で息子の心臓病がわかった。

ある日の検診のエコーがすごく長かった。その後に主治医に、とても最新のエコーが入ったのでモニターとして参加してみないかと言われた。おそらくそれは口実で、その時からすでに胎児の心臓がおかしいというのを勘付いていた主治医が、詳しく調べるために私を怖がらせないよう優しい嘘をついたんだと後から分かった。

そして後日、最新のエコーという建前で別フロアに連れていかれ、なぜか産婦人科ではなく小児科の先生がエコーをした。私が体力なくなり精神的にもボロボロの状態からようやく抜け出せたのをずっと見てきていた産婦人科の主治医は、そのエコーを見て
ため息をついてうなだれた。
その主治医の姿を見て、胎児に何かあるんだと気づいた。


結果は心臓病の疑いありとのことで、生まれてすぐ何らかの処置が必要になってくるだろうから、大きい病院に転院して出産をした方がいいとのことになった。

このことだったのかと思った。
私が妊娠が分かってからずっと「何か」を感じていた不安、恐怖はこのことだったのかと、、いわゆる第六感というやつなのかもしれないけれど、ずっと抱えていたお腹の子供への違和感は、このことだったんだと
「やっぱりな」と思った。
でも当然まさか心臓病とは考え及びもしなかったので、ものすごくショックだったし家についてから3日は泣き続けた。主人も泣いた。

親は真っ先に堕ろせと言った。子供で産んでから絶対に苦労するから堕ろせと言った。
でも私は全くそんなことは考えれなかった。でも、心臓病の子がお腹の中にいて、産まれてくるという恐怖はものすごかった。どういう世界が待ち構えているのか未知すぎた。

堕ろすのも嫌だったし産むのも恐怖だった。泣くしかなかった。お腹の子供の死のうかとも思った。でもそんな勇気もなかった。


そして真剣に心臓病の子供に強い病院探しが始まった。幸い、当時叔父が副院長を務めていた大きい病院にかなり小児心臓の名医がいるということがわかり、7ヶ月くらいの時に転院した。

そこからは産科ではなく小児循環器内科の先生による診察が始まった。
見立てはやはり心臓病に間違いはなく、ただどんなタイプの心臓病なのかが、胎児エコーでははっきりと断定できなかった。

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