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遺書③ 20代でがんになった 投薬2

絶望の果てに答えがなくても まだ遠くを目指す
明日がやってくる それを知っているからまたこの手を伸ばす
(シーガル/a flood of circle)

2020年3月30日

抗がん剤の副作用の影響か、身体がだるくて重い時が増えてきた。浮腫みも日々酷くなっていった。
またリュープリンの副作用でホットフラッシュが起こることもあり、急に暑く感じたり動悸や息切れが起こりしんどかった。
3年くらい通い続けていたジムも休会した。筋トレやランニングをできるコンディションではなくなっていた。またウィッグを被って運動をするのは煩わしかった。

ついに仕事中に吐いてしまった。
眩暈がすると感じた直後、吐き気が襲ってきた。トイレに駆け込んだ。その後はさすがに仕事にならず、早退させてもらった。

そんな姿を見て、調子の悪い日は在宅勤務をして良いと上司が提案してくれた。
世の中は新型コロナで大騒ぎになり始め、私の会社でも慌てて在宅勤務や時差出勤を取り入れ始めていた。

人に会わなくて良いのは気が楽だった。
ウィッグを被らなくても良いのも楽だった。弱い力でも常に頭を締め付けられているのは地味に負担だった。

動けない日が増えていったが幸い食欲は落ちなかった。
浮腫みもあり、体重はどんどん増えていった。

2020年4月6日

世間は騒がしくても、私の治療は何も変わらない。
病院は随分前からマスクの着用や手指消毒などを促していたし、スケジュールが変更されたりすることはなかった。
ただ、病院が閉鎖されるほどのクラスターが生じたら話は別だ。そうならないことを祈るのみだった。早く治したいからではなく、振り回されるのは面倒だと思っていた。

抗がん剤の5クール目。ここから薬が変わり、異なる副作用が出るかもしれないと言われた。
特に言われたのが浮腫みだ。既に浮腫んでいたので、これ以上水分を含めるものなのかとこの時は疑っていた。

2020年4月7日

新型コロナの蔓延対策として、緊急事態宣言が発令された。

出社人数に制限がかかったり、在宅勤務が半ば義務化されたり、食堂の席が間引きされたり、新入社員の研修をどうするか等、会社内では対策にてんやわんやだった。
これから一体どうなるんだろうか。出社しないと仕事にならない職業でもある。

2020年4月8日

午前中にジーラスタを打ち、その足で会社へ向かった。
健康診断があったためだ。病院であれだけ検査をしているのに、流れ作業のような会社の健康診断に意味があるのだろうかと心底思いながらも、受けないと後々面倒なことになりそうだったので会場へ向かった。身体の痛みは、ロキソニンを飲んでしまえばそこまで気にならなかった。

問診票に既往歴を書く。当てはまる病気にチェックをつける方式だった。
今まで何度もやっていたのに、ショックを受けた。私はこれからずっと「乳がん」の欄にチェックを付けなければならない。
今でもチェックを入れる度に事実を突きつけられた気持ちになる。健康診断が大嫌いになった。

こうした些細なことにもダメージを受けるほど、心が削られてきていた。抗がん剤の副作用で眉毛とまつ毛も抜けてきたことがより私を憂鬱にさせていた。比喩表現でなく、身体も重かった。
正直、もう休みたいなと考えていた。

部長に言ってみた。

「治療が予想以上に辛く、実は身体が悲鳴を上げています。それに緊急事態宣言で在宅勤務などになればどうせ仕事にもならないですし、
明日からもう休職して良いですか?」

すぐに休職の手続きをしてくれた。
身体が弱っていて新型コロナに罹ったら死ぬ恐れのある人間を働かせることがリスクだと判断したかもしれない。どうせ緊急事態宣言騒ぎが落ち着くまではまともに仕事もできないし、と部長も思っていた。後々聞いたところ実際にそうだったらしい。

騒ぎに乗じて、ついに会社を休職した。
正確には、死傷病欠勤期間に突入した。

2020年4月9日

父が車で今で迎えにきてくれた。
通院以外は実家で過ごすことにした。その方が親も安心だし、私としても上げ膳据え膳は非常にありがたかった。

抗がん剤の影響か、常に身体に倦怠感があった。
基本的には横になって本を読んだり映画やしもふりチューブを見ていた。動ける時だけ母の買い物に付いていったり、ダラダラと過ごしていた。

2020年4月20日

抗がん剤の6クール目。病院に行くのは毎回憂鬱だったが、心を無にして臨んでいた。そうしないとどうにかなってしまいそうだった。

2日後にはジーラスタを打って実家に帰った。

実家から東京にある病院への往路は基本的に電車を使った。この頃は県を跨いだ移動に対するバッシングがすごかった。おかげで特急はガラガラで快適だった。たまには1人で過ごす時間も欲しかったので、ちょうど良かった。

帰りは父が車で家まで迎えに来てくれた。仕事終わりに片道2時間の運転はしんどくないはずがないと思う。当然ありがたかったが、疲労は大丈夫なのかと自分より父のことが心配だった。

2020年4月27日

浮腫がいよいよ酷くなっていた。浮腫を取り除くために利尿剤を貰っていたが、全く効果がなかった。
しゃがむだけでも足が痛いくらい浮腫んでいて、特にお風呂が辛かった。座椅子を買い、できるだけ楽な姿勢でいられるように工夫した。

抗がん剤投与から1週間くらいすると、急にトイレの回数が増えるようになった。身体に含まれた水分を一気に排出していたのだろう。
1時間おきにトイレに行きたくて起きる。そんな辛い夜が2日くらい続いた。
そして一気に体重が1キロ減る。それくらいの水分を身体が余計に含んでいた。

この身体の状態と精神的ストレスで、夜尿症になってしまった。
実家に帰っていたため隠すことができず、母に打ち明けた。
本当に情けなく惨めに感じた。

今でもストレスが強くかかった時、年に一度くらいしてしまうことがある。

2020年5月4日

抗がん剤は7クール目を迎えた。凄まじいペースだと感じていた。もう来月には手術を控えていた。

手術は6月17日に行う予定だった。
ただし病院でクラスターが発生する等の緊急事態が起これば日程は後ろ倒しになる、と言われた。
病院の入り口が一カ所に限定されたり、入り口で体温測定するようになったり、いわゆる新しい日常が定着してきた頃だった。

なにもかもが面倒だと感じていた。

2020年5月18日

やっと抗がん剤が終わる。8クール目だった。
全てスケジュール通りだった。
やっと終わった、なんて達成感はなかった。安心感もなかった。

2020年5月20日

ジーラスタを打った後、また実家に帰った。
お風呂に入る時、鏡に映った自分の姿がふと目に止まった。

とても醜かった。

髪や眉毛はまばらに抜け、動けない生活で5キロ以上太り、さらに浮腫でパンパンな姿。
ミシュランの白いキャラクターみたいだな、と思った。

死にたくなった。こんなの私じゃない。
どうして私がこんな目に遭わないといけないの?

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