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万年筆で書く…運命を変える言葉③

小学校は2つ通った。
中学校は3つ。
親が転勤族だったから。

転校する度に
新しい友達、先生に出会い、
関係を築く。
状況の把握も必要だし、
とにかく気を使う。

勉強は進度が違ったりして苦労したし
その土地ならでは…みたいなことも
もちろんあった。

例えば方言。
大阪に行った時は
いつも怒られてるような気がしたし
仙台に行った時は
年配の先生の方言が、
何を言ってるか分からなかった。

それでもなんとか頑張って、
ようやく慣れて自分らしく居られるようになったところでまた転校…という感じ。

転校する度に
頑張っても頑張っても
そのすべてがゼロになってしまう感覚があった。

高校はさすがに1つだったけれど
大学に進学した時はまた転勤になったので
長期休みに実家に帰っても
そこは私が住んだことのない場所なので
友達もおらず。
思えば成人式も、1人きりだった。

私も妹も
将来は絶対に転勤の無い人と結婚する!と言って、
実際そうなっている。

でも
その経験があったからこそ
今の私があると言える。

初めの小学校では
ピアノの上手な子がいて
私なんて目立たなかったけれど
2つ目の学校では
ピアノを弾ける子がいなくて
伴奏…っていうと駆り出さられた。
大阪に行かなければ
吹奏楽とも出会わなかったし
仙台に行かなければ
吹奏楽で全国大会に出ることも
なかっただろう。
音楽の先生と沢山であったし
音楽を通して
本当に沢山の友達ができた。

この出会いがなかったら
私は音楽を仕事にしていただろうか?

幼いころは
すごく大人しい子だったが、
いつからか
知らない人と話すことが
苦にならない。
人の好き嫌いも
あまりない。

この性格も
転校を重ねたからだと言えるし
「講師」という仕事の助けになっている。

ウォルト・ディズニーの言葉

つらいな…
不幸な出来事だ…とその時思っても
最終的にその出来事が
「つらい・不幸」となるか
「感謝・幸せ」となるかは
自分次第…というのは
身をもって経験しています。

とはいえ…
薬の副作用に身も心も
振り回されている現状。
これもいつか
「この経験があったからこそ」と
思える日が来るのかしら。。。
来て欲しい。

今日の万年筆はLAMYサファリ。
細字のせいか、
ちょっと小さめの字の方が
しっくりくる❤









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