泥の海を渡る㉑

退院して2週間後、とりあえず通学することになった。
出席日数の問題があったからだ。
「せめて1年生の単位だけでも取らせてあげたい。」
「無理なら早退しよう」
学校との面談で決まった。
私は頷くだけだった。
話し合いの場に参加することすらなかったから。

退院後
投薬のせいか
手足の強張りが強くなっていった。
箸を持つことができなかった。
筋力の低下。
自分で起き上がることもできなくなっていた。
靴を履くことも
服を着るのもやっとのように見えた。
トイレ後を覗くと
汚れていることも増えていった。
咀嚼ができていない。
字を書くことも満足にできていない。
歩くことも
走ることも
自転車に乗ることも
泳ぐこともできていた夏。
何もかもが変わっていた。

なんで退院となったのか
私には理解できなかった。
でも
通院の付き添いにも行っていない私には
そんな話をする権利はない。
黙って彼を迎え入れた。

通学が始まった。
私は在宅勤務の期間が終了していたので
送迎はできない。
通学して
1時間後、2時間後に帰宅してくる。
「具合が悪いので迎えに来て下さい」
彼からの電話が来る。
「具合が悪いから迎えに来て欲しい」
クラス担任から
「進学は難しいかもしれない」
話があったと本人から聞いた。
私は何も言い返せなかった。

週1回の通院も主人が付き添った。
私には診断結果を話すことはあっても
「分かりました」としか返せなった。
悲しかった。
話したとしても受け入れてくれないのだから。
あと少し。
言い聞かせた。

お昼用にコンビニで買ったお握りを食べ
投薬をする。
夕方になるとまた
「具合が悪くなる前にお風呂に入りたい」
指にも手にも力が入らないのだろう。
ふけまみれの髪。
せめて母親としてできることを願って
水の要らないシャンプーで髪を洗い
ドライヤーで髪を乾かす。
「一人でご飯を食べたい。」
「具合が悪くなるから」

退院してから家族でテーブルを囲んだ。
突然彼が嘔吐した。
咀嚼できないからだ。
弟が
「もういいから」と席を立つ。
私が必死に慰めながら食事を薦める。
涙も出ていない。
悲しそうな目をしていた。

1人で消化の良い物を食べ
その後、投薬をする。
この頃から幻聴、幻覚が酷くなっていった。
頓服薬を呑んでも
気持ちが落ち着かない。
「そこにいて」
「今、何時?」
「誰かいるの?」
「今、どれくらい寝た?」
「何分経った?」
午後5時半頃からずっと繰り返す。
真っ暗闇の中。
この会話の繰り返し。
食事も摂らず、話を聞く。
寝付くのは午後11時過ぎ。
部屋の片付けもできず
洗濯もできず
何もできない。
手洗いした、だけ。
この日常が毎日、続いた。
誰かに変わって欲しかった。
寝静まった後、
最低限の事をした。

トイレ掃除
お風呂掃除
汚れた衣類の洗濯
髪の洗浄
部屋の片付け
料理の準備、片付け。

一度だけ、母親に変わってもらったことがあった。
帰ってきた時、母から
「私にはもうできないから」
はっきり言われてしまった。
主人も忙しい日が続いていた。
弟の送迎もあった。

良い妻
良い母
良い社会人
良い娘
もう辞めたい。
もうできない。
もう終わりにしたい。
でも
弟をヤングケアラーにしない。
それだけは守りたかった。
深夜。
横になると泥の海が待っている。
前を進むことも
後ろへ下がることもできない
海の中。
叫んだ時、誰か助けてくれただろうか。
また絶望の朝が来る。
でも
弟をヤングケアラーにしない。
私は毎日、必死だった。

12月の初旬。
主人から
「横浜からくる先生にセカンドオピニオンを頼んだから。
この日にこの場所へ連れて行って欲しい。」
私は驚いた。
何も聞いていなかった。
もう私にはそんな相談はしないか。
もう夫婦としても
親としても
もう無理だ。
あと少し。

セカンドオピニオンの先生との面会。
騒がしい喫茶店だったが、丁寧に話を聞いてくれた。
最後に名前を呼んで話してくれた。
「希望を持ちましょう。治るよ。必ず」
彼の顔が少しだけ緩んだ。
「勉強したかった」
「大学へ行きたかった」
震える声で話していた。
「大丈夫だよ。きっと叶うよ。希望を持ちましょう」
先生の言葉に頷く彼の表情が見えた。
彼の思いに涙が出た。

「学校へ行きたい」
「友達と一緒に学校生活を楽しみたい」
「勉強したい」
「大学へ行きたい」
その夢も
私が母親だったから
壊してしまったんだ。
彼に謝る事しかできなかった。

帰り道、マクドナルドを食べようと話をした。
主人も弟もいない家の中。
静かな時間をゆっくりと食べて過ごした。

その日の夜、頓服薬の量も少なく
眠れたようだった。
少しだけ彼の気持ちが救われたのかもしれない。

翌日からまた起きることができなくなっていた。
そのまま学校を休むようになった。
冬休みを迎えた。
冬の寒さが増す中
彼の頓服薬の量も睡眠導入剤の量も
増えていった。

もう私にはどうすることもできなかった。
1人になりたかった。
ごめんなさい。
私が母親でごめんなさい。
何度も
何度も
呟いた。
大きな声で泣いた。

また進級することができない1年生になってしまった。
私のせいだ。
悲しみ
切望
苦しみから
1日も早く解放されたかった。

絶望の中、新年を迎えた。






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