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5月の大学1年生に講義をした気付き①(前置き)

note初投稿のため、前置きが冗長なことをご容赦ください。
(①では、前置きのみになってしまいました。)

今回、大学院の教授の縁で、教育学部1年の学生に講義をし、その中で気付きがあったので、それについて所感を述べたい。(詳細は②へ)
 
大学院にお見えになる現場の先生や、教授の先生方のnote投稿を眺める日々が続き、自分もいつかやってみようかな…(note投稿を)と考えていた折に、「いつかやろうは、馬鹿野郎」という言葉を思い出した。
 
迫りくる文献調査・研究・実践と並行に、家事や生活をやり繰りする毎日に腹立たしく、内心とは反対に、大学附属図書館の窓から吹く爽やかな風に背中を押され、諸先輩方がされるnote投稿をしてみようと、今回筆を執った運びである。

 今回の書き出しについて、紀貫之「土佐日記」を思い出した。
「土佐日記」は「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」から始まる日本最古の日記文学で、知らない人はいないのではないかと思う。
当時、日本社会は圧倒的な男尊女卑で、男は漢字、女はひらがなという常識だったそうで、女性のクセに漢字を使おうとする清少納言なんかは、陰口や非難をされていたらしい。その逆に、男の中でも当時高名だった紀貫之が、あえてひらがなを使ったというのは、相当に先進的だったのではないかと思う。
しかし、並み大抵の男が行えば非難を浴びていたであろうに、紀貫之の知名度ではそれが独特で面白いと評価されることは、何とも言えない。
今で言うと、有名な学者や社長が奇抜な立ち居振る舞いをしても、「すごい人だから。」「天才は違う。」と言われることに似ているのかな、と思った。
そのような評価をされた紀貫之はどんな思いだったのだろうか、

試しにnoteを書いてみたら、思いのほか長くなってしまった。
しかし、思い付くままに文章を書くのは想像よりもストレス発散になった。
本筋の内容については、②で述べることとする。


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