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サン・テグジュペリ 『星の王子さま』

サン=テグジュペリ 『星の王子さま』



僕にとっての作品の要諦:
たいせつなことは目には見えない。飛行士の「僕」と、小さな星からきた王子さまが、不時着をきっかけに出会う。王子さまがこれまで出会った人たちは、王子さまには不可解なものばかり。こども時代を忘れなかった大人である「僕」は、王子さまに共感。

作品は1943年にアメリカで初版。

すでに飛行士として、また『夜間飛行』などの代表作によって有名人になっていたサン=テグジュペリ(1900-1944)による、児童文学作品です。

世界でもっとも有名な児童文学かもしれません。僕もいつか読んだことがありましたが、すっかりお話を忘れてしまっていました。今回読んで、その内容に圧倒されました。かなり歴史を感じる作品だったのですね。

作者のサン=テグジュペリは、第二次大戦中、亡命先のアメリカでこの本を書いたようです。1941−1943年まで亡命していました。

そのころ祖国のフランスはナチス率いるドイツに敗れ、ヴィシー政権が成立していました。フランス内でもナチスの政策が強行され、ユダヤ人の迫害が始まっていました。

サンテグジュペリの親友、レオン=ウェルトに、この本は捧げられたと、冒頭にあります(正確にはこども時代のレオン=ウェルトに)。

レオン=ウェルトは、親友と言ってもサンテグジュペリの22歳上。作家、批評家、学者などさまざまな顔をもつ人物でした。

作品は、独特の間があります。

それから、東洋的な無常感のような、はかなさを憂いつつ尊ぶような美学が感じられる…

美しい世界観です。

しかし、こんな難解な本があるのかというくらい、難しい。

たとえば登場人物や描写が、「作者の真意は何なんだろう」、と思わせる。それでむずかしいと思いつつ、ついつい、意味を考えるのに必死になってしまう。(むずかしがってしまっては、もうそれは立派に「おとなのやること」なのであって、サンテグジュペリはそういう読み方をして欲しかったのかどうか…)

「ヒツジが小さい木をたべるって、ほんとだね?」
「うん、ほんとだ」
「ああ、そうか、うれしいなあ」
 ヒツジが小さい木をたべることが、なんでそうだいじなのか、ぼくにはわかりません。でも、王子さまは、つづけていいました。
「なら、バオバブもたべるんだね?」  
 バオバブは小さい木じゃない、教会堂のように大きな木だ、王子さまがゾウの一部隊をつれていっても、たった一本のバオバブもたべきれない、と、ぼくは王子さまにいいました。
(中略)
「大きなバオバブも、はじめは小さかったんだよ。」
「そのとおりだ。でも、なぜ、小さいバオバブなんかたべさせたいの、ヒツジに?」

5章より

このバオバブは、星にはびこり、ほうっておいたら大変なことになる、という植物として登場します。はびこるまえに、なんとかしないといけない。そこで王子さまはヒツジに期待している、ということなのです。

『星の王子さま』が難解で、読み手に想像力を求めてくるというのは、たとえばこのバオバブが、1940年代に世界の脅威だった全体主義を指している、と読めるという意見も多いのです。

サン=テグジュペリは、こどものための完全なるフィクション、ファンタジーを書こうとはしなかったようです。むしろ、悪くなっていく世界に、文学で抗おうとした? こどもたちに未来を託そうとした?

思った以上に含蓄が深い。この調子で、作中に無数のアレゴリーがあるのです。

驚き。

エンデや、リン・リードバンクスヤンソンなど、たしかにみんな風刺の名手です。でも、『星の王子さま』は、単なる風刺ではない。ありがちなものや、過去に起こった悪しきものの類型ではなく、今現在起こっている切実なできごとを風刺している感じがします。作者が、自分の時間感覚において、現在の異常を伝えようとしている。

うん、歴史を感じます。僕は中学生や高校生に歴史を教えることを主な仕事としていますが、『星の王子さま』をは、歴史の授業にも有効かもしれません。『星の王子さま』を読みながら、ストーリーに世界史の教科書をひもづけていく、というのは面白いかもしれない。

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