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IBティーチャーになるためのあゆみ⑨総括編

ワークショップは結構楽しかったです。このワークショップに参加して思ったことを書きたいと思います。

思ったこと


・英語を勉強しよう
・IBティーチャーにはなれなくても、その要素をとりいれよう
・通用するものもある
・でも通用しないものの方が多い
・僕の武器がほしい

英語を勉強しよう

これはもう、かなり思いました。以前、このワークショップにむけて便利グッズを紹介しましたが、もうこういうツールに頼らずにいろいろできるようになりたいです、本当に。

語学といえば、僕は4技能のうち、学力は2技能だと、わりと頑なに思って生きてきました。ある著名な学者がこのことを指摘していて、なるほどそうだよなと、すんなり合点がいったのです。話すと聞くは、だって実技でしょう?学力といえばRとWです。

それって話せない典型的な日本人の発想かもしれませんが、まあそれでも残りのLとSを学力とみなす風潮、4技能重視の教育施策には正直、疑問がありました。もう一度言いますがだってLとS、それって実技でしょうよ。学力じゃないよ、きっと。いつか語学についてはちゃんと書く機会を設けたいと思っています。

でも、頑固な僕でしたが考え方が少し変わりました。
DeepLやChatGPTの出現で、おそらく、コンピューターは先にRとWをマスターしてしまうのかもしれません。直接会うべき人に会って、face to faceで意思疎通できることの方が、これからは重要なのかもしれません。ええ、いまだにそれが学力だとは思いません。ですが、その重要度はようくわかりました。

このことは、おりしも僕が頼りにしている情報筋の方も、ちょうど指摘していました。 テクノロジーが発達してきた昨今、話す、聞くの重要性がこれまでよりも高まってくると、その方もおっしゃいました。ということは、ブロークンなイングリッシュでもいいから、話すことが大事だし、それをしなければどんどん差が開いてしまうだろう、と。度胸がある方が大事なのですね。

ようくわかりました。
実は、僕は今回のワークショップ参加者中、わりと「おしゃべりなやつ」という感じの人物だったんじゃないかと思っています。当たり外れも気にせずどんどん発言する強気な日本人、しかもIB関係ないし。変なやつだったかもしれません。わりと議論に参加したし、自分の体験もよく語りました。チャットにも長い文章をぶちこんだりして。みんなどう思っていたか知りませんが、「ああ、またMRTが長文投げてる」ってなってたんじゃないかな。

しかし、それはすべて文字を通じたチャットであって、いざ、Zoomなどが設定されるとこっそりフェードアウトするわけです。だってLSは弱いから仕方ないじゃないか!でも情けない!

ということで、これからはLとSをがんばろうと思います。まあそれに限らず、おそらく英語の重要性は、高まる気がしますから、とにかく英語全般がんばりたいと思いました。

IBティーチャーにはなれなくても、

その要素をとりいれよう

IBは徹頭徹尾、国際性を意識してルール作りされています。
日本の「ちょっとガラパゴスな世界史教育」もまあいいところもありますから、何か折衷的によいものを作ってみたいと思うようになりました。
例えば、もしも歴史に関心が強い生徒と出会えたら、IBワークショップのIAやEEの採点の経験を活かして、探究学習など支援したいですね。

それから、これは前から考えているのですが、英語で授業している動画を作ろうかなと思いました。英語の世界史の動画と、日本語の世界史の授業を並行して学習する機会を生徒に作ったらなかなかいいんじゃないかな。

僕はギターや音楽が好きですが、興味のある話題が決まっていれば英語に不慣れでもギターの教則動画などわかりますし、そうすることで英語になれたりもしますよね。特に若い耳を持っている少年少女にはいいのかも。
ブロークンなイングリッシュで、世界史を語る動画…どうだろう、おもしろいかな…

通用するものもある

僕は世界史教育について、わりと極端な2つの学校で勤務したことがあります。これら2つの学校は校風自体もそうだったのですが、職員の仕事に対する姿勢も、柔軟なものとストリクトなもので極端でした。
このストリクトな方ではたらているとき、僕は歴史の作問の作法を諸先輩からたたきこまれました。これに対する疑問がないではないですが、おかげさまで恐らく色んな力がついたと思っています。

日本の高校世界史(歴史全般)の作問に必要な力は、論理と知識です。論述問題の採点にもこの2つの力が必要です。
新傾向の問題になって論理のウェートが増しました。しかし大きくは変わらないと思う。

ストリクトな教えを受けたことで、僕のこれらの力はIBティーチャーの卵たちの間に入っても、一面ではわりと通用しました。
日本の世界史はけっこう幅広く膨大な知識をつめこむ教科なので、恐らく受講者の中でも僕は割と「広く浅く物知りなやつ」だっただろうと思います。

それから、ちょうど入試のシーズンだったのでこのワークショップの間、僕はよく担当生徒の国立大学の2次試験のトレーニングや添削をみていました。たとえば有名な大学の入試問題の解答を採点する作業と並行しつつ、一方ではIBの採点にも取り組んでいました。
そうやって同時に2つを比較してみて、僕はIBのエッセーやペーパーの点のつけかたは、ジャパニーズな世界史論述よりゆるいなと思うことがありました。
論理や知識(幅)でいえば、日頃の仕事の経験がワークショップに活かされたのだろうと思います。
ガラパゴス世界史おそるべし。

でも通用しないものの方が多い

ただ、そうは言っても、僕は受講生の中で「比較的ものしりで、意外と採点が辛いやつ」だったわけですが(たぶん)、それって価値のあることなのかな、と自問せずにはいられない。

なんかなあ、「ちょっと物知り」みたいなのって、もう本当に価値がないのかもしれない。

IB受講生やファシリテーターはみんな自分の得意分野があって、「私の専門エリアならばおもしろいこと話せるし、いい教育効果をだせるわよ」って感じなんですね。でもエリア外に出ると、「それは知らなかったわ、おもしろいわね!」って感じで終了。知らないことを恥じないし、むしろ面白がっている感じがします。

僕の職場もふくめ、日本の社会科の先生には、「こんなことも知らないのか」と、知らないことを下にみる風潮があるような気がしますが(僕は比較的、知らない方です)、そういうのは逆にIBの人たちにはまったくないですね。まあ人によるんでしょうけどね、それもわかっているのですけど。
知っていることは大事なんですが、それだけではだめでしょうね。
ちょうど、ぼくが英語の読み書きをアプリにたよって1ヶ月のワークショップをこなせたように、表層的な技術や知識は、「使いこなせて当たり前」になっていきそうな怖さが、時代から感じられます。

「専門のエリアを持って、そこでならば面白い話をできる」
僕は日本のジェネラルな世界史教育の中にいながら、こういう視点も持っていたい。

僕の武器がほしい

僕は、ずーーっと関心があるものがあって、機会があれば調べてみたいと思っていたものがありました。
音楽や文学、児童文学などもそうなのですが、こと世界史の教科書のトピックでいつも僕の興味をひいてきたものは、移民です。とくに、日系移民。
なぜ関心があるのかはいつかまた書きたい。

ワークショップでもこの話題を面白がってくれる人がファシリテーターをはじめ何人かいたので、少し考える機会になりました。
うん、これをキーワードに、いわば非公式の専門領域にしながら、一方では日本的世界史の全般もみる、そういう掛け持ちの仕方はいいのかもしれない。

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