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新規事業立上げ時の超激務時代 No.6(精神疾患編)

こんにちは。一話読みきりで書いておらず、自分の半生をカテゴリー毎に時系列に思い出しながら書いています。ご興味があるようでしたら前に書いた記事を見ていただくと良いのではないかと思います。

さて本題ですが、私の担当していた前事業は全社方針により、撤退することになり、撤退跡地(建屋内の空き地)に新規事業を始めることになります。
この新規事業は、工場運営の在り方として全社モデル工場の一号店的な扱いになりました。

新規事業は部品事業になります。会社自体は電機メーカーの組立工場なので
全く異分野で、生産技術研究所で実証実験をしていたものを事業化した内容です。
(簡単にいうと部品メーカーから購入していたもの造りから、部品そのものを製造して、お客さに販売するという全く、逆の立場になりました。)

製造実習は、生産技術研究所で設備があるのですが、生産・外注管理、営業(セールス、顧客窓口)等々、生販の管理機能がありません。通常、この業務では前事業(CRTディスプイ)だと、50名近い人員で運営しておりましたが
新事業では、わずか3名体制です。

仕事の仕方もわからず、お客様の言われている言葉もわからず、お客様からお𠮟りを受けながら、お客様から仕事のやり方を教えていただきました。
通常でしたら、そのようなところには仕事を出しませんよね?

一番、最悪だったのが、製品歩留まりでした。特殊な金属部品で成形~完成検査迄、10工程近くあります。お客様から、3000個注文を頂き、各工程毎の歩留まりを考慮し、10000個の成形を投入するのですが、完成品が500個も取れません。要するに納期遅れが生じます。こんなことが全製品で起こっているわけです。毎日、毎日お客様からお叱りをうけ、今月、お前の所の供給不足で、完成品が出荷出来ず、売り上げ数十億落とした等と何社からも言われました。胃に穴が開きそうで、頭が狂いそうです。

こんなことが2年以上続きました。忘れられません。
工場が365日24H稼働でした。工程内の負荷オーバー分は、外注化しておりました。この外注化が厄介で4社に外注化(各社各様のマシニングセンター)して機械のくせで様々な問題を引き起こします。
この間、朝7時前に出社し、退社は終電に間に合うぎりぎりの時間まで、会社に残り、これを土日も全く休まず、1年半続けました。

過労死で死んでもおかしくないですよね。よく自分自身おかしくならなかったと思います。
しかし、ここでメンタルの危険信号出ていたのかもしれません。この工場で一番偉いのは、自分だと思っていました。自分がいなかったら工場が全く機能しなくなるほど、一人で多くの業務を対応していたので。
いわゆるそう状態です。

土日休まなかったのは、土日関係なく、携帯に引っ切り無しに品質問題含め、顧客先、外注先から電話がかかってくるので、書類と現場の状況を確認して回答しなければなりません。当時は、会社から携帯電話が支給されなかったので、個人の携帯電話に直接かかってくるため、通話代もすごい金額になりました。

4年ほどたつと、段々仕組みが出来上がっていき、やっと、生産現場らしくなってきました。納期と品質が安定し、生産計画通り製品が出てくるようになった と ふっと 思った瞬間です。

しかし、その1年後に、結局採算性の合わない事業ということで閉鎖することになります。その閉鎖の話も外注先から聞きました。馬鹿にした話です。

次回から、長い精神疾患の初めの一歩です。

一体、NO.?迄続くのか。

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