櫻坂46『最終の地下鉄に乗って』が助かりすぎるという話

今日は、曲の話をします。


私は、坂道アイドル、特に櫻坂46がとても好きです。(欅の頃から継続して・・・)
藤吉夏鈴ちゃんが好きです。かっわいい。


櫻坂が好きな人の中には、櫻坂(欅坂)に救われた、という人が少なくないと思います。

かういう私もその1人です。

曲も歌詞も作っているのはおじ様なのに、すごいなあと、天才だなあと毎度思います。
(巷では気持ち悪いだなんだと治安の悪いSNSで言われていますが、それでも救われる人がいるのだから良いじゃないか、と思いますね。)

自分と全く違う性別、年代の人間に響くって、相当『才』ですよね。


私が一番救われた曲は、欅坂46の『エキセントリック』ですが、
今回は、『最終の地下鉄に乗って』の話をします。
リンク際は、素敵なカバーです。

本家は無断転載しかなかったので、ぜひ各音楽配信サイトで聞いてください。


早速、私の好きな歌詞について。

『ねえ それでも生きなきゃいけないって 結構辛いことじゃないかな』

この一節です。

そもそもこの曲は恐らく、電車を人生に例えて、進んでいく列車と人生を重ねて歌われているのだと思います。

歌詞を通しても、車内やホームでの風景や状況を謳っている部分が多いです。

その中でも数少ない、この楽曲を本質的に表している一節がこちらではないでしょうか。
全歌詞は以下に。

全ての歌詞は以下に。

最終の地下鉄をいつも選んで乗って
ガランとしている車両に立ってると
本当に孤独になった気がして来る

景色のないトンネルは人生みたいで
騒々しい音を立てて過ぎるだけ
うっかり 下を向いてたら終点になる

同じ車両に誰かがいたって
シンパシーなんて全く感じない ああ
駅のベンチには酔いつぶれかけた
サラリーマンが愚痴を言ってたけど
明日になれば いつものように
ラッシュアワーに揉まれてる

誰もいない世界へ行きたい そんなこと思っていた
あの頃の僕って病んでいたのかな
ひんやりしてるガラス窓に
気づけば おでこをつけてた
なぜ それでも人間(ひと)は我慢しながら 毎日生きているんだろう
僕にはそれが不思議だった
何が嫌ってわけじゃないけど
無理をして微笑むしあわせなんて要らない

地上なら今自分がどこら辺(あた)りかって
街並みから見当もつくけれど
今さら もうどうでもよくなってしまったよ

誰がどこにいて何をしていようと
僕にとっては全然 興味ない ああ
大事なことはこれからの行き先
この地下鉄をもし乗り過ごしたら
どこまで行ってしまうのだろう
もう戻ることはできないのに…

まだ知らない世界へ行きたい ぼんやりと思っていた
この世の中 昨日の繰り返しだ
ドキドキとする何かなんて
ないってわかってしまった
ねえ それでも生きなきゃいけないって 結構辛いことじゃないかな
僕にはそれが耐えられない
だけど今すぐ死んだりはしない
急がなくたってそのうちにみんな死ぬんだから

バイト終わってから
いつも同じように
最終の地下鉄に
乗っている
僕はいつになれば
違う時間帯の
生き方を選べるんだろう

誰もいない世界へ行きたい そんなこと思っていた
あの頃の僕って病んでいたのかな
ひんやりしてるガラス窓に
気づけば おでこをつけてた
なぜ それでも人間(ひと)は我慢しながら 毎日生きているんだろう
僕にはそれが不思議だった
何が嫌ってわけじゃないけど
無理をして微笑むしあわせなんて要らない

これからの人生 期待なんかしてない

櫻坂46『最終の地下鉄に乗って』

非常に厭世的な内容ですが、このような感覚を抱きながら生きている私の胸をとても打ちました。

『結構辛いことじゃないかな』

って。

『辛い』と言い切るわけでもなく。
『辛いよね?』と押し付けるわけでもなく。

ぼんやりと、ただ苦しい思いの中で出た、疑問のような一節。

『辛いの?』と寄り添うわけでもない、秀逸な表現ではないでしょうか。

誰かに助けて欲しいとか、辛いことをわかって欲しいとかそういうことではなく。

ただ漠然と、不安な気持ち、将来に期待が持てない気持ち、頑張るのも疲れてしまった気持ち、いろいろな感情の混ざった歌詞であると感じました。


櫻坂、欅坂は昔から、若い世代の抱いている倦怠感や絶望感を表現することがとてもうまい。


生きてるのって辛いな、でも生きなきゃいけないんだよな、という
後ろ向きと前向きを行き来した感情を優しく受け止めて、
それで良いんだと思えるような歌詞。

これからもこんな、若者に寄り添った歌詞を楽しみにしていましょう。

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