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チンチラとの出会い

「何だか、犬のようだな。」
彼と出会った時の印象だ。

晩秋のある日。関西人のパートナー(以降K氏)と私は、2人暮らし準備のため、商業施設を訪れていた。
そこで何の気無しに立ち寄ったペットショップに、彼がいた。

「チンチラ(チェコ産)」
と書かれたプレートの下で、元気いっぱいに滑車を回してはこちらに寄ってきて、くりくりした目で愛嬌を振り撒いていた。
他店で見かけたチンチラという生き物は、草食動物特有の離れた二つの目を眠そうに細め、人類には興味がありませんという風態だった。
しかし目の前の生き物は、全力社交の意図が感じられ、まるで犬のようだった。
12年前に後の愛犬とペットショップのケージ越しに出会い、釘付けになった日を思い出した。

その小さな生き物を見つめていると、先ほどまで隣に立っていたK氏が座り込んでいた。
そして「かわいいでしゅね〜」と聞いたことのない赤ちゃん言葉+ハイトーンボイスで話しかけていた。
なお、彼は日頃から分け隔てのない人で、赤子に話しかける時も大人に話しかけるような口調であるし、道端で犬を見かけても「いい犬だな〜(低音)」と達観した具合である。
お付き合いして数年、初めて聞くハイトーンボイスにぎょっとした。

そこに店員のお姉さんがやってきて「抱っこしてみますか?」と問いかけた。
途端にK氏は尻込みしはじめた。
自分以外の生き物に限りなく優しい彼は、動物を触ることに及び腰であり、一歩引いて観ているのが常である。

今回も同様で、まず、私だけが抱かせてもらった。
抱いて、あっと驚いた。これまでに抱いたどの生き物とも似ていない。
人の赤子とも、馬とも、犬とも、猫とも、ウサギとも、ハムスターとも違う。
モルモットほどのサイズだが、信じられないほど軽くて、そこだけ重力が働いていないようだ。
そして、夢のように柔らかい毛並みである。人生で出会った繊維の中で一番細くしっとりしており、赤子の産毛をもっと柔らかくしたような繊維だった。許せないことだが、かつて襟巻として乱獲されたのも頷ける(重ねて、許せないが)。

抱かれた彼は、じたばたと小動物特有の抵抗を一定示した後、腕の中で虚空を見つめてじっとしていた。
その健気な姿は、自己主張の激しい愛犬と暮らしてきた私にとって申し訳なくなるほどだった。

私が未知との遭遇に静かに驚いていると、もう一つ驚くべきことが起こった。
K氏が「俺も抱っこしてみようかな」と言ったのだ。

空耳かと思ったが、決心を覆してしまうリスクを危惧し、私は無言でそっと手渡した。
渡される側からすれば、自分よりはるかに大きい生き物に抱かれて絶望しているところ、さらに別の生き物の手に渡るなんて「終わった。。。」と思ったかもしれないが、そこはプロ根性なのか、慣れてきたのか意外とおとなしくしていた(人間の主観ですが)。

恐る恐る受け取ったK氏は、緊張のあまりみたことのない真顔だったが、しばらくすると、しあわせそうに微笑み、「小さいな〜」などと話しかけている。
そしてケージに返す際も「引っ掻かれちゃったよ」となんとも嬉しそうに微笑んでいた。

一方、一仕事終えてケージに戻った彼は、備え付けの餌入れから牧草を起用に前足で引っ張り出して、美味しそうに食んでいた。
「前足」と呼ばれるその部位だが、器用に使うあまり「手」のように見え、愛くるしい姿だ。

いつまでも見ていたかったが、お別れの時間だ。
私たちの後ろにも、その不思議な生き物を見たい子供たちやカップルが待っている。

ところが、普段は物事への執着が極端に薄いK氏が、ケージの前から離れない。
自己主張をしないため、仕事がどんどん増えてしまう苦労人の彼が、立ち止まってその小さい生き物を見つめているのは、意外な姿だった。
何だかこの時間が永遠に続いてほしい気持ちになったが、「帰ろっか」と帰路にいざなった。

帰りの電車で、ぼーっと西日に照らされる彼の顔を見ながら、これから始まる予定の2人暮らしが、3人暮らしになる予感を感じた。


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