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【映画#114】「愛人/ラマン」『ウォーターゲーム』より

こんにちは、三太です。

本日は中学校の卒業式です。
3年生にとっては、義務教育最後の晴れ舞台です。
「たかが卒業、されど卒業」ということで、最後を良い形で締めくくってほしいと思います。

では、今日は『ウォーターゲーム』に出てきた「愛人/ラマン」を見ていきます。
『ウォーターゲーム』に出てくる映画3作のうちの1作目です。


基本情報

監督:ジャン=ジャック・アノー
出演者:少女(ジェーン・マーチ)
    中国人青年(レオン・カーフェイ)
上映時間:1時間55分
公開:1992年

あらすじ

昔を回想する語りで始まる額縁構造の物語です。

植民地であるベトナムで育ったフランス人の少女
寮生活をするため、家族と過ごす家からサイゴンへ移動する途中、華僑の中国人青年に声をかけられます。
お金持ちであった彼に惹かれたからか、性というものに興味があったからか、彼女は彼とベッドを共にします。
それからもチャイナタウンの愛人部屋で激しく求め合う二人。
しかし、そんな日々は長くは続きませんでした。
青年は父親が決めた婚約者と結婚をしなければならないことに。
少女は両親の母国であるフランスへ帰ることに。
二人の愛はどのような結末を迎えるのか。

設定

・愛人関係
・家族
・宗主国と植民地

感想

最後まで見てきて、愛というものが見えた気がし、じんわりと感動しました。
フランス人の少女と華僑の中国人青年の関係は、はじまりは身体でした。
そのためかなり官能的な映画でもあります。
少女にとっては貧しい家族のために、お金持ちの青年からお金がほしいとか、単純に性的な欲望からとか、中国人青年に近づいた理由はどちらかというと打算的だったように思います。(本心はよくわかりませんが…)
けれども、最後に身体的なつながりが、精神的なつながりへと昇華していきました。
そこに感動があったように思います。

宗主国のフランスと植民地との関係が、少女と青年では少なくとも金銭面では逆転していました。
ただ、相手を求めるという点では、青年の方が積極的だったかもしれません。
ちょっとフランス人家族は中国人をバカにしたような態度も取りますし。
関係性は非常に複雑に思えました。
その宗主国と植民地ということでは少女の家族の状況も大きな影響を与えています。
父が亡くなってしまい、その後、母は現地の人に騙されて、一気に貧困に陥ります。
一番上の兄はアヘン漬けになり、二番目の兄だけが心のよりどころでした。(けれども、その兄がかなり弱弱しい)
こういう寂しさみたいなものも、愛人関係となる一つのきっかけだったのかもしれません。

不思議なのは少女と中国人の名前がわからないということです。
少女はマルグリット・デュラスかなと思うのですが、青年の名を出さなかった意味は何でしょう。
もしかして、名前も知らない愛人だったということを強調したかったのかもしれません。(強調というよりも事実であるのかも)

ちなみに中国人青年がトミーズ雅さん(の若い頃)に見えて仕方なかったです。

別れとは通じる心春の海

その他

・原作はマルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人』。

『ウォーターゲーム』内の「愛人/ラマン」登場シーン

韓国の投資会社で働いていると自己紹介したデイビッドに、「私、アジアのことにはあまり興味がないのよ」と彼女は素っ気なかった。
「でも、一つくらいアジアについての良いイメージだってあるでしょ?」とデイビッドは食い下がった。
しばらく考え込んだマッグローがふと思い出したように応えたのが、マルグリット・デュラス原作の映画「愛人/ラマン」だった。
「ティーネイジャーの頃、古い映画館でリバイバル上映されている映画を見たの。ああいうのを心が奪われるっていうのかしら。何をしていても映画のいろんなシーンのことが浮かんで、枕元にはずっとデュラスの原作を置いてたわ」
懐かしそうに話す彼女に、デイビッドは冷えたシャンパンを渡した。
「でも、あの映画はベトナムに暮らす貧しいフランス人の少女が、裕福な華僑の青年に体を売る話じゃないですか。あなたの人生とはほど遠い」
「そうね。いつもメイドたちに囲まれて、リムジンで学校に通ってる女の子には未知の世界だったし、未知の感覚だった」
「でも、惹かれた?」
「ええ、そう」

『ウォーターゲーム』(pp.199-200)

これはデイビッド・キムとマッグローとの出会いのシーンです。
場所はプノンペンのラッフルズホテル、そこで開かれたパーティーです。
デイビッド・キムは鷹野のライバルであるスパイ。
マッグローはイギリスの投資会社「ロイヤル・ロンドン・グロース」のオーナーの一人娘であり、重役を務める人物です。
この二人は物語にとても重要な役割を果たします。
その二人の共通項として、あるいは人物像を表すものとして映画が使われています。

吉田修一作品とのつながり

・ちょっとよくわからなかったです。

以上で、「愛人/ラマン」については終わります。
胸にじんわりと余韻が残る良い映画でした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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