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【映画#93】「流れる」『愛に乱暴』より

こんにちは、三太です。

先日、学校で生徒と本について話していました。
その女の子は知念実希人さんの大ファンで、何冊も知念さんの本を読んでおり、オススメですよと熱心に語ってくれました。
恥ずかしながら、私は知念さんの本を読んだことがなかったので、図書館にあった『仮面病棟』を借りて読んでみました。
一気読みでした。
とても面白かったです。
ミステリー的な面白さだけにとどまらず、医療的な面白さもあり、二重に楽しめました。
また、クローズド・サークルミステリーにも興味を持ちました。
またこういった分野の本も読み進めていきたいです。

では、今日は『愛に乱暴』に出てきた映画、「流れる」を見ていきます。
『愛に乱暴』に出てくる唯一の映画です。


基本情報

監督:成瀬巳喜男
出演者:梨花(お春)(田中絹代)
    つた奴(女将)(山田五十鈴)
    勝代(高峰秀子)
    お浜(栗島すみ子)
上映時間:1時間56分
公開:1956年

あらすじ

借金を抱えた芸者置屋、つたの家。
そんな危機的な状況にあるつたの家へ、女中として働きに来た未亡人の梨花
つたの家の女将はなかなか芸者としてのプライドを捨てられず、見栄を張ってしまいます。
このつたの家には女将の娘、かつよや、姪のよねこ、よねこの子どものふじこなど女将の家族とともに、染香ななこなど芸者も出入りしています。
他にも女将の姉や、同じ芸者仲間である水野なども出てくるのですが、基本的に全員女性です。
そんな女性たちの世界に、元々芸者として働いていたなみえという女性の関係者である男が来て、ある難癖をつけてきます。
ただでさえ苦しい状況なのに、追い打ちをかけるように来た男性の対応に困るつたの家の女性たち。
つたの家はどうなるのか。
女将はどこに活路を見出すのか。

設定

・芸者の世界
・女性がメイン。
・実の親の不在。

感想

率直に言うと、めちゃくちゃ難しかったです。
今でもこの映画の主題のようなものを捉えられているかどうかにはあまり自信がありません。
まず、説明があるわけではないので、親子や姉妹の区別が途中までつきませんでした。
また、70年近く前の映画ということもあり、単語が耳慣れなくて、聞き取りづらいところがあります。
そんな中でこの映画に描かれていることは何かと言われれば、「女に男はいらないというのは本当か」という問いです。
これは映画のラストシーン、つたの家での女たちの喧嘩のシーンで出てくるものです。
この映画では芸者という女たちの世界が描かれることにより、男の不在がより鮮明になります。
その上で上記の問いが出てきます。
私はこの映画は明確に答えを出しているというよりも、女も男もいる世界もあれば、そうでない世界もあるというように言っているように思えました。
ちなみに女将の夫、つまりかつよにとっての父がなぜいないのかは映画ではよくわかりません。
女将は意地を張っているのか、それとも夫のことを忘れられないのか新しい夫を見つけて、そこに頼ろうとすることはしません。

女将の娘のかつよは芸者をしないという選択をします。
そして、梨花はこのまま女中として働くのか、それとも水野の芸者に引き抜かれるのか。
どんな選択をするのでしょうか。

こおろぎや芸者置屋の化粧台

その他

・モノクロ

・ウィキペディアより
→幸田文の同名小説の映画化作品。1954年にデビューした幸田の、作家としての名声を確立した傑作。

『愛に乱暴』内の「流れる」登場シーン

時枝おばさんが床下に隠しておいた新聞と同時代のもので、不審火の容疑者になった当時の東京がどういう風景だったか確かめたくなったのだ。小さなビデオ店で借りられたのは成瀬巳喜男という監督の『流れる』という映画だけだった。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、と錚々たる女優が出演している。さっき冒頭を少しだけ再生してみたが、花街の置屋が舞台とはいえ、この当時の女性はほとんどがまだ着物を着ていたようだ。

『愛に乱暴』(下巻p.145)

初瀬桃子が書いている日記に出てくる一節です。
桃子は『流れる』を見ることによって、1956年当時の東京の風景をイメージしようとします。
そうすることで、自分が今住んでいる離れに、昔住んでいた時枝おばさんの姿をも想像しようとするのです。
『流れる』が1956年製作で、時枝おばさんがある事件を起こしたとされる年と重なるのですが、これは偶然なのでしょうか。
『流れる』ありきで、1956年になったのか、1956年製作の映画で適するものを探したのか。
吉田修一さんが成瀬巳喜男監督の作品を好きなことをふまえると、私には前者のように思えます。
そうだった場合、『愛に乱暴』に対して、この映画はそれなりの影響を及ぼしたと言えることができるでしょう。 

吉田修一作品とのつながり

映画「流れる」では男(親)の不在が描かれます。
『愛に乱暴』の次に書かれる小説『怒り』では実の親の不在が描かれます。
『怒り』で起こる事件は夫婦殺害事件。
家族に対する社会の普通への問いかけとしてつながりがあるのではないかと思いました。
(『怒り』以外の吉田修一作品にもこのモチーフはあると思いますが・・・)

以上で、「流れる」については終わります。
女の世界が匂い立つような作品でした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

画像の出典:Amazon「流れる」

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