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【作品#16】『ひなた』

こんにちは、三太です。

先日、芥川賞と直木賞の候補作が発表されました。
これまでは受賞作や選評に注目するぐらいでしたが、初めてこの時期に候補作に注目しています。
一度、全て読んで自分でも予想してというようなことをしてみたいと思っています。(実際にやろうとすると現実的に難しそうですが…)
でも、できるだけ読んでいきたいなと思っている今日この頃です。

では、今回は『ひなた』を読んでいきます。

初出年は2006年(1月)です。

光文社文庫の『ひなた』で読みました。

あらすじ

この作品は春夏秋冬の4つの章に分かれていて、そのそれぞれの章で、レイ、尚純(レイの彼氏)、桂子(尚純の兄(=浩一)の妻)、浩一(尚純の兄)の語りが交互に出てきて、話が展開していきます。
例えば、新堂レイの春や大路桂子の秋みたいな感じです。
4人それぞれに抱えていることがあって、それが順々に描かれていきます。
この4人以外にも、レイの実家のヤンキー家族、尚純らの両親、浩一の友達の田辺などの登場人物が出てくるのですが、「ひなた」の家が場所として重要な役割を果たしています。

文庫の裏表紙の紹介文も載せておきます。

新堂レイは有名ブランドHに就職したばかりの新人広報。彼女は、海で偶然再会した同級生の大路尚純と昨年夏から付き合っている。尚純は、大学生。彼が両親と暮らす文京区小日向の家で、兄夫婦が同居をし始めたー。それぞれが関わり合って淡々とした日常を紡ぎだす。お互いに踏み込むことのできない「聖域」を抱えながらもー。四人の視点で「春夏秋冬」を描き出す。

それぞれ心に「聖域」を持っているんですが、小日向の家が場所として「誰でも入れる」という対比があります。

出てくる映画(ページ数)

①『熱いトタン屋根の上の猫』(p.113)

「今回、浩一が主役なんだ?」「え?知らなかったの?」「聞いてない。あの人、何も言わないもん、芝居のこと」「今回、『熱いトタン屋根の上の猫』ってヤツやるんだよ」「それは聞いた」「その主役があいつ。桂子ちゃん、読んだことある?」「原作はないけど、映画で観たことある。あ、でも、この前、浩一が持ってた台本、ちょっと読んだ」「どうだった?」

これは桂子と佐々木(劇団をやっている、浩一の大学時代からの友達)が会話をしているシーンです。
ちなみに、厳密に言うと、ここでは映画の話をしていなくて、テネシー・ウィリアムズの原作の戯曲の話をしています。
けれども、桂子が「映画で観たことある」と言っているので、取り上げたいと思います。
また、原作の話をしているため映画名と少し違って、映画名は「熱いトタン屋根の猫」といいます。

今回はこの1作です。
 
映画ではないのですが、こんな小説も出てきます。 

桂子が腕の中から離れようとするので、「・・・そう言えば、来年の芝居の演目、決まったんだ」と俺は言った。少しだけからだを離した桂子が顔を上げて、「まだやるんだ?」とわざと呆れたように笑う。「ああ。まだやる」と俺も笑った。「今度は何やるの?」「桂子知ってるかな。オースティンの『自負と偏見』って小説」「読んだことあると思う。でも内容忘れちゃった」

『ひなた』(pp.262-263)

これは、浩一が桂子に話しかけているシーンです。
今年の演目は『熱いトタン屋根の上の猫』、来年は『自負と偏見』という関係性にあります。
『ひなた』全体の最後に当たるシーンで、オースティンのこの作品がけっこう重要な要素として扱われているたのかなと感じました。

 

感想

一人一人の語り手ごとに抱えていることがあって、(例えば、それは仕事のことであったり、夫婦生活であったりします)、それを受け止めている「ひなた」の家なのかなと思いました。それにしても、複雑に色々とありすぎて、よくもこんなに盛り込んだなという風にも感じます。
だからこそ、面白いのですが・・・。
そして、最後にいくにつれて、「そんな風になっていたのか」と、謎が解けるというわけではないのですが、それに近いことがわかって、その点も楽しめる部分かなと思います。
吉田修一作品には、『最後の息子』に始まり、けっこう男性同士の恋愛が語られていて、この話にもそれが出てきました。
私は「映画」という点で作品を分析していますが、その観点でも見てみると面白い気がします。
 
演目は『自負と偏見』冬日向
 
次回は映画紹介を行います。

では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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