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【映画#44】「熱いトタン屋根の猫」『ひなた』より

こんにちは、三太です。

先週、二学期の終業式がありました。
周りに助けられながら、なんとか乗り切れた2学期でした。
冬休みはボチボチリフレッシュしたいと思います。

また、1、2週間前に言っていたふくらはぎの痛みは少しましになってきました。
こちらもなんとか良い状態をキープしていきたいと思っている今日この頃です。

では、今日は『ひなた』に出てきた映画、「熱いトタン屋根の猫」を見ていきます。
『ひなた』に出てくる唯一の映画です。

基本情報

監督: リチャード・ブルックス
出演者:ブリック(ポール・ニューマン)
    マギー(エリザベス・テイラー)
    ビッグ・ダディ(バール・アイヴス)
    グーパー(ジャック・カーソン)
上映時間:1時間47分
公開:1958年


     左から、ビック・ダディ、マギー、ブリック。

あらすじ

夜のグラウンド、1人の男が自分で並べたハードルを飛び越えようとして、こけるシーンから始まります。
この男の名はブリック
おそらく30歳ぐらいの年齢で、かつてフットボールの選手をしていました。
ブリックは農場を経営する、そして弁護士である兄のグーパーとの4人家族です。

この話の大きな筋は、病気でもうすぐ亡くなるであろう父親の遺産を誰が相続するかということです。
グーパーは妻と共に、その遺産が気になっていますが、ブリックはあまり気にせず、その妻マギーがとても遺産を気にしています。
このマギーとブリックの関係は一筋縄ではありません。
マギーはブリックと愛し合うことを求めますが、ブリックはかたくなにそれを拒否します。
どうやらブリックは自分の友人であるスキッパーとマギーの関係を疑っているようなのです。
そして、このあとも家族関係それぞれの問題が会話とともに描かれていきます。
ほとんど同じ家の中のシーンなのですが、会話があまりにもスリリングで飽きさせることのない映画です。

設定

・場所がずっと家の中(唯一家の中でないのは、父親たちを空港に迎えにいくとき)
・家族の話
→浮気
→遺産相続
→家族同士の愛
→子どもができるかできないか

感想

家族それぞれが何かを抱えていて、それが少しずつ明らかになっていく感じがとてもスリリングでした。
そのスリリングさをほぼ家の中の会話だけで成り立たせているのがすごいです。
友人の自殺に責任を感じ、アル中になっているブリック。
ブリックから浮気を疑われ、近づくことを拒否される妻マギー。
父の遺産がほしい兄のグーパーとその妻、メイ。
グーパーは自分が父親から愛されていないことを悩んでもいます(でも、これはブリックも母も一緒でしたが・・・)
そして、病気により死期が迫る父。父はこれまで財産を築くために自分は色んなことを我慢してきたと思っています。
父に死期が迫っていることを信じられない母、アイダ。
色んな人物がそれぞれに問題を抱えています。

ちなみにタイトルにある言葉は「私は熱いトタン屋根の上の猫よ」というセリフとして、マギーがブリックに放ちます。
どうやら家族全体の問題は、父から家族に対する愛情が足りなかったことが大きな原因のようでした。
そして、そうなる理由の原因は、父が、浮浪者である自分の父親みたいにはなりたくなかったことが大きかったと考えられます。
家族の問題が連鎖しているのです。
子どもがたくさんいる兄夫婦と一人もいないブリック夫婦の対比も重要なことだったと思います。
この点はラストへ上手く関わっていきます。
オチへの持って行き方は見事で、上手く嵐が使われていました。(中盤言い争いが激しくなるにつれ、嵐も激しさを増し、最後少し良い雰囲気になってきたときには嵐も去っていた)
家族の問題は普遍的だと感じさせる映画でした。

家の中冬はひたすら家の中

その他

ウィキペディアより
→テネシー・ウィリアムズの同名の戯曲を映画化した作品

→タイトルの 『熱いトタン屋根の猫』 とは、愛する夫が同性愛に走り、久しく夫婦関係がない欲求不満のマギーのことを指す。(季語で言うと、「猫の恋」(春)の状態でしょうか。)
映画化に際し、原作戯曲のブリックとスキッパーのホモセクシュアルな関係は匂わす程度で留まり、隠された演出となっている。
この脚色に原作者のウィリアムズは大変失望したと言われている。
→確かに、映画だけではブリックとスキッパーの関係はそこまでわかりませんでした。

『ひなた』内の「熱いトタン屋根の猫」登場シーン

「今回、浩一が主役なんだ?」
「え?知らなかったの?」
「聞いてない。あの人、何も言わないもん、芝居のこと」
「今回、『熱いトタン屋根の上の猫』ってヤツやるんだよ」
「それは聞いた」
「その主役があいつ。桂子ちゃん、読んだことある?」
「原作はないけど、映画で観たことある。あ、でも、この前、浩一が持ってた台本、ちょっと読んだ」
「どうだった?」
「あれ、佐々木くんが書いたの?」
「そう、俺。ただ、時間なくてさ、ほとんど原作のまんま」
「大変だね、損保会社主任兼脚本家も」
私がからかうように言うと、佐々木も、「ほんと大変だよ」と廊下に響くように笑い出した。

『ひなた』(p.113)

これは「大路桂子の夏」のワンシーンで、桂子と佐々木(劇団をやっている、浩一の大学時代からの友達)との会話です。
浩一はこの佐々木に半ば強引に劇団に引きずり込まれました。
このあと桂子が劇団の稽古を見るシーンがありますが、そこでは浩一はじめ劇団員が迫真の演技をしています。
これは浩一演じるブリックと直子という登場人物演じるマギーの言い争いの場面です。

「男には、この世にたった一つだけ、おそろしく尊い真実なものがあるんだよ!かけがえのない、尊い真実なものが!・・・友情だよ。・・・僕の場合は、スキッパーとの友情だよ。それを、君は、汚そうとしてるんだ!」
「汚したりしてません!清めようとしてるの!」
「僕にとって、かけがえのない、尊い真実なもの、それは、君に対する愛情じゃない。スキッパーとの友情が、それなんだ。君は、それを汚そうとしてるんだ!」
「それじゃあ、まるっきり聞いてなかったのね。てんで分かってないのね。汚すどころか、あたしは清めているのよ。清めすぎて、とうとうスキッパーが死んだくらいじゃないの!あんたたち二人の間には、傷まないように冷凍にでもしておかなきゃならないものがあったのね。そうよ!ところがそんなもんをしまっとく冷蔵庫なんて、ありゃしないのよ!つまり死ぬのが、ただ一つの冷凍法だったってわけ・・・」
「マギー、僕は、結婚したんだぜ、君と。結婚なんかするはずないだろう、マギー、もしも僕が・・・」

『ひなた』(pp.115-116)

桂子はこの演技に見入ってしまいます。
ただ、一つ不思議なのは桂子は映画しか見たことがない設定になっているので、この会話の意味がおそらくあまり分かっていないはずなのに、演技に見入ってしまうということです。(スキッパーとブリックは共にアメフトの選手で、友達であり、ホモセクシュアルな関係にもあったことは原作の戯曲には描かれているが、映画ではそれほどわからない)
けれども、この演技に見入って、自分がかすかに震えていることにも気づかないぐらいだったのです。
ということは、会話の中身というよりも、それほど浩一たちの演技に力が入っていたということがわかります。
実は『ひなた』の中で、浩一は田辺という登場人物とホモセクシュアルな関係でもあります。
もしかして、そこら辺の事情も演技に力を入れさせたのかもしれません。

映画を見て、その原作との関係を知り、この細かい部分が読み取れました。
やはりこのシーンの脚本は「熱いトタン屋根の猫」である意味がありそうです。

吉田修一作品とのつながり

・家族の話が大きなテーマとなっていること。
・(この映画だけではわかりにくいですが、)ホモセクシュアルがテーマとなっていること

以上で、「熱いトタン屋根の猫」については終わります。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

画像の出典:映画ドットコム「熱いトタン屋根の猫」

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