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【閑話休題#33】杉山春『ルポ虐待』

こんにちは、三太です。

昨日、9月14日は吉田修一さんの誕生日でした。
1968年生まれなので、55歳になられました。
これからも素晴らしい小説を届け続けてほしいなと思います。

さて、今回読んだのは、杉山春『ルポ虐待』です。

この本を読んだきっかけは吉田修一『太陽は動かない』のメインの登場人物である鷹野一彦に関係するということを知ったからです。
『太陽は動かない』を読み終えた後、ネットで関連記事を検索していると次のような記述を見つけました。

著者の吉田修一さんが、実際にあった大阪での幼い姉弟の餓死事件をもとに、この子たちにできなかったことをやらせてあげようと執筆を始めたスパイ小説です。

「映画vs原作より」

おそらく吉田修一さんが何かのインタビューなどでおっしゃっていたことを元に書かれているのかなと思うのですが、その元になったインタビュー(?)は見つけることができませんでした。
そういう意味で、若干どうなのかなと思わなくもないのですが、『太陽は動かない』本文には次のような記述が出てくるので、信憑性はあるかなと。

「その写真は、鷹野が発見された当時のものです」
車椅子の上から風間が静かに声をかけてくる。「・・・まだ二歳くらいに見えるでしょう。でもこの時、鷹野はすでに四歳になっていました。目を開けていなければ、子供のミイラみたいにみえるでしょう?四歳児の平均体重は十六キロほどですが、発見された時、鷹野は九キロほどしかありませんでした」
五十嵐は写真に手を触れた。こんなに絶望的な目をした子供をこれまでに一度も見たことがなかった。こんなに何もかもを諦めてしまった子供の目など想像したこともなかった。
「・・・彼には二歳になる弟がいました。母親は彼らを自分たちが暮らしていたワンルームマンションに閉じ込めて家を出たんです。新しい男と暮らすために自分の子供が邪魔になったという理由でした。母親は子供たちが外へ逃げ出さないように、ベランダ側のサッシ戸は外から頑丈にガムテープを貼り、部屋から玄関にも出られないように重い本棚やベッドで通路を塞いでいました。発見された時、鷹野と弟の胃の中にはプラスチックやビニール、布団の綿まで入っていたそうです。幼い鷹野たちは必死に生きようとしたんです。生きていれば、母親がいつか迎えに来てくれると信じて待っていたんです。最初の数日は『ママ―!ママ―!』と泣く二人の声が隣人にも聞こえていたそうです。ただ隣人はいつものことだと気にもかけなかった。そのうちに声は聞こえなくなった。泣かなくなったのではなく、もう泣けなくなったんです。もしもこのマンションで小火騒ぎがなければ、鷹野たちは見つかっていなかったかもしれない。鷹野も弟と同じように餓死していたかもしれない。発見された時、鷹野は動かなくなった弟の、その痩せこけた体を抱いていたそうです。そして助けに入ってきた救助隊に、最後の力を振り絞って、『弟を病気にしてごめんなさい』と謝ったそうです。そんな子供たちに、母親が置いていったのは、ペットボトルの水二本と、菓子パン三つだけでした」

『太陽は動かない』(pp.506-507)

物語の本当に終盤。
風間(鷹野の上司)の家を訪れた五十嵐(政治家)が風間から聞き出す形でこの記述が出てきます。
多少違うことはありますが、(例えば、ルポの方は姉と弟で、『太陽は動かない』の方は兄と弟ということや、当時の年齢など)概ね同じ話を取り上げていると考えられます。
 
また、個人的なことですが、この本を積読をしていたということもありました。
きっかけがないときっと読むのが辛くて読まないだろうなと思っていたので、これを機に手にとったということもあります。


要約

このルポルタージュが扱うのは、大阪二児置き去り死事件です。
2010年夏、三歳の女児と一歳八カ月の男児の死体が大阪市内のマンションで発見されました。

本書の問いは「子ども達を置き去りにした母と子に何が起きていたのか」「なぜ、幼い子が亡くならなければならなかったのか」(p.20)です。
この問いに対して、事件が発覚するまでの約半年の経緯、母の成育歴、その母への家族・周りの人間・関係者の接し方を詳述し、真相に迫ります。
このルポの結論としては「芽衣さん(母の仮名)がよい母親であることに強いこだわりをもったこと」(p.255)が挙げられます。母と子に起きていたことについては、主に第一章「事件」で仔細に描写されます。

引用と考察

名古屋市中央児童相談所の相談課長は、芽衣さんとコンタクトがとれさえすれば、さまざまな支援メニューがあったと私に言った。
住民票を作り、医療保険に入り、児童手当や児童扶養手当の申請を受け、夜間保育所への入所の支援や、場合によっては母子施設への入所もできる。若年出産ということで、保健センターが相談に乗ることもできた。経済的には子ども手当、児童扶養手当、その他、名古屋市と愛知県の支援もあり、最初の三年間は月々九万円から十万円が入る。水商売を離れても、七、八万円程度の収入が得られれば、親子三人、暮らしていけた。
名古屋市の母子家庭への支援は手厚い。だが、それも受け手に求める気持ちがなければ、成り立たない。

『ルポ虐待』(pp.209-210)

芽衣さんは夫と離婚した後、地元の三重を離れ名古屋市に住んでいました。
そこで一度、児童相談所とのコンタクトがありましたが、結局はここで挙げたような支援を受けることができませんでした。(しませんでした)
児相に頼ることができれば、家族の運命も変わっていた可能性が高いです。
ただ、今回の事件はそれができず、かと言って児相がより強引に介入することも「現実的ではなかった」(p.210)とあります。
つまり、芽衣さんに対してはもっと早い段階での対応が必要だということです。(頼れるものに頼ることができる行動を取れるようにするというような)

感想 

亡くなった子ども達のことを思うと、読むのが本当に辛かったです。
直視したくない現実がありました。

芽衣さんの成育歴をたどった箇所でいくつか気になるところがありました。
それは中学時代の「教員との関係は刹那的」(p.126)や高校一年生の時に誘拐窃盗事件で捕まったときに「解離性の人格障害の疑いがあると言われた」などの記述から病的なものが感じられるところです。
刹那的にしか考えられないというのは、発達障害のうちのADHDに当たるのかなと思います。
しかし、芽衣さんは治療を受けた形跡がありません。
実際、本書にも発達障害という言葉は出てきませんでした。
今では、発達障害を踏まえて生徒指導をしようということが盛んに言われていますので、時代が違えば、もう少しその後の人生も違ったのかなとも思えました。

もう一つは芽衣さんの行動の特性として「期待に応えてしまう」(そして、その結果しんどくなる)ということがありました。
例えば、父親が高校のラグビー部の監督なのですが、(今回あまり触れていませんが、ここも重要な要素でした)、ラグビーの合宿のサポートに生後十か月の乳児を抱え、妊娠初期の状態で参加していました。
部員に水を配るためには走り回る必要があります。
あまり妊娠している女性には考えられない行動だと私自身は感じました。
それでも求められれば、応じてしまうのです。
そうしてしまうのは、もっと幼少期の芽衣さんの体験(あまり甘えられなかった)が関わっていると感じました。

今回の事件の背後にある、結婚や家族という制度と社会とのつながり(結婚や家族関係が上手くいっていればいいが、そうでないときにどのように社会がサポートできるか)をもっと考えていく必要があると思います。

以上で、『ルポ虐待』については終わります。
『太陽は動かない』の鷹野一彦は私にとってとても重要な登場人物となりました。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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