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【映画#113】「残菊物語」『最後に手にしたいもの』より

こんにちは、三太です。

昨日で学年末考査が終わりました。
テスト範囲にはもちろんヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」も入っています。
テストで読み取りの部分は確認したのですが、テスト後には作文をしようと考えています。
今回はスピンオフまたは続き物語のどちらかを選んで書く形式にしました。
どんな物語が生まれるのか楽しみです。

では、今日は『最後に手にしたいもの』に出てきた「残菊物語」を見ていきます。
『最後に手にしたいもの』に出てくる映画8作のうちの7作目です。
8作目は「悪人」で既出なので、『最後に手にしたいもの』の映画シリーズは今回がラストになります。


基本情報

監督:溝口健二
出演者:二代目尾上菊之助(花柳章太郎)
    中村福助(高田浩吉)
    五代目尾上菊五郎(河原崎権十郎)
    お徳(森赫子)
上映時間:2時間22分
公開:1939年

あらすじ

歌舞伎の世界の物語。
下手な芝居をしても周りからはおべんちゃらを言われ、ちやほやされる若旦那・尾上菊之助
そんな菊之助に対して、唯一正直にその芝居のまずさを指摘する菊之助の弟の乳母・お徳

               左がお徳、右が菊之助。


菊之助はそんなお徳に恋心を抱きます。
しかし、二人には身分の違いがあり、世間の声も気にする中、周りは二人がくっつくことを許しません。
そしてお徳は尾上家からあっさり暇を出されてしまいます。
お徳への思いが溢れてしまっている菊之助は家を飛び出し、お徳を探しに行きます。
父親の菊五郎とは勘当同然で、そのままの流れで大阪へ芝居の修行に向かいます。
その修行を支えるお徳。
このあと二人を待ち受ける運命とは。

設定

・歌舞伎
・家柄と身分
・純愛

感想

戦前の、しかも80年以上前の映画でしたが、ストーリーが分かりやすく、しかも重層的で面白かったです。
菊之助の成長があり、その成長を支えたお徳の献身があり、そんな二人の純愛がありと見所が多いです。
やはり何よりお徳のけなげさが印象的です。
菊之助を支えるその姿は姉のようでもあり、母のようでもありました。
なかなかこのような女性はいませんし、そもそも求めるべきものでもないのかもしれません。
それほどお徳の菊之助に対する献身が際立っていました。

また、歌舞伎の世界を描く映画ということもあり、所作が美しいです。
菊之助が帯を締めるちょっとした動きなども様になり、かっこよかったです。

美はそこに役者の所作に春宵に

その他

・モノクロ

・ウィキペディアより
→村松梢風による短編小説が原作。

→溝口健二の監督作品の『芸道三部作』の一つとして知られている(ただし、他の『浪花女』、『芸道一代男』は現存しない)。本作は、溝口作品の中で、ほぼ全てが現存する数少ない戦前作品となった(146分中143分現存)。

→溝口健二は日本の映画批評家からは、女性を描くことで最もその手腕を発揮した作家として高く評価されてきた。

『最後に手にしたいもの』内の「残菊物語」登場シーン

この日、夜の部を観たのだが、まずは『妹背山婦女庭訓』の「三笠山御殿」で、嫉妬に狂うお三輪を演じた中村七之助がなんと生々しかったことか。長年の映画好きとしては、このまま中村七之助が踊り続けていると、そのうち溝口健二の名作『残菊物語』で花柳章太郎が演じた「積恋雪関扉」の遊女墨染の姿に変身していくのではないかと、つい身を乗り出してしまったし、次の演目『高坏』では、中村勘九郎の下駄タップが絶妙で、実はこの日、あまり体調がよくなかったのだが、気がつけばその演技のあまりの楽しさに体調もすっかり良くなってしまった。

『最後に手にしたいもの』(p.118)

これは「浅草散歩」というエッセイの一節です。
浅草で「平成中村座」の歌舞伎を観劇したようすが述べられます。
歌舞伎を見ていると、映画好きの血が騒いだというような感じでしょうか。
確か遊女墨染の姿は菊之助が復活していくときに演じたものだったと思います。
素晴らしい演技で周りから認められる場面です。
このあとエッセイでは初めて浅草にきたときのエピソードも述べられます。
きっかけは父に誘われてということだったようです。
『国宝』の最後の言葉につながるような気もしました。

吉田修一作品とのつながり

・歌舞伎の世界を描くという点では『国宝』とつながる。

以上で、「残菊物語」については終わります。
分かりやすいストーリーかつ重層的な映画でした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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