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客席が全員「おのれ、八汐!」て思ってそう_2024年5月『團菊祭五月大歌舞伎』 夜の部


伽羅先代萩

今回は「御殿」と「床下」の場。

■御殿

誰がすごいって、
千松役の尾上丑之助(9歳)と、鶴千代役の中村種太郎(8歳)。
かつて、これほど存在感を放って物語を引っ張った千松と鶴千代がいただろうか。

母・政岡(父・尾上菊之助)の窮地、いいやお家の窮地を救うのは、幼い千松だ。
今回の千松は間違いなく、この舞台をも救っていた。

飯炊きの場面で政岡に、歌って鶴千代のご機嫌を取りなさいと言われて、千松は歌い始めるが、途中で空腹の辛さも強がりも限界に達して、ついに泣き出してしまう。

ここは義太夫の語りもあるので、通常、わたしはそれを聞きながら、子役の動きがそれらしく付くのを観ていた。

ところが丑之助は、ここを自分の芝居で観せる。
我慢に我慢が重なって苛立ちが爆発する身悶え、
千松本来の子供らしさが留めきれず涙とともに溢れる様子。

種太郎の鶴千代も、まるで博多人形のわらべのように可愛らしく、美しく品がある。
この若君を守らなければ、お家の未来はないと思わせる佇まい。

2人で、小さな「にぎにぎ」を食べるところは、命の尊さ、苦しい境遇で健気に光る命に胸がつまるようだった。

しかも、食べる段取りが素晴らしく、見事に、2人がほぼ同時に食べ終わる。
先に千松がひとつ毒見して、鶴千代はあとから食べ始めるのだが、2人とも互いの様子を窺う素振りも見せず、実にちょうどよいタイミングで食べ終わる。
測ったように同じでもなく、どちらかが手持ち無沙汰になるでもない、絶妙なちょうどよさ。

ふたりして天才かよ。

これは、観ている側にとっては幸福な時間だけれど、今後もしかしたら千松や鶴千代を演じるかもしれない子役さんにとっては、先輩がめちゃくちゃハードルを上げてきた!と真っ青になるんじゃないだろうか。

政岡を陥れようと策を巡らす八汐を中村歌六が演じる。

八汐は弾正の「妹」ということもあり、いつもの痺れるような低音は控え目。
しかし、ことさらに憎々しくしなくとも、丑之助の千松が「アー…」と苦しげに刃の下で身を捩れば、もう客席は全員「おのれ八汐! そのぐらいにしておけ!」である。

中村雀右衛門の栄御前が、出から悪役っぽさバレすぎでは、とか、菊之助の政岡は予想以上に控え目だなぁとか、栄御前とやりとりする政岡の胸元にけっこう隙間があったが着付けはあれで良いのだろうかとか、いろいろと感想はありつつも。

もう子役2人がすごくて、新しい「御殿」を観たと思って納得できちゃいそう。

松島が中村芝のぶで、嬉しい。中村米吉の沖の井と、呼吸がピッタリだし、2人の声が合わさると耳に心地いい。

御殿の場、義太夫は前半が竹本愛太夫、三味線は豊澤長一郎。後半は竹本葵太夫、三味線が豊澤淳一郎。

政岡が千松の死を嘆く後半、葵太夫が最高。泣き上げる政岡の声に合流してくるタイミングといい強さといい、ものすごい。
そして三味線の人が、菊之助の動きを食い入るように見つめてタイミングを合わせているさまが、また良かった。

■床下

市川右團次の荒獅子男之助。
声はいい、姿もいいのに、思ったほどのスケール感でないように思ったのは、何故だろう。観終わってもよく分からない。

面明かり(蝋燭を黒衣さんが持っている)に照らされた、市川團十郎の弾正。
横顔がもう、奇跡の鼻筋。

そして、弾正は焦らすようになかなか、目を開けない。口元に浮かぶ、「なにを人間風情が」的な笑み。底知れない、なんの笑みか分からないくらいスケールが大きい。謎めいている。

連判状を懐にしまって、花道で大きく目を開いて見得。
夢に見そうな凄まじい迫力の見得。悪い恐ろしいだけでなく、その先にゾッとするような魅力が満ちている。

弾正は花道を引っ込んでいく。
舞台に引かれた定式幕に、弾正の影が映っている。
遠ざかっていくのに、影はどんどん大きくなる。まるで弾正の黒い妖術が御殿を覆っていくようだ。

2時間ドラマは、実は予告編が一番おもしろい。
そう考えると、こうして「床下」で終わって、「対決」「刃傷」までいかないのも、却って想像が膨らんで、また観たいと思わせるのかもしれない。

四千両小判梅葉

四谷見附より牢内言渡の場まで。

■四谷見附、藤岡内

坂東巳之助が、「四谷見附外の場」で財布を擦られる若旦那の役。

尾上松緑の富蔵、「おでんや、おでーん、甘いと、…辛い」の呼び声が、よく通る。そして、ただのおでん屋でない様子がよくわかる。
ブレないこの呼び声が、次の「藤岡内の場」ときれいに呼応している。

中村梅玉が藤岡藤十郎。
この人の透明感というのか、さらりすんなりした空気はちょっと他になくて、わたしは好きだ。
以前に4代目中村雀右衛門との組み合わせで観た『鎌倉三代記』は、花道から出てきた三浦之助の美しさ清々しさが鮮烈で、今も忘れられない。

■中仙道熊谷土手の場

自分でも意外なほど面白かったのが、「中仙道熊谷土手の場」。
あたり一面、雪で真っ白である。
捕まった富蔵が、籠に押し込められ江戸へ移送される途中、家族が駆けつけて最後の別れをする。

中村梅枝が、富蔵の女房おさよ役。

演目でなく、わたしの問題なのだが、普段こういう場面は飽きる。
一方が縋りつき、もう一方が相手を思って突き放すシーンは、似たような会話が繰り返されるからだ。

ところが、中村梅枝の泣き声は、何度聞いても飽きない。
おさよは雪の中でまろび、うずくまり、定式幕が引かれる最後の最後まで悲しく泣きあげている。

今回、富蔵が家族と触れ合う場は、ここしか上演されない。
金を奪ってから捕まるまでに、富蔵が家族とどう交流したか、客席に提示されないまま、この中仙道の場が始まる。

それでも、おさよの嘆きを含め、この場面で家族の間に漂う情愛がきちんと現れている。富蔵は家族にとって大切で、魅力ある人物だったのだと不思議なくらい納得できる。

そして、籠に閉じ込められ、自由に動かせるのは窓のように切り開けられた顔の部分だけという不自由な中で、松緑の富蔵が、ポツリポツリとこぼれる三味線の音と見事に絡み合って、張りと絞りの効いた心情吐露をする。

そのやりとりを固めるのが舅役の坂東彌十郎、役人浜田左内の河原崎権十郎。

権十郎の左内は、いい役だ。別れた家族と話す時間を作ってやるために、「にわかの腹痛」と言って、その場をしばし離れる。権十郎が言うと「腹痛」がちょっと可愛いのがずるい。

■伝馬町西大牢、牢屋敷言渡し

最後は、牢の場面。

牢名主(下手寄り)が中村歌六、上手寄りにいる「隅の隠居」が市川團蔵。他に坂東彦三郎なども出て、團菊祭らしい賑やかさだ。

牢の中に厳然とある階級、悪事の規模と貢げる金品の量でポジションの決まる様子などそれなりに面白いが、誰をみてもゲジゲジ眉に無精ひげ。
声と遠目で役者当てもそろそろ飽きてきたぞという頃に、富蔵の沙汰(刑の言渡し)が明日らしい、との話になる。

なるほど、逃れられぬ現実を突きつける前の、あえての弛みだったのか。

新入りがまた来て、「地獄の沙汰も、金次第」と言うのが、四千両を御金蔵から奪った富蔵だというのがシュールで、黙阿弥らしい。

翌日。
「引き回しの上、磔」と言い渡され、富蔵と藤十郎は、牢に向かって「お題目を頼む」と声をかけると、最後の時へ向かうのだった、というところで幕。

ひとことだけ

巳之助の出番が少なすぎると思う。

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