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『人生における運の要素』

『自己紹介』

どうも。安田将人です。
初期研修医プログラムを修了した後に医者を一旦辞めました。
その後3ヶ月程度は医者の健診バイトなどをしながら日本全国を巡り、
現在はワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアに来ています(投稿時点で4ヶ月程度経過)。

仕事を辞めてから自分自身の価値観とか思考に向き合う時間が増えて、
その中で自分が得たものがたくさんありました。
そんな自分が得たものを今後自分が人生の中のふとしたときに振り返れるように「note」という形で今自分が思うことを書いています。

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『はじめに』

さて今回は「人生における運の要素」というテーマで書いていこうと思います。
もしかしたらこれが自分がこの1年間で一番強く意識したことかもしれません。

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『自分が医学部に入るまで』

『医者をちょっと意識したきっかけ』
僕は福井県の片田舎で生まれてその後ずっと地元の小中高で学生生活を過ごしました。
性格はいわゆる真面目で学校の課題とかは基本絶対提出期限を守るタイプ。
成績は上の方、たまに学年で1番を取れることもありました。
実は医者を明確に目指したことは正直無くって、ちょっと意識し始めたのはおとんの影響でした。
おとんは自営業で整骨院をやっていてその職場の近くが商店街とかになっていたので(とはいえほぼほぼシャッター街)、小学校の頃はそこまでよくおかんに連れて行ってもらっておかんがおとんの手伝いをしている間に僕は1000円程度のお小遣いをもらってその辺りをぶらぶら。
お昼頃におとんの営業している整骨院まで戻って漫画なんかを読んで過ごしていました。

その職場でお客さんは「患者さん」、おとんは「先生」って呼ばれていて、しかも白いKC姿でいたもんだから幼かった当時の僕はそのおとんのことを勝手に医者だと勘違いしていました。
「おとんって医者なの?」って何回か聞いたけど「違う」って言われたことは覚えています。
ただ当時の僕は柔道整復師と医者の違いがよく分からず、ようやく分かったのは中学生になった頃だったかと。違いを知ってからどう違うのかを少し調べてみたら、どうやら医者の方ができることの範囲が大きいらしい、と言うことを知りました。職場で患者さんの施術をして、
「ありがとう、先生!おかげさまで楽になりました!」
って笑顔で帰っていく姿を見ていた僕はそれが良いなと思っていて、
「やれる範囲が大きくなったらもっとたくさんの人にありがとうって言ってもらえるんちゃう?それってええなあ。」
なんてぼんやりと考えて、
「柔道整復師に近そうな整形外科の先生とか良いかも。」
と漠然と考えていました。
ただあくまで選択肢の一つ程度でその他にも教師とか、シェフとか、はたまたただの会社員になるのも良いなとか。
色々考えていたので「明確にこれ!」と言うものはありませんでした。

『半ば投げやりになった医者』
そんな僕も高校生になりました。
高校生になると将来文系の道に進むのか、理系の道に進むのかという進路選択を迫られます。当時担任だった先生と面談をした際に将来何になりたいかを聞かれて、明確な答えを持っていなかった僕はあれやこれやと色んなものを挙げていく中で「医者」という職業に触れました。

思えばこの進路相談の辺りから少しずつ運命が変わって行ったのかなあと思います。
僕の入学した学校は地元の片田舎では進学校と言われる学校で年に数名は東大生、京大生を輩出するような学校でした。その学校が進学にさらに力を入れるべく新しい科を設立して僕はその1期生。
先生方も進学実績が求められる手前大変だったと思います。
それこそ通知表の成績もかなり良いものにしていただきました。
授業の一環で行っていた研究でも大学に行って研究させてもらうとか色々良い経験させていただいたし、他県に出ての発表の機会までいただきました。本当に恵まれていたと思います。
ただ、まだ何になりたいか決まっていなかったので何になりたいと思ったとしても諦めなくて済むように勉強だけはちゃんとしていましたが、医者って決めることには抵抗があって先生からの医者を目指そうっていう言葉をのらりくらり躱していました。

だって血が怖かったし、自分の成績で医者になれるなんてとても思っていなかったので。
高校時代に予備校が出す模試だったり、都道府県ごとに行われる確認テスト?をやったことがある方なら分かるかと思いますが、
僕は当時一応書いていた志望校はどれもE判定、良くてたまにD判定が出る程度でとてもじゃないけど無理だって思っていました。

合格判定イメージ。「勝負できるところにいる捉えてほしい」って書いてあるけど決してDって決して良いものではない。
引用元: https://www.sankei.com/article/20220125-RZHVMO4QNNJPZEKQB6CIY2DTMA/?outputType=theme_nyushi

そうやって過ごしているうちに気づいたら高校生になってずっとやっていた部活も引退し、とうとう本格的に進路を決めなきゃいけないところまで来ました。
何になりたいのかは願書を提出する直前になってもまだ明確に決まっていませんでしたがとりあえず、
「血もダメだし成績的にも厳しいし医者を目指すのは無理!」
ということだけは強く思っていました。
だからその時点で興味のあった職業、進路を片っ端から挙げていきました。挙げ句の果てに願書提出直前にも関わらずに文系になりたいと言いだす暴挙にも出ました。
だけどそんな薄っぺらい付け焼き刃の理由で大人を納得させられるはずもなく、最終的には色んな方に説得していただいて半ば投げやりな形でどうにでもなれといった感じで進路を医者に決めました。

そこからはしこたま勉強して本当に寝る、お風呂、ご飯を食べる時以外の時間は全て勉強に充てていたと思います。最大で16時間くらいは勉強していました。
そのおかげもあってか何とか大学試験には合格。無事医学部に入ることができました。

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『僕が医者になるまで』

『完全になめていた就職活動』
そんなこんなで大学に入学してから楽しく過ごさせてもらっていました。
そして気づいたら5年生になり就職活動の時期になりました。
とは言っても当時の僕は就職活動というものをとてもめんどくさいと感じていてまともにやっていませんでした。
唯一思っていたことと言ったら、
「絶対に県外に出たい!」
その一点だけでそれ以外のことは思っていませんでした。その中で条件の良いところを探して絞り込んでいったら最終的に愛知県のとある病院に行き当たりました。

医者の就職活動は「マッチング制度」というものを採用していて、自分が行きたい病院を数回見学という形で訪れて、顔を覚えてもらったり良い関係を築いた後に採用試験を受けます。そしてその後に自分が行きたい順に病院を並べて希望を出し、採用する病院側も同じように採用したい学生順に並べていきます。
そしてコンピュータ上でお互いの優先度が処理されて採用されるそんな仕組みになっています。
(詳しくは下記ページ参照)
マッチングとは?スケジュールは?基本的な内容をチェックしよう: https://c-mec.jp/square/matching_top/about/

そのマッチングで受かるのは当然人気病院であるほど難しく、普通は2−3個ほど(4−5個とか受けてる人もいる)面接試験を受けることが普通。
ただ就職試験というものをとてもめんどくさく感じていた僕は自分が志望する病院が人気病院ということもあまり調べず、そして自分が他県出身であるディスアドバンテージのことも考えずにその病院だけを受けて、結果見事に不採用になりました。

医者の就活はこんな感じで実習(ポリクリ)の合間を縫って病院見学に行って決めていきます。僕はこの見学がめんどくさくて結構サボってしまっていました。
引用元: https://www.residentnavi.com/matching

『何とか拾っていただいた三次募集』
その後、さてどうしようかと考えていたところ医者の採用試験にはマッチング制度を使ったいわゆる「一次募集」の他に、「二次募集」「三次募集」まであることに気づきました。
簡単にいうと二次募集は一次募集で定員が埋まらなかった病院が穴埋めする募集。
そして医師国家試験は確実に1割の人は落ちる試験。医者の就職試験は医師国家試験の前に行われるのでせっかく採用した人が医師国家試験に落ちてしまい、就職直前になって定員が割れてしまうことがあります。その枠を埋めるために行われるのが三次募集です。
(詳しくは下記ページ参照)
C-MEC マッチング2次募集対策
https://c-mec.jp/square/secondary_recruitment/

「1割確実に落ちるってことは受験者10,000人くらいいるから1,000枠くらいは空く。そこ狙ったら良いんじゃね?」
なんてことを考えた僕は二次募集は受けずにそのまま三次募集に突入。医師国家試験に受かるや否や、あらゆる病院に電話をかけていきました。その結果返事が返ってきたのがその後初期研修医をさせていただいた病院でした。
電話をした翌日に面接に来るようにと言われすぐに車を飛ばして行きました。そこで面接官の医師の方々にお会いし、ほぼほぼ名前を言っただけで合格になりました。
入職してみると同期と就職試験の話になり、どうやら僕の入った病院は人気病院であることに気づきました。みんな試験に合格するために何度も何度も病院に足を運んで志望科の医師の方と良い関係を築いていました。
一方の僕は同じ大学で部活の先輩だった方がいるし会いに行こう程度の本当に軽いノリでたった1度行っただけでした。
もう本当に拾っていただいたとしか言いようが無いです。
ただ当時の僕は「自分の作戦勝ち」という思いが強くて、
「病院なんてそんなどこも変わらんでしょ。みんなそんなに拘らなくても良いのに。」
くらいの気持ちでいました。

『楽しかったけど…』
ただ結果として就職できた病院は僕にとってとっても良い環境で良い先生方にも同期にも恵まれて楽しい2年間を過ごしていました。
ただどうしてもまだ
「本当に自分がやりたかったことって医者だったっけ?」
という疑問が強くこの疑問を抱えたままずっと医者を続けて行ったらどこかで行き詰まるだろうなという思いが拭い切れませんでした。
それに良い職場とはいえ何もかも完璧というわけではなく嫌だなあと思うこともままありました。(まあ仕事ってそういうもんなんですけど、その当時はあまり分かっていなかったです。)
一度自分の考えをリセットしてちゃんと向き合う時間が欲しいと思ったこと、
そしてもっと良い選択肢があるのではないか、その選択肢を探ってみたい。
そんな思いが強くなり、初期研修医プログラム終了後に医師を一旦辞める決断をしました。そしてワーキングホリデー制度を利用して自分が気になっていた海外での生活を体験してみようと思いました。

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『自分が恵まれていたことを痛感した時間』

そこからは日本を巡って、そして海外にやって来て本当に色んな人に出会いました。そしてたくさんの話を聞かせてもらいました。
それだけじゃなくってたくさんのしんどい経験をしました。
初の海外生活ってだけでもしんどいのに、
英語でうまくコミュニケーションが取れずにあまり語学学校にも馴染めなかったので人生初のホームシックになったり、
生活するために仕事探しをしていたけどそれもなかなかうまくいかなかったり。
そんな中で何度も何度も思ったことは、
「自分ってこれまでの人生めっちゃ恵まれてた」
ってことです。

週末はよく1人で家で外で飲んでいました。オーストラリアはワインのイメージだったけど、クラフトビール作りも盛んでおかげで趣味が増えたのは良かったかな。

『努力が実るもの、努力ができるのも当たり前じゃない』
先ほど話したように僕は高校時代に直前だと多い時で1日16時間以上勉強して結果医学部に現役合格できました。それまでも何になりたいか分からないからとずっと勉強することだけは続けていました。
もちろんそれがなかったら医学部に受かることはなかったでしょう。
ただそんな努力をしていたのは僕だけじゃ無いんです。難関国公立と呼ばれる大学に合格するためにみんな必死に努力しています。
そして必死に努力した結果僕が取れたセンター試験の点数は確か85%程度。
これも決して高い点数ではなくって医学部を目指す人ならよく言って真ん中程度。実際合格判定も真ん中のC判定だったかと思います。

それでも僕が合格できたのは運の要素があったことは間違いありません。というかそれが大きいと思います。
僕は推薦入試で医学部に合格しました。だからいわゆる大学試験の二次試験は受けていません。二次試験を受けたら確実に落ちていました。(二次試験で受かるような実力は絶対になかったです。)
真ん中くらいのセンター試験の結果でも僕が医学部に合格できたのは
僕がたまたま入学当時に学校で上の方にいて、そのおかげで学校の先生方が期待してくれて僕の内申点をよく付けてくれたからです。
研究っていう特別な体験をさせてもらったのも同じです。

その部分って自分ではコントロールできない部分です。高校に入学する前に
「この学校なら自分の成績は上の方でいられる」「この学校なら研究っていう特殊な体験をさせてもらえる。何なら大学での研究も体験させてもらえるかも…」
なんてことは考えていませんでした。
単純に自宅から通えてその中で進学に力を入れている学校っていう認識だけでした。

それにセンター試験で結果を残せたのも決して当たり前じゃありません。
中には「センター試験は苦手だけど、二次試験は得意」っていうタイプの人もいます。僕は幸いにもめっちゃ得意な科目があるわけではなかったけど、逆にめっちゃ苦手な科目があるわけでもないバランスタイプでした。
だからセンター試験っていう枠の中では良い点数が取りやすいタイプだったんです。だからセンター試験の対策をしたらちゃんと成績が伸びていきました。それに本番当日の問題も僕にあったものだったのか、本番で最高点を出すっていう自分の中では最高のフィニッシュをすることができました。
でもこれってみんながみんなに当てはまるわけじゃ無いんです。

あとは努力できる環境があったことも当たり前じゃありません。
思えば1日16時間も自分の時間に充てられるってすごい贅沢です。そうしたくても家庭の環境的に、経済的に難しいこともあります。働かざるを得なかったりとか、親の理解がなくてできなかったりとかそれぞれ事情があってできないことがあります。
幸い僕の家庭は裕福とはいえなかったかもしれませんが、両親ともに非常に協力的で当時死ぬほどわがままだった僕の要望をほぼ全て聞いてくれて僕が勉強に集中できる環境をほぼほぼ完璧に整えてくれました。(ほんと感謝しかない。そしてわがままばっかり言ってごめんなさい。)
生まれる家庭は選べません。
それは自分ではどうしようもない運の要素なんです。

それに日本じゃなくって違う国に生まれていたらまた全く違う人生になっていたこともあり得ます。
海外に来てみてそれこそ色んな国の人に出会いました。
そこで思ったのは日本って他の国と比べてもずいぶん恵まれてるってことです。
中には幼い頃から働くのが当たり前で勉強をするってこと自体が難しい国だってあります。
治安が悪くて何もしていないのに強盗に入られてお金、ひどいと命が奪われる国もあります。
そんな国に生まれて簡単に努力できるでしょうか。
色々思うところはあるかもしれませんが、日本っていう国は経済的にも治安的にも非常に良くって日本に生まれただけでかなり恵まれていると思って良いと思います。

努力できるのも、そしてどの努力が実るのも決して当たり前じゃなくて、
生まれた国とか、家庭とか、そう言ったどうしようもない運の要素が絡んできて、
それだけで人生の難易度が急に変わってきます。

それにワーホリに来て色々経験できるってことも当たり前じゃありません。
当然海外に行くのも、僕みたいに語学学校に通うのも相当なお金がかかります。
親にお金を出してもらえる人は良いですけど(もちろんそれもめちゃめちゃ恵まれてる)、社会人になって自分でお金を出すってなると自分で稼ぐのは結構大変です。
僕は自分自身のお金で海外に来ましたが、それも思ったら相当恵まれています。
先ほど挙げたように医者になったのは自分の努力のおかげもあるとはいえ、運の要素がめちゃめちゃ絡んでいます。
そして医者になれてたまたま入職できた病院には非常に良い待遇で雇っていただいて新卒1年目にしては相当良いお給料をいただいていました。
そのおかげもあって短期間で渡航資金も語学学校の資金も貯められました。
何ならバイトをしながら日本全国を巡るっていう贅沢もさせてもらいました。
でもそんなこと簡単にはできないんですよね。
自分なりに節約していたとはいえもらえるお給料が少なかったら大きな額にするには時間がかかりますし、僕みたいに思い立って1年程度で余裕を持った金額にするのは難しいと思います。

日本全国色んなところに行かせてもらえたのは本当に良い思い出。
(特に九州、五島列島は本当に素敵だった。)

医者って勤める病院によって全く給料が変わってきます。(企業に勤める新卒の会社員と変わらないこともある。)
でもそんな給料のこととか、自分が渡航するためには…とかいうことを入職前からがっつり考えているはずもないし、先ほども挙げたように僕が初期研修医として勤めさせてもらった病院に入職できたのは運の要素が強いです。
ちょっと電話するのが遅かったら僕は受かってなかっただろうし、その病院にたまたま知り合いの先輩がいて僕のことを良く言ってくれていなかったらきっと落とされていたと思います。
もちろん作戦がなかったわけではないですが、それって自分ができる微々たる抵抗で最終的にどうなるかは運の要素の方が大きいんです。
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『まとめ』

僕の人生を振り返ってみて世の中にはどうしようもない運の要素が多分に絡んでいるなと痛感します。そして自分はそのことに気づかずに過ごしていたなと。
生まれる国、生まれる環境、自分がどんな特性を持っているのか。
それは自分ではどう頑張ってもコントロールできない部分です。

これまでの僕は人生に運の要素があるってことは分かっているつもりではいたものの、
「自分の努力の要素が強くて自分次第でどうにかなる。だから人生がうまく行っていないのは努力が足りないからだ!」
っていう過剰な自己責任論者でした。
でもそれは全くの逆で僕たちにできることは本当に微々たるものです。
どうにも動かせない運の要素に人生は支配されていることが多いんです。

じゃあ自分がやることに意味はないのかっていうとそんなことはなくって、
運が多分に絡む人生でできる抵抗として
できるだけ試行回数を増やすことがあります。できるだけ多く行動するってことです。
最後は運の要素に支配されているから結果はどうなるか分からないとは言え、何度も何度も正しい努力を積み重ねて失敗してもその度に改善を繰り返していったらうまくいく可能性を上げることはできます。
運にはどうにも動かせない部分もあるけど同時に自分で変えられる部分もあります。
その変えられる部分に集中することが僕たちにできる抵抗です。

今まで過剰な自己責任論者で努力できない人に対して冷ややかな目を持っていた僕ですが、
色んな人に出会って経験を増やして自分で考えるうちに今までよりも人生における運という要素を意識するようになって謙虚になれたかなと思います。

これが僕が考える人生における運の要素です。
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PS: ここまで読んでいただき本当にありがとうございます!もし面白かった、ためになったと思っていただけたら僕に「缶ビール1本差し入れしてあげようかしら。」くらいの気持ちで記事を購入していただけると嬉しいです。

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