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春のような温かさがいつもある学校に… きっかけは、気まぐれでもいいじゃないか 〜心の宝物90・91

🌷いつでもどこでも誰にでも、離れていても後ろからでも何度でも


コロナ機の学校
 4年生の二人は、通学班はちがうものの、同じ方面から西門を通って通学する関係で、前後に列をつくって登校してくることがよくありました。そうして、そんなときは、しばしば次のような姿を見せてくれました。

 大柄な彼は元気いっぱいで外遊びが大好き。その彼が、急な坂道から顔をのぞかせるや否や、まだお互いが豆粒くらいにしか見えないほどの距離から、校門に立つ私に向かって「校長先生、おはようございます!」と声を投げかけます。
 すぐ後ろの彼が即座に反応して、負けじと、大きな声で続けます。少年野球チームで、仲間を励ますときのように、よく通る声が、遠く隔てていても心まで届きます。

 どんどんと坂を登って、30メートルほどに近づいたとき、今度は後ろの彼が、先に挨拶を届けてくれます。さわやかな笑顔がはっきりと見えます。はじめの彼も、笑顔で続きます。他の児童も、どんどん続き、挨拶の大合唱のようになります。

 いよいよ校門に到達、私の傍らを通り過ぎるとき、二人とも目を見て笑顔で挨拶してくれます。
「おはよう。おかげで今日もいい朝です」そう返すと、
「(ほめられたのは)俺だ」「いや、俺だ」
言い合いながら玄関へ向かう背中を頼もしく見送ります。

🌷きっかけは、きまぐれでも、競い合いでもいいじゃないか


 大柄で元気な彼は、繊細で傷つきやすいところがあり、ときに感情が、大きく揺れ動くことがありました。そんな日の朝は、遠く離れてはおろか、傍らを通り過ぎるときも見向きもしません。
 しかし、翌日には、別人のように、心が揺さぶられるほどの元気な挨拶を届けてくれます。

 気まぐれと言ってしまえばそれまでです。
 しかし、そこに心が向いたときには、どれほど困難でも挑戦する。そこにこそ彼の本質があると信じ、温もりを届けてくれたことへの感謝を伝えます。

 その子の様相が10あるとします。そのうち9までが、注意や制止、ときに叱責をせざるを得ない子も確かにいるでしょう。しかし、1のきらめきを見出したなら、たとえ他がどうであっても、100のうちの1であっても、それこそがその子の本質だと、その子が自立していく上で拠って立つところだと信じよう。

 注意や静止になんら怯むことはない。真に必要ならば声高く叱責してもいい。しかし出口では、その子にその子の本質を確認しよう。何度でも、何十度でも、その子の美質の尊さを心から大切に思っていることを、その子にも、保護者にもお伝えし、明日への期待を共有しよう。
 そう話し合いつつ、先生方と歩んできました。

 彼は、学年が進むにつれて、どんなに気分がすぐれないときも、例えば小さな会釈などで、何かしら交歓しないで通り過ぎることは皆無になりました。

 そんな彼と、少年野球に打ち込む彼は仲良しでした。優しく穏やかですが、それがいいと思ったら、流されたり、簡単に逃げたりしない。そんな判断の軸を心の内にしっかりと持っていました。先の彼の感情が大きく揺れたときも、寄り添い、正面から向き合います。彼からも、周囲からも信頼されていました。

 朝の元気な挨拶。あなたたちにとっては、ゲームのような感覚もあるかもしれません。しかし、その行動を選び取ることに必要な勇気や、それが届ける温もりは、確実に相手、この場合は私自身や、周囲の下級生に届いています。その証拠に、どれほど離れていようと、そこにその人がいると気づけば、挨拶で繋がろうとする人の数がどんどん増えています。

 きっかけは、競い合いでもいいじゃないか。たまたま気が向いたからでもいいじゃないか。

 たった一人の、どんな小さな一歩も、多くの人の心を動かし、学校の、私たち一人一人の未来を開く扉になる。君たちの姿から、学校の全員が学ぶことができたよ。ありがとう。

そんな思いでお伝えしました。

かけがえのないあなたへ。
素敵なきらめきをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
どうか、ありのままで。
どうか、幸せで。

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