見出し画像

赤線地帯

大宮から都内の京橋まで片道1時間半かけて見に行ったが、それだけの甲斐はある良い映画だった。日本映画黄金時代の巨匠・溝口健二の遺作である。

正直にいうと、私はこれまで溝口の映画とはあまり相性がよくない。敗戦後に監督した有名どころの作品を何本か見ただけで、「山椒大夫」はあまりに退屈で最後まで見られなかった。
 
 私がこれまでに見た溝口の映画では「近松物語」が最高傑作で、他の映画はどうもあまり好きになれない(というか、あまり見る気が起きない)ものだったが、この「赤線地帯」は期待した通りの良い映画だった。
宮川一夫のキャメラも、後に宮川が撮影を担当した黒澤明の「用心棒」と同じように落ち着いた見易い画面を作り上げているが、何と言っても脚本がよく書けている。
 
 1950年代半ばの吉原にある売春カフェで働く女性たち5人の人生模様を描いた群像劇だが、彼女たち一人一人のエピソードとキャラクターが極めて緻密に描きこまれている。

彼女たちの中で特別に目立つキャラクターは、恐ろしく美形で、恐ろしく金銭に冷酷な若尾文子と、神戸からやってきた自称「八頭身の美女」であるグラマラスな京マチ子なのだが、中年女の生活の惨めさを嫌というほど抱えた他の3人も、それぞれにきちんと見せ場を用意され自らの存在をスクリーンに焼き付ける。
 
 今回、この映画を50を過ぎてから見てよかったと思う。女手一つで苦労を重ねて育て上げた息子に、娼婦であることを理由に見捨てられた挙句、終いには発狂する母親を演じた三益愛子の絶望が理解できるようになった。

母親が自分の子供に裏切られるということは、この世で最も悲惨な光景の1つだ。これに比べれば、血迷った中年男が若い娘に裏切られる光景は喜劇でしかない。だからこそ自らのパトロンを破産にまで追い込んでも、若尾文子は世俗的な成功を収めて、罰せられることもない。
 
 何度も言うように、「赤線地帯」は群像劇の傑作なのだが、作品全体を貫く冷徹なタッチと小暮美千代が演じた眼鏡をかけた娼婦のキャラクターとが「夜の女たちのハードボイルド」とでも言うべきニュアンスを醸し出す。

ヒモ同然の病弱な亭主と乳飲み子を抱えた小暮は、あまりの生活苦に自殺しようとした亭主に向けて、「あたしみたいな惨めな女が娼婦さえ出来なくなった後に、どうやって生きていくのか見定めてやるんだ!」と言い放つ。

体を売ってわずかな生活費を稼ぎ、それでも家賃を払えずに追い出されようとしている女が、誰のためでもなく人としての最後の矜持を捨てない。これこそハードボイルドだ。「極妻」シリーズの岩下志麻がハードボイルドだと思っている人には、この映画の小暮を見て欲しい。
 
 「赤線地帯」には最初から最後まで救いがない。その意味でこの映画は限りなく現実に近いと言える。実際、68年前の話なのだが、現在の世相がこの映画の背景に近付いてきたせいか、私は今見ても古びない普遍性をこの映画に感じた。これが遺作なら、溝口健二は大往生と言っていいと思う。

唯一残念だったのは、国立映画アーカイブ所蔵のプリントの状態があまり良くなかったこと。もっとも520円の入場料で文句を言うのは筋違いだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?