共創型コンテンツ隆盛の時代はユーザーをWEB3的思考にした【落書き】

コンテンツの氾濫ともいうべき可処分時間の奪い合いが日に日に醜くなっていく令和の時代。
そんな時代の若者が陶酔し狂乱の渦を巻き起こしているもの。
それは「自分もコンテンツを作る側にいたい」という傲慢なのでは無いのだろうか。
私はこの傲慢を利用するコンテンツを「共創型コンテンツ」と呼ぶ事にする。


共創型コンテンツは間接民主制の常識を歪めた

例えばそれは、物語を完結させる事無くプレイヤーの成長と共にキャラクターの成長をこまめに見せることができるストーリー型ソーシャルゲーム。
例えばそれは、リスナーと同じ時空(とき)を分かち合える実態が3ヶ月で終わらないアニメ番組を配信し続けられるVtuber。

もっと遡れば、CDケースに入った1枚の紙切れが「自分の人生を変えてくれた人」の人生を変えられるかもしれない、というビジネスモデルを生み出した秋元康。
インターネットが普及した瞬間に「この中なら好きな事していいぞ!」という場を提供し、ユーザーがそのゲームの歴史を紡いだサンドボックスゲーム(MMORPG)。
二次創作の法学的な線引きが曖昧だった時代から大々的に二次創作を許可し、三次創作、四次創作…と創り出したキャラクターが完全に神主の手から離れた所でなお生き続けている東方project。

あらゆる場所で間接民主制が蔓延る現代で、ユーザーは運営に直接影響を与える事はできないし、自分の乗る方舟の大方の行先は運営が決めてあるというのが常識だ。
しかし、その常識を前提に、自分の方舟の行先を1人のユーザーの行動で変えられるかもしれない。そんな状況は、あっという間に人間の優越感を満たしてしまったのだ。
これこそが、令和の時代の若者が陶酔している「自分にコンテンツを作る能力は無いがコンテンツを作る側にいたい」→「コンテンツを運営と"共創"したい」という傲慢な欲望の正体だと考える。

共創型コンテンツはユーザーを労働者にした

情報の民主化で人間はたいそう贅沢になった。そして大したクリエイティビティも無い人間が「コンテンツを作る側になりたい」という欲求を満たせるようになってしまった。

話は変わるが、筆者は日本の大企業がこぞってソーシャルゲームに手を出した時、その流れに強い嫌悪感を示した。
Vtuberが動画主流から配信主流になった時も、私はこの流れに抵抗があった。
ソーシャルゲームも、配信も、終わりが明確に見えないから。ダラダラと惰性で続けても金儲けができてしまうから。ユーザーもダラダラとお金を落としてしまうから。この「惰性」の部分にどうしても楽しさを見出せなかった。

しかし世界はそれをとんでもない方法で解決した。ユーザーを労働者にしてしまったのだ。
ソーシャルゲームでいえば、そう。プロジェクトセカイ、通称プロセカの台頭である。
少年少女の悩み葛藤恨み辛みが詰まったボーカロイドという文化に、ユーザーと同年代で且つ等身大の葛藤を持たせたキャラクター、そしてユーザーと共にキャラクターを成長させることができるソーシャルゲームという媒体。その全てが綺麗に噛み合った。
それらはユーザーのクリエイテビティを刺激し、イラストやショートストーリーといった旧来の二次創作の価値を向上させついに資本が動くようになった。
そもそもボーカロイド自体がコメント欄を中心にした共創型コンテンツであるため、プロセカに刺激され新たなボカロ文化が生まれるという好循環もあった。
これらが運営の供給と供給の間の時間的空白を埋めたといえる。
尚且つ周囲を見渡すと新たなソーシャルゲームが生まれてはすぐに倒れ、その状況がユーザーに「お金を落とさないとここでストーリーが途切れてしまう」という危機感を持たせてしまった。

それを追うようにリリースされたウマ娘・ブルアカ・学マスといった話題作もまた、この危機感まで含めてユーザーに同様の体験を提供出来た故の成功と言えよう。(むしろそれ以外のタイプのソーシャルゲームは原神等のオープンワールドゲーム以外成功してないと言えるし、私はホヨバースには詳しくないのだがアレも共創型コンテンツじゃないかなぁ多分…)

Vtuberはもう言わずもがな切り抜き動画であろう。1h〜12h以上続くこともある配信の全てを堪能する事は困難だ。それを見やすい長さに、山場だけを切り取って再編集するという仕事はとてもじゃないが義務として他人に課すことの出来る労働ではない。

これは先程言及した「旧来の二次創作」にも言えることだが、ユーザーであるにも関わらず望む者が望むだけ労働を費やせ、相応の対価と推しの地位向上に寄与できたという働きがいを得る事ができるという、資本主義経済で動くこの地球上に全人類が望んだユートピア的共産圏を作り上げてしまったのだ。
(実際Vtuberファンにとって自分の推しとは、「皆の人気を集める偶像」よりも「同じ感情を分かち合える同志」と表現された方がしっくりくるのではないだろうか。)

共創型コンテンツはユーザーをWEB3的思考にした

こうなってしまえばもう止まらない。ユーザーからダラダラとお金を毟りながら、供給し切れない隙間はユーザーに労働させ埋めてもらう。その事にユーザーが生き甲斐を感じるのであれば、理論上このスキームで不幸になる人間は生まれない。

これは、大資本や国家といった大きな意思に囚われない代わりに参加する全ての人が労働者であるWEB3という世界を民衆が迎合し始めている、その予兆ではないだろうか。

それでいうと我らがホロライブは、今や切り抜き動画はおろかイラスト楽曲アレンジだけでなくゲーム制作まで公式からのバックアップ体制があり、尚且つそこまでの才能やエネルギーが無いユーザーすらクリエイターにしてしまうべく、サンドボックスゲーム「ホロアース」を開発している。少しでも共創欲のある人間を全員労働者にしてしまわんという勢いすら感じる。

今でこそメタバースやホヨバースと言った「管理者の居るWEB3もどき」が莫大な利益を上げているが、(実際カバーも資本家たちにはこの前例をチラチラと見せておびき寄せてはいるが、)その中で民衆は資本家や国家に屈することの無い世界が到来する事への意識的な準備を着々と進めているのだ。

情報の民主化は人間を贅沢にした。
遂にはほんの5年近く前までただの一般人だったのが、共創型コンテンツによって信者を大量に集めて赤いきつねと緑のたぬきから本気で票を奪いに行こうとする始末である。しかも2人も。

WEB3時代の本格的な到来が何十年後になるかはわからないが、米帝一強による世界平和もそろそろ限界という声も聞こえてきたこの地球で、今以上に激動の時代になる事は明らかであろう。

あとがき

最後までお付き合い頂きありがとうございました!楽しんで頂けたなら幸いです!
最近スランプ気味だったのですが、ソシャゲ嫌いだった自分が「ソシャゲにも長所があるな」って最近気付きまして。「それって自分がV沼に沈んだのと似てるな」とも。
それと前々からどこかで書きたかったユートピア的共産の話が絡められたのも良かった!ホロ界隈で日々推し活してると「この歓びって共産的快楽だよな」と感じることが時々あったのですが、自分なりに上手く言語化できたなと!

他の秀逸な記事に比べるとソースもななければリンクもない落書きですが、もしかしたら普段自分の記事を読まない層にも届くかもしれないと思い参加させていただきました!そこそこいいのが書けた実感はあるしね
それではまたどこかでお会いしましょう!!


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?