感動のハードル

こんばんは!こゆりりこです🎶

いつのまにか、最後の更新から結構日が空いてしまいました…💦
最近はテスト期間で忙しくしていたので、ブログを更新したくてもなかなかできませんでした🥱
先日やっとひと段落し、気持ちにも余裕ができたので、また記事を書きたいと思います✨

ただ、しばらく文章を書いていなかったからか、ひとつの記事を完成させるのに今まで以上の時間がかかってしまい…笑
やっぱりなんでも間が空くとやりにくくなってしまうんだなと痛感しているところです🤣
とはいってもブログは趣味なので、これからものんびり自分のペースで、できる時にできることをやっていけたらなと思います💕

さて、今日はタイトルからも分かる通り…
私たちの生活の身近なところに潜んでいる(?)
"感動"ということについて考えていきたいと思います。

突然ですが、人は一体どういう時に"感動する"と言うんでしょう?

感動するって、そもそもどういうことなのでしょうか?


調べてみました↓

[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。

感動(かんどう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書


⚫︎何かの事柄に対して感銘を受ける
⚫︎心を動かされる

「〜を受ける」「〜される」という言葉から分かる通り、感動というのは割と受身的な心情なんですね!

また、感動って一言で言っても、いろんな種類があるかなと思います。

じーんと胸に響くような感動、心が湧き立ってワクワクするような感動、ちょっと切なくなるような不思議な感動…

皆さんは、自分はどんな時に感動すると思いますか?

考えてみたのですが、私の場合は
自分では気づけなかったような新しいことに気づけたとき
に感動して、大きく心が揺さぶられる気がします☺️

あと、
自分の中で漠然と感じていたことを具体的な形 として認識することができたとき
も"感動した"と言うかなと思いました!

でもこれはあくまで私の場合で、
感動ってほんとに奥が深くて、人の数だけその対象があるのかなと思います。

それはすなわち、自分が"感動した"ものと、他者が"感動した"ものとで違いが生じるのもよくあることなわけで。
人によってポイントが全然違うからこそ、感動的な体験を人と共有したくてもできないことだってありますよね。

自分にとってすごく刺さった!ほんとに心が動かされた!みたいなものがあったとして、それを他の誰かにオススメしたりしても、いいねって言ってくれる人ばかりじゃないというか。

自分は大きく心を揺さぶられたことだったけど、いざ言ってみたら相手は拍子抜けしちゃうくらい薄い反応だった、とかね笑
もちろん逆も然りで、人がすごく感動した!って言っていたのを聞いて実際に触れてみたら自分にはそこまで刺さらなかった、とかもありますね。

あと、感動を覚えたのが同じものだとしても、その理由や視点が全然違かったり。
私はこういうところに共感できるから好きだけど、ある人は違うところを違う理由で好きだったり、ということはよくあるかなと思います。

それは、生きてきた人生が違う人間同士、背景が違うわけだから、同じものでも受け取り方が違うのは当然なんですけど。

でも、あらゆるものについて、それそのものだけを見るのではなくて、その裏にある背景知識など、その人やそのものに対してより深く知ってる=情報を持ってるからこそ感動するっていうこともたくさんあると思うんです!

あとはそもそもの単純な知識量の差も、感動の有無やその質、そして気づけることの多さに関わってきますよね。

例えば、作品に出てくる何かのセリフやタイトルがあったとして、それを額面通りの意味で受け取るのに加えて、自分の持ってる知識を元に独自に考察をしてみるとか。

具体的に言うと、複数の言語を知っている人は違う国の言葉、発音を考えることで、実はダブルミーニングがあったことに気付ける、とか。
歴史に通じている人は、歴史的背景をもとに言葉の深い意味を考えてみたりできる、とか。

はたまた、美術作品などでも、感覚的なアートの楽しみ方もありますが、そこから少し離れて理数的な目で見てみたりとか。

ここで共通してくるのは、結局は視点の転換がカギであって、見方さえ変えればいくらでも新たなことに気づけるということです💕

そして、見方を変えるためにはより多く、より幅広い知識や経験がある方が有利であると言えるのではないでしょうか。

ここまでは感動する対象を作品などに絞って触れましたが、もちろん直接的な人との関わりの中で心が動かされることも多々あると思います。

そういう場合、ただその人の言葉や行動をありのまま受け取るのは当然なんですが、さらに深く踏み込んで、
"その人がどんな背景からその言葉を言ったのか?"
"どんな思いでその行動をとったのか?"
という理由にまで想いを巡らせることで、新たに気づけること、感動が生まれると思うんです。

これはまさに先ほど言った
"その裏にある背景知識など、その人やそのものに対してより深く知ってる=情報を持ってるからこそ感動する"
ということにつながりますよね。

それらを総合して考えた上で、私は常になるべく多く、というより幅広い知識を持っていたくて、かつ1つのものに対していろいろな視点から見るようにしたいなと思うんです。

私は、好きなものや感動するものっていうのはいくつでも自分で増やしていきたいと考えています🍀

もちろん、あらゆるものに対して無理に好きって思いたいわけじゃないです!
ただ、好きだと思う、そして幸せを感じるハードルは自分で下げておきたいというか…

そのためにも偏見や固定観念はなるべく持たないようにしたくて、それって結局自分の幸せを増やすことに繋がるのかなと思います。

一方で、本当に限られたものがクリティカルヒットするっていうのもそれはそれで特別だし、だからこそ一生忘れないようなかけがえのない経験になったりすることもあるだろうし、それもすごく素敵なことだと思います😊

どちらがいい悪いではないと思いますし、感動にもいろいろ種類がありますから、一括りにはできませんしね。

ただ、あくまで私の場合は、"感動のハードルを下げる"ことを良しとするというだけです🫶🏻

この記事の冒頭で、「感動は受身的な心情」と書いたと思うのですが、
私は、受動的な姿勢で感動を受け取れるのを待つのではなく、主体的な姿勢で自ら感動を受け取りに行きたいと思うんです。

何が起こるかわからない私のこの先の人生、生きていれば、さまざまな出来事に出くわしたりするでしょう。
受け取れる言葉、もの、出会いには限りがあるからこそ、そのひとつひとつを自分の中でゆっくり噛み締める…

また、普段からそう意識して生活していれば、ある日突然、全てをひっくり返すようなスペシャルな感動体験を受け取ることができたりもするかもしれません🎶
そう考えるとわくわくすると同時に、日々のさりげない幸せ、感動体験も大事にしたいなと思います。

そして私が理想とする、"たくさんのことに気づける自分"でいるためには、相応の知る努力、想像する努力が必要だと思うので、それも常に忘れないようにしたいです✨

ここまでお読みいただきありがとうございました😊
ではまたの機会に…🌙

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