《論説アーカイブ+》 「いのち」への熱い思い 震災・原発事故の映画2作品から

 東日本大震災から12年を経て2作のドキュメンタリー映画が注目を集めている。原発事故で全村避難を強いられ、暮らしの全てを奪われた福島県飯舘村の酪農業の女性たちの奮闘を追ったのが、『飯舘村 べこやの母ちゃん』。
『生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』は児童74人が犠牲になった同小(宮城県石巻市)の遺族・親たちの物語。どちらも背景は自然災害ながら原発や学校の安全管理をめぐる人災が問題となっており、それに翻弄されたいのちへの思いが丁寧に描かれている。
 
 飯舘村の中島信子さんは45年も牛(べこ)飼いをして来たが、原発事故の放射能汚染で牛乳が出荷停止、牧草も使用禁止になり、営農は破綻した。やむなく屠畜処分にするためトラックに押し込められる乳牛に、「まだ働けるのに…、ごめんな、ごめんな」と叫びかける中島さんの目には、生まれた時から手塩にかけた生き物への愛着が熱い涙となって溢れる。
 
 牛だけではない。飼い猫も体に異常をきたし、夫婦の結婚祝いで植えた木々も3年も経た末の「除染」のために伐採された。何より、慣れない遠方での仮設住宅暮らしで衰弱した中島さんの母親が3か月後に死去した。同映画に登場する仲間の酪農家も甲状腺がんで亡くなった。地域では、避難生活や生活破壊を苦にした自死が相次いだ。
 
 『生きる』には、事実を隠して責任逃れに終始する教委側との対峙の経過を通して、「安全なはずの学校でなぜ?」という疑問、悔しさや憤りや悲しみ、そして何よりもあの朝元気に家を出ながら戻って来なかった我が子のいのちへの親たちの愛おしさが強くにじみ出ている。
 「本当は訴訟などしたくない」との思いを抱えながら勝訴まで7年以上も頑張ったのは、「せめて子供の最期を知りたい」という切ない気持ちに支えられたから。父母らが弁護団と身を挺して現場検証をする映画の場面を見ても、訴訟は彼らが亡き子に代わりその分までしっかり「生きる」、鎮魂の営みそのものだったと実感できる。
 
 原告の一人、只野英昭さんは当時3年だった長女を亡くし、長男が辛うじて津波から生き残って教委の事情聴取などに振り回されただけに複雑だ。今、学校の廃墟で「語り部」をしながら、「いのちを守るための教訓を伝える活動は一生続きます。それは子供への愛情から。あいつらがずっと見ているのです」と話す。
 
 原発事故に抗し、身を挺して再びそれぞれの道で農業に生きる中島さんら母ちゃんたちも言う。「ここで全部やめたら負ける気がして悔しいんだよね。東電と国に、本当におめえら死ねと言われているような気がする」。いのちへの強い思いが人間を突き動かす。
                        (論説は以上)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 原発事故の被害地では、津波による被災地と違って、年に一度当時を思い起こし死者を悼んで祈る“あの日”さえない。関連する死者たちの無念、生活全てを破壊された状況は今もなお継続し、現在進行中の事故が人々の首をじわじわと締め続けている。
 津波被害で壊れたハード面を復活させるというような「復興」もなく、国はあろうことか膨大な原発汚染水をこれから海へたれ流すという加害の上塗りをしようとしている。すべてのいのちを愚弄し、ないがしろにする棄民政策が極まる。
 
#東日本大震災 #原発事故 #大川小学校 #映画 「生きる」 #飯舘村 #酪農家 #映画 「べこやの母ちゃん」#棄民
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?