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能登半島地震ボランティアで得たもの  現場でこそ見える「支縁」の関係性・共苦

 被災地の状況報告に続き、炊き出し活動で考えたことを述べる。およそ支援というもの全般、ケアとはどういうことか全般に通底する視点でもある。長文御免。
 
 2月に計3か所で昼・夕食を提供した炊き出しは、困難な日常を強いられる被災者への直接的な生活支援であると同時に、そこで話をし傾聴する、人との交流が生まれるという意味でいわゆる「心のケア」(精神的寄り添い)の面もある。かねてから、「心のケア」だけが独立してあるのではなく、生活面など様々な実際的支援と密接不可分だと論稿などで述べて来た通りだった。

炊き出し調理中も対話が生まれる

 
 避難所滞在者あるいは自宅避難で食事を受け取りに来られる人たちは、皆それぞれに多様な悲しみと苦難を抱えている。例えば、初日の輪島市立河原田小学校の避難所では、調理をしている所へ通りかかった元教師で教え子が穴水町で亡くなったという男性(64)は「やりきれない」と心境を吐露していた。
 2日目の珠洲市立直小学校でも、当方の調理が手間取ったのに手鍋を持って並んで待ってくれた70代女性は「家が全壊してよそに避難中です。母親が下敷きになって亡くなった。でも生まれ育ったこの土地を離れたくない」と問わず語りに話した。「傾聴」と肩に力を入れなくても世間話がささやかなつながりを生む。
 
 珠洲市立緑丘中学校では、軽自動車で水汲みがてら様子を見に来た30代女性が「長期の断水でとにかく水がなくて困っている。ここの遠い給水所まで何往復もして、1日に何十リットルも運んでいる。市に、地区まで配水してくれるように頼んでも断られた。水は生きる最低限のことなのに、人権が守られていない」と憤懣やるかたない調子で訴えた。「誰かにこぼしたかった」という表情に、「その声、あちこちに伝えます」(被災地報告FB投稿第1報で発信)と答え、炊き出しに誘うと微笑んだ。
 
 食事を受け取った多くの人たちが「ありがとう」「ごちそうさま」「遠いところ(神戸・京都)から御苦労さま」と声を掛けてくれると、こちらも力が湧く。阪神・淡路大震災の際、多くの被災者に寄り添い続け、「心のケア」という概念と言葉が広く知られるきっかけとなった精神科医の中井久夫(当時・神戸大医学部病院)は、著書『災害がほんとうに襲った時』などで、「ボランティアは、その場にいてくれること、存在してくれることが第一の意義だ」と述べている。
 被災者が時期を経ても「見放されてはいない」と感じるという意味ではその通りだし、東日本大震災で宮城県石巻に救援物資配給のボランティアに行った際も、チームが繰り返し訪れる先の被災者は「『また来ます』と言って、本当に来てくれるのが嬉しい」と涙で話していた。そこで、その先を考える。
 
 前投稿でも述べたが、炊き出し作業で多くの人にこちらが助けられた。河原田小では、校舎玄関に構えた調理スペースでぎこちない手つきでニンジンなどを銀杏切りにしていると、おそらくは下手さを見かねたのであろうが、出入りする中年女性が「やりましょうか?」と声を掛けてくれた。一度は遠慮したが、「仕事でやってたから」と。さっと包丁を取り、鮮やかにさばく。
 

炊き出しの助っ人 Yさん


 そしてやはり問わず語りに話が出る。Yさん(66)で、家が全壊して近所の親戚に避難中だ。「元日は私ら夫婦と大学生から園児まで孫5人といたが、大揺れで家から出ることもできなかった。窓の外を見たらずっと向こうの景色が見え、隣の家がなくなっていた。津波を心配したが大丈夫で、命だけは助かった」。うなずいて聴くしかないが、彼女が手伝ってくれたのがありがたいとともに、慣れた仕事へのやりがいや役割という意味で、ささやかに束の間でも気が紛れたのなら、と思うとまな板に涙がこぼれそうになった。
 
 昼食配食からすぐ移動して夕食を作った珠洲の直小では、予想外の需要人数もあって調理にかなり手間取り、5時の配食に間に合いそうにない。すると、損壊した自宅暮らしながら避難所の世話にボランティアとして出入りする近所の主婦Nさん(50代)が「一緒にやりましょう!」と明るく声を掛けてくれ、遅れていた炊飯を手伝い、避難所担当者と交渉して配食を5時半にずらしてくれた。ほっと胸をなで下ろす。
 それでも薄闇が迫る中で空腹を抱えた人の何人もの行列ができると、焦りが募る。すると今度は、やはり避難所の世話に福井県庁から派遣されている職員の男女2人が、さっと加わってくれた。出来立ての野菜鍋煮込みを入れた紙ボウルに手際よくラップを掛け、受け取りに来た人に次々と渡す。額にミニヘッドライトを付け、寸胴鍋から煮込みをすくっては2人にリレーを繰り返すうちに、なぜか至福の感覚が湧いて来る。ありがたい!!
 
 大バタバタの配食が終わると、ずっと寄り添ってくれたNさんは「野菜鍋、美味しかった! お年寄りは野菜、大喜びです。ここは半島なので人の出入りが少なく、特に珠洲は高齢化率が県内一。地震で仕事がなくなったから若い人たちがますます外へ出て過疎になる。でも私はここが故郷だから出たくない」と話してくれた。
 
 すこし理屈っぽいことを書くが、このような苦難の現場では自然に「助け合い」が生じる。「災害ユートピア」などという社会学用語を持ち出さなくても、助ける/助けられるという人と人とのつながりは、「支援・被支援」という垣根をいともたやすく超え、対等な関係性が生じる。一方的に助けられていると負い目を感じてしまうよりも、「一緒」「横並び」がいい。向き合うよりも、同じ方向を向いて協働する「支縁」だ。
 
 これは災害に限らず、貧困や自死などの問題の現場、あらゆるケアや支援の現場でも同じことだ。そこここで、決して強い存在=スーパーマンではない生身の人間たるケアラー・支援者が弱々しく、失敗も繰り返しながら相手に寄り添う姿をずっと見てきた。相手もまた、逆に支援者を支え、「弱い者同士、お互いさま」の助け合いによって、「共苦」の関係が立ち上がることの意義は大きい。そこでは、彼我のいずれが「支援者」なのかさえ分からなくなる。

寒い中、焼きそばに行列が
「炊き出しに並ぶイエス」

 そんな≪支縁者≫は、浄土仏教で言えば「凡夫」だろうが、フリッツ・アイヘンバーグという画家には『炊き出しに並ぶイエス』という版画の宗教画がある。冬のニューヨークで凍えそうになりながら炊き出しを待つ野宿者たちの列、その中にイエスが並んでいる図柄だ。これは、大阪の労働者の街・釜ヶ崎で困っている人を支えるフランシスコ会の本田哲郎神父の著書『釜ヶ崎と福音』にも登場して知られる作品である。
 
 「神(の子)」でもあるイエスは、決して施しをする「助ける側」にいるのではなく、「助けられる側」つまり、貧しく最も小さくされた人々の側にこそいる、という明快なメッセージだ。その姿はとても貧弱で弱々しいが、そのようなイエスを含む「最も小さくされた人々」こそが、彼らを助けようと炊き出しをする人たちを実は支え、助けているのではないだろうか。
 
 今回の能登派遣で世話をしてくれたNPO事務局長でキリスト教信徒の佐々木美和さんは、全国そしてシリア地震など各国の被災地へ支援に行っている。この度も「食べるものも着るものもない最も小さくされた人々のところにこそキリストがいる。そこへ会いに行き、キリストがしたように痛みを抱えた人のそばにいるのです」と『マタイ書25章』にも言及して話した。現地で様々な縁ができたことにも「キリストが出会いを与えて下さった」とも。
 
 筆者は宗教の信仰者ではない。でも、そう、別に聖書を引用してもしなくても、またキリスト者ではなくても、苦の現場での気付きは同じことだ。「関係性」と大げさに表現しなくても、イエスでなくとも、被災地のおっちゃん、おばさんたちが私に大事なことを教えてくれ、「困った時はお互いさま」がお互いに心地よくもあるのだ。深謝。
  
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筆者のFBサイトにもいろいろ投稿  https://www.facebook.com/toshihiro.kitamura.3


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