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「役割」って何でしょうか?

会社の●●課長です、
母親です、
息子です、
夫です、

とにかく色々と出てきそうです。

名前のついていない「役割」もありますね。
バラエティー番組ならば、つっこみ役とか、フォロー役とか。

この「役割」って昔っからあります。家庭でも職場でも。

そして、いい面ばかりじゃなくて、「大変だな」って思う面も正直ありますよね。
なのに、どうしていつの世にも役割はあるのか?

それは、なんらか「いいこと」があるからだと思います。

その点を2つ、今回はお伝えします。

1 定住地確保

「課長」になった、「部長」になったと言えば、
会社の中で存在の「定住地」がある感がしませんか?

「新入社員」ってのもそうかも知れない。

家庭では、男性配偶者が「父親」になったり、子が「お兄ちゃん」になったりします。

そうなると、どうか?
なんらか、この会社にいていいんだ。この家にいていいんだ感も高まります。

なぜならば、「役割」を果たすことで、誰かの役に立てそうだから。

私も最初「母親」になった時は、
「うわー、大変だな。大丈夫かな」
と思いながらも、段々と定位置を得ていく。
「私は、子どもにご飯作ってて大変だからゴミだしてね」
というと、夫は出してくれる。
「お母さんの言うことは、ちゃんときくこと」
「お母さんのお手伝いしてね」

なんて、お母さん威力を無意識的にも発揮していたんだと思います。

これは、いいことだと思います。
やはり役職がつくことで、責任感もまして、能力が新しい場面で発揮される場合も多いです。
また新入社員ならば、「今のところは、分からなくていいよ」というところに存在できます。無理して分かったふりしなくて大丈夫。

「親」になった時に、社会的な仕組みの側面も理解できたりしますし、
子どもも「お兄ちゃん」として頼もしくなったりしませんか。

定住地は大切。そのために、自分は何ができるのか。
そういう社会的な意識をもてるきっかけになります。

2 存在意義(仮)

そして、1のような定位置を得ると、確保しよう、広くしよう、
いや、誰かに奪われないようにしよう、という意識も働きます。

「お兄ちゃん」になった途端に、頼もしくなった反面、「一人っ子」の位置を奪われて、赤ちゃん返りするってこともありますね。

その役割に固執すると厄介です。
「~~しなければならない」が強くなります。
それが、相応な責任感ならば問題ない。
むしろ成長に繋がる場合もあります。

しかしステップをひとつ飛ばした役割を担ってしまったり、
自分の能力より過剰な役割になると、厄介です。

定住地を確保しようと、必死の形相で役割をこなすことになります。
いわゆる、役職が重たすぎる。
役職がなくても、やることが多すぎる、残業ありすぎ、などですね。

私の場合は、親に甘える時間がほとんどなかったのに、親を慰める立場や役割を担ってしまったからでしょうか、
10歳くらいの時に「私ってナニモノ?」と子どものクセに自問自答したり、喜怒哀楽の感情(特に嬉しい、哀しい)が希薄になって、周囲に併せて笑ったふりしていた時があります。

過剰な役割負担は、身体にも心にも影響を与えがち


それでも、定住地を得たいがため、愛しい人のために必死に努力しちゃうのが「ヒト」。

根っこは、ピュアな、誰かのためになりたい!って思いです。
でも、その前にまずは「自分のために生きる」ことも大切です。


そんなことから抜け出すヒントも、今度の著書で書けたらと思って
頑張って書いています!


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