どうして「モノを捨てる」必要があるのか?
よくクライアント様から、
・モノを片付けたい、
・モノを捨てたいけど、できなくて嫌なんです
というお悩みの声をお聞きします・
いわゆる、汚部屋になっていて生活も
不衛生になっていますか?
片づけないと、居住スペースがないならば
すぐに片付けましょう!
しかし、そうでもない方も多いのです。
つまりは、生活に支障はないけど
「捨てられない自分がいや」
なんですね。
そこで、そもそも考えて頂きたいのは
「なぜ、捨てることをしなくてはいけないのか」
です。
それは、ただ一つ。
「捨てる=善きこと、捨てられない=善くないこと」
の構図が頭に出来上がっており、
それに自分を従わそうとするから、苦しい。
今日のクライアント様との対話もそれがテーマでした。
・何かに執着しているのか
・モノの思い出にしがみついているのか
・無精者なのか
しかし、その方は、
きちんとゴミは捨てていて、清潔ですし
生活に支障がでない居住スペースも十分あるのです。
つまりはちゃんと生活できるのに、
「捨てる」が美徳の、精神論に巻き込まれて
「ダメな私」を、自分で創ってしまっている。
誤解のないようにお伝えしますが、
お片付けは良いと思います。
何かを捨ててさっぱりするのも、悪い習慣ではないと思います。
(私自身、結構あれこれと捨ててしまうタイプで、後から悔いることも、まままるのですが。これもある意味反省しております。苦笑)
しかし、「もったいない」精神はどこへ?
役に立たないと思いながらも、
「大事に仕舞う」
という日本的精神もインプットされている私たちなんです。
その世代間連鎖のようなインプットは、沁みついてなかなか外せない場合も多いです。
しかし、本などが爆売してイマドキ精神論ができると
「ダメな私」が形成されます。
・捨てられない私はダメ
・モノの思い出に執着するなんて情けない
などなどの「ダメな私」が産出されます。
「それって、本当にダメなんでしょうか」
そんなお話をしていると
「そうですね、私の家はこのままでも支障ないんです。
心が、かなりすっきりしました」
と、笑顔が出ました。
あなたを縛るルールは、本当に必要なのでしょうか?
でも、ひとりではそれが当然であると思ってしまいがちです。
そんな「ルール」の見直しをしたい方は、
ぜひ、客観的な視点をもつ「他者」とお話しすることがおススメです!
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