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父は、起きていてもやかましい人でした。
難聴なので、声が自然に大きくなる側面もありましたが、あれこれと文句やら意見やらを言いたいので、
「お父さんがいると、やっかましいな」
という日常です。

それで、寝ていてもやかましいのです。
まずは、いびき。何だか知らないけど、まあ象や虎がいるような
「があがあ」系でした。

そして、寝言です。これも大きな声で、
「えっ、何?」
と思うことをいいます。

「〇〇の書類は、なんで違うんや!」
とか、リアルな仕事状況を持ち出して、ほぼ八割文句。上司に対して言えないことを、夢で言っていました。

そんな中でも、もう一系統ありました。親です。
ふとした時に

「お母さん」

とはっきり呼ぶのです。

「お母さん、どこいった?」

といつもよりちょっと柔らかめだけど、はっきりした声でいいます。

その度に
「はいはい、いますよ。って言っておいてね。
安心して寝るからから」

という母の指示通りに、私もそういうと、落ち着い眠りに再びつきました。

「なんて、マザコンなんや」

と思っていました。

しかし、段々と父の生い立ち(3、4歳の頃に父を亡くして、母が弟だけつれて実家に戻った)ことなどを、断片的に知るにしたがって、その寝言を聞くと、なんとなく切なくなる。

そして、この父の誰にも言えなかった寂しさがどんなに大きく沈殿していたいのか、を思うようになりました。

だれかを求める気持ち、
だれかに、承認されたい気持ち
だれかと一緒に生きたい気持ち

そんな根源的な叫びを寝言から聞いていたような気がします。

父も、最期にいた病室では声もでなくて、寝言も小さかったでしょう。
死ぬときも、夜中にベットの横に落ちていて、看護師さんが気づいたら息が絶えていたそう。

でも、死に顔は穏やかでした。

誰も看取れなかった最後ですが、
きっと、きっと「お母さん」が優しい顔で迎えてきてくれた。
手を取って、彼岸に連れていってくれたのだと思います。


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