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「内面に関する対話」と「感性を大事にしながらプロジェクトを前に進める議論」で泥沼にハマり、不要な疲弊をしないための要諦とは?

その昔、会社員だった頃につながったコミュニティでは「感情のシェア」をする文化がありました。

当時、会社員になったばかりで、たくさんのすべきや正しさに適応していた私にとって「何を感じているか」を取り扱う「感情のシェア」は、常識外のことであり、しばらくは「感じる」を「考えようとして」戸惑っていました。

やがて、その文化に慣れてきた頃に弊害に気がつきます。

「感情のシェア」をする中で沼にはまったような重たく・エネルギーが減る時があったのです。

そうではない時との違いを観察したり、実際に話を深く聴いてもらう体験を繰り返すといった実践探究を続ける中で

・感情のシェアと本音のシェアは違うということ

・感情の中には賞味期限切れのものがあり、当人が無自覚に反応的にそれを持ち出すと、他の人にとってのそれが引き出されやすく、その賞味期限切れ同士は結びつきやすくこのあたりが要因となって空気や場が重たくなる、何か疲れるという状態につながりやすいということ

・一方で感情はマインドフル状態、言い換えれば自身に対する観察意識を保ちながら扱うことで、表層というか、外周というか、その内・奥にある本音に自然と気付きやすくなるということ(ただし、しばらくは他者に聴いてもらい、たどり着く体験を積み重ねることが大事)

・上記の話す、聴くができる人で場に対して表現できる力がある人が1人以上いることで、感情のシェアが賞味期限切れの感情・反応のシェアに陥らずに済みやすくなる

といったことに気づきました。

長々と書いてしまいましたが、つまりは個人の内面:感情を取り扱うコミュニケーションにおいて「マインドフル状態を保つ(自身や他者や場に自覚的であろうとし続ける姿勢)」が重要ということです。

この姿勢が「内と外」という対のうち、内の領域において何に自覚的であるとプロセスが健全に促進されるかのガイドラインである、とした時に、一方では外の領域においては「何に自覚的であることが泥沼に陥らないために重要なのか?」という答えが先ほど、ふと浮かびました。

それが、「誰がソースなのか?」ということです。

ここでいうソースとは、ソースプリンシプルという物事を捉える新しいレンズのようなものに関するキーワードとなります。

ソースとは人物のことを指しますが、誰もが自分の人生の「ソースである」という側面(前提・土台)と、「ソースになる」(役割)という2つの側面があります。

この後者のいわば役割としてのソース(トムニクソンの本でいう「グローバルソース」)とは、特定のアイデアに対して実現するためのイニシアチブを立ち上げる最初の一歩を踏み出した1人の人物のことを指します。

図にしてみるとこんな感じ。

このように整理して可視化して思ったのは、「え、これU理論の図じゃん」ということ 笑

U理論とは、マサチューセッツ工科大学 のC・オットー・シャーマー博士が約130名の起業家、ビジネスパーソン、発明家、科学者、芸術家などからなる革新的なリーダーへのインタビューを行ったり、自身の経験を元に生み出された、「過去の延長線上ではない変容やイノベーションを個人、ペア(1対1の関係)、チーム、組織、コミュニティ、社会のレベルで起こすための原理と実践の手法を明示した理論」です。

ぜひこちらのサイトのページをスクロールした先にあるUの図を見てみて欲しいのですが、個人的にはこれまで図の左側については2019年に初めて関連書をじっくり読んで以来、自己探究のガイド的に活用させてもらってきましたが、右側についてはいまいち目を通しても残ってこなかったのです。

手元にはエッセンシャル版含めて2冊ありますので、これを機に再読してみようと思いました。


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