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タイで元ムエタイ選手とスパーリングして感じたこと

2014年の冬頃は「ムエタイチャレンジツアー」という企画で初めてタイに行っていました。

その頃、とてもお世話になっていた身体操作・武道の師に一緒に指導を受けていた経営者の方々とムエタイの聖地の1つであるラジャダムナンスタジアムに見学に行ったり、

チャンピオンを輩出されたジムの方に色んな秘話を伺ったり、現地の選手にスパーリングを挑んだり、

観光という面でのオススメスポットを巡るという贅沢な数日間でした。

ご一緒したみなさまがとても素敵な方々だったので、すごく楽しい時間を過ごすことができました。

私のスパーリング相手をしてくれたのはムエタイの元チャンピオン。

元チャンピオンとスパーリングでしのぎを削り・・・なーんてことはなく、たっぷり遊んでいただきました。

そして、私はアホなことに自爆して、足の甲を打撲したのです・・。お陰でその後は松葉生活でした・・・。人生初の松葉杖がタイ旅行中になるとは(汗)

でも、自爆って書いているように理由はハッキリ分かっています。スパーリングしている時に急に思いっきりやりたくなって力んだこと。浮き足立ったこと。この2つがの結果、相手の堅い骨を蹴ってしまい、怪我をした、、、というワケです。

力む。浮き足立つ。これはコミュニケーションで怪我のような状況になる場合と共通しているように思います。

はぁぁ、実に愚かすぎる(笑)

スパーリングやミット打ちの相手をしてもらった現地の元プロの選手たちをみていてすごく印象的だったことは、

(1)ものすごーーーくリラックスしていたこと。
終止笑顔で身体もふにゃふにゃしていました。

(2)地に足がべたーーーーっとついていたこと。
上記のようなリラックス状態にも関わらず、下半身が特に浮かび上がってくるように感じるほどの存在感がありました。すごかったです。上半身がすごくゆるんでいるようだった一方で下半身は地面にズーーーーンっとめり込んでるような印象を受けました。

武道などで言われる上虚下実(じょうきょかじつ)という言葉があります。これは上半身は虚だと感じるほどに脱力し、リラックスできていて、下半身は丹田など入るべきところに力が入っている状態のことをさします。

まさにこの言葉を体現されているような佇まいを間近で感じさせてもらったのでした。

また、闘い自体も素人に毛が生えた程度の私と違って、元プロの方々は腕力に頼るような闘い方はしませんでした。

私のように腕の力だけ、足の力だけで何とかしようとしているものを「部分力」と言います。

一方で元プロの方々は遠心力やバネ、重力などを活用して闘っていました。

これを「中心力」と言います。

この中心力を発揮するために重要なことは「抜き」です。脱力をし、しっかり重力を感じること。そうすることで初めて、遠心力、体重などを活用することができるのです。

特に脱力は言葉で言うのは簡単ですが、実際やってみると思い込みに支配された自分の身体の動きに愕然とします。。。

自分では脱力していると思っていても、まだまだまだまだ脱力できる余地があります。むしろ当時、人は脱力し切ることへの無意識の恐れを持っているのではないか?とさえ思いました。

私は、師に力んでいる瞬間に何度も何度も言っていただいたことで、やっと自覚できるようになり、意識的に脱力できるようになっていきました。

また、抜きだけではなく自身の中心、「丹田」を感じる、意識する力も大切です。

当時「中心軸のある変化形」と教わりましたが、丹田を軸として、脱力しているからこそ、体が連動しやすくなり、重力を力に変えることができるのです。

成人発達理論では、ある段階以降に発達していく上で「身体領域の探究と鍛錬」「条件づけされた身体をその呪縛から解放する」といった取り組みが必要不可欠だそうですが、振り返ってみるとこの時のプラクティスが後の自分にとって変容だと思える体験の土台となっていたのだなぁと気づかされます。

また機会があれば、当時のプラクティスの気づきなど書きたいと思います。


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