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「東工大飛び級ママ」の自己紹介

noteマガジン『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』では、
日経xwomanアンバサダーでもある発行人・福所しのぶが、日経xwoman Terraceブログに投稿したオピニオンのうち、「子育て・教育」テーマのものをピックアップし、一部再編集してお届けしています。

今回は特別編として、発行人・福所しのぶについて自己紹介させていただきます。
…といいつつ、私のキャリア変遷については、過去のnote記事に書かせていただいたので、そちらも併せてご覧くださいませ。

こちらの投稿では、noteマガジンとして発信するにあたり、「飛び級」をキーワードに教育に対する思いを書いてみたいと思います。


私の最終学歴は、大学院博士課程修了。大学から大学院に進学する際に飛び級もしています。(だから、こんなベタなタイトルのマガジンなのですが)

…というと、「優秀なんですね」「頭いいんですね」といわれますが、私に言わせれば天才肌の人は世の中にたくさんいて足元にも及ばない。私の場合はいつも、地道にコツコツやっていたら運がめぐってきて本人もびっくり、という感じなのです。

そもそも大学受験の直前期に受けた東工大模試の結果は、F判定(合格可能性20%以下)。普通なら志望校再検討した方が…となるところ、前期日程だけでもチャレンジさせてほしい、と挑んだ大学でした。

奇跡的につかんだ合格だったので、「私は末席に引っ掛かっているにすぎない。だから頑張らないと落第するかも」という危機感がずっとありました。それに、2年次の学科所属では成績順に希望の学科を選択することができるので、ある程度は順位も上げていかないと。

当時は実家からの通いで通学時間も長く、門限もあったのが功を奏したのかもしれません。勉強は着実にやっておくスタイルが続いていきました。

そうして末席だったはずが蓋をあけてみたら、2年次には行きたい学科を自由に選べるほど上位に。3年次には大学院に飛び級できる資格をいただくに至りました。

大学院への飛び級(飛び入学)は、大学での成績が良ければ自動的に進級できるわけではなく、大学院入試(院試/通常は4年次の夏頃実施)を3年次で受験できる資格を得るところから始まります。

成績を維持すれば4年卒業時には大学院への推薦入学もほぼ確実という状況の中、3年次で院試を受けるにあたっては次のような壁もありました。
・3年後期〜4年前期で学習する範囲は独学して臨む必要がある
・受験者の中でもある程度上位でないと飛び級は認められないプレッシャー
・入学同期の仲間と別学年になり、関係が希薄化する可能性
・全体の定員に加えて研究室(ゼミ)ごとの定員もあり、自分が合格することで希望が叶わなくなる人の顔がどうしても見えてしまう

こうして振り返ってみても、壁、けっこうありましたね。

それでも3年次の院試受験を決意したのは、研究者だった父の後押しと、私は女性だから大学院に進学するにせよ同じ学歴を1年でも早く取得した方が社会に出る上で有利なのではないか、という思いでした。時は1990年代後半、今や死語かもしれないけれど「寿退社」という言葉もまだ聞かれる時代でした。

そう考えると、あえて飛び級という道を選んだのは、「女性でも活躍していきたい」という思いを証明してみせるためだったのかもしれません。

そんな私が母親になって、子供に伝えたいと思うのはこんなことです。

よく、「日本の大学は、入学は難しいが卒業は簡単。だからきちんと勉強しなければ卒業が難しい海外の大学の方がよい」などと揶揄されたりすることがあります。でも、それは詭弁だなと思うのです。入学後にどのようなスタンスで勉強に取り組むかは本人次第。システムのせいにしている段階で既に自分に負けている、と。

そしてやはり、自分なりの考えを持つこと、自分で決めること。仮にその選択が王道ではないとしても、自分はどうありたいのか、どの選択に納得感があるのか。そこに意識を向ける習慣があれば、この不確実な世の中を切り開いていく力になるのではないかな、と思っています。

これらの考えをベースに書き綴っているブログをお届けする『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』マガジン。今後ともどうぞご贔屓に^^

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