見出し画像

『高学歴親が…』と聞いてドキッ! 〜リケジョな子育てVol.17〜

noteマガジン『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』/第17号です。
このnoteマガジンは、発行人・福所しのぶが日経xwoman Terraceブログに投稿したオピニオンのうち、「子育て・教育(STEAM教育含む)」テーマのものをピックアップし、一部再編集してお届けしています。

今回は2023年3月16日の投稿から。元の投稿は、日経xwomanに掲載された記事『高学歴親がハマりがちな間違った早期教育が子を壊す』(下記リンク)を受けて、感じたことや気づきをシェアさせていただいたものです。
では、どうぞ!

※以下の本文中、「参照記事」とあるのは上記リンクの記事を指します。


「高学歴親が…子を壊す」とはなんともドキッとする参照記事のタイトル。

今回の参照記事は、『高学歴親という病』(講談社+α新書)の著者である成田奈緒子さんへの取材記事です。

私自身、今までのキャリアは少なからず学歴のおかげと思っているひとり。だから、学習力をつけることは大事だと思っていますし、それを学歴という形にしていくのは目標の一つとして悪いことではないと思っています。

特に、私が歩んできた理系の道を考えると、国公立大学の方が経済的な負担が少ないですし、教員あたりの学生数や研究設備、研究費といった面での魅もありました。そんな理想とする環境に身を置くことを目指したいと思ったら、おのずと偏差値の高い方へとなっていったという経緯もあります。

一方で、参照記事が指摘するように、相手の心や立場を理解したりする情操教育が抜け落ちて「勉強さえできればいい」という学力至上主義はいかがか?というのも実感として持っています。

というのは、私は長らく法律系の士業事務所で仕事をしてきました。士業の資格者には高学歴の方が多い一方で、個人の力量が仕事の成果に反映されやすい職種でもあるのです。

そうすると、「学歴が高い」イコール「仕事ができる、成功する」なのか?という問いに対する答えがおのずと見えてくるのです。

日本の教育システムを考えると、「勉強ができる」というのは「与えられた問いに対して正解を導く力がある」ということです。それ以上でもそれ以下でもないのです。かつて採用に携わるようになった頃、先輩に「学歴は事務処理能力」と言われたことがありますが、いい得て妙だと思いました。

「与えられた問いに対して正解を導く」ことが求められる仕事もあるでしょう。そういう場面では学歴が有利に働いてくるのは事実だと思います。

でも、正解を導くだけが仕事ではないですよね。
相手のニーズに応える、相手と協議・交渉するという場面では、学歴はあまり関係なくなってきます。情操教育や経験を土台にした、相手の立場に立って考える力が、仕事の成果を左右することになります。

だから、私はこう考えています。
学習力を身につける意味で学歴があるに越したことはないが、相手の立場を理解しようとする情操教育との両輪でなければ意味がない、と。

* * * * *

さて、余談になりますが、そんな考えの私でも、冒頭のとおり「高学歴親が…」とくるとやっぱりドキッとしてしまいます。

失敗例を見ずに、成功した(生存した)例だけをみてそれがよいと判断することを「生存者バイアス」というそうです。「学歴があるに越したことはない」と思っている私は生存者バイアスにとらわれているのだろうか?とふと疑問に思いました。

でも、ドキッとしたということは、そこになにか弊害があるのではないか?という視点をすでにもっていたことの裏返しかもしれないという気もします。生存者バイアスの只中にいるなら、ドキッとはせずに「高学歴親?何が悪いの?」という感想になると思うのですよね。

そんなわけで、もし何か指摘されて「ドキッ」としたなら、すでに俯瞰の視点にいるわけで、半分はその思い込みから抜け出ているし納得解を見つけるチャンスなのかもしれません。

※書籍『高学歴親という病』のリンクも貼っておきます。「高学歴親」にドキッとしたら、併せてどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?