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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/07)学習ノート①

藤田一照さん(曹洞宗僧侶)が主宰する仏教塾、「道元からライフデザインへ -Institute of Dogen and Lifedesign」の前期最終講に参加してきました(2019年7月27日@すみだ生涯学習センター「ユートリヤ」)。

(先月開催の前期第3講の模様は、こちらからご覧ください)

この「学習ノート①」では、6月一照塾からのhomeworkをシェアするグループワークについて振り返っていきます。

(6月一照塾からのhomework)

「弁道話」で前回講読した「問答1~問答9」の中で、いちばん共感できる問いを1つ選ぶ。また、さらに道元に食い下がる問いを新たにつくる。


0. early bird exercise

きょうはtalkではなくて、ワークでearly birdな時間を過ごしたいと思います。ますは仰向けに寝て「屍のポーズ」になってください。

そして右腕を肘から90度に曲げて、右手の指先を天井のほうへ向けます。
右手の指先が天井に触りにいくように、糸で吊られて空へ引っぱられているようにして、右腕が上へあがっていきます。右手が上へ上へあがっていくことで、肩甲骨も床からわずかに離陸します。

天井から右手を吊っている糸が切れて、右腕が「ドサッ」と床へ落ちてきます。外連味なく「ドタッ」と落として、落ちた後の右腕の感覚を味わってください。落ちてきた右腕と、そのまま床の上にある左腕との感覚の違いも感じてみてください。

左腕も同様に行ないます。
左右それぞれで行なったら、右手と左腕を両方上げて、ドサッと落としてください。ドサッと落とすことそのものを愉しんで。

脚も同じように行ないます。
右足の足裏を床につけて、足裏が離陸し、股関節が90度曲がり、膝も90度の角度で折り曲げます。
その姿勢から、足先が糸で天井のほうへ引っぱられているイメージで、できる範囲内でよいので上へあげて…また糸が切れるので「ドサッ」と落ちます。足が落ちたあと、ため息が出るようなら遠慮なく「はぁー…っ」とため息をついてください。
同じように、左脚、両脚と行なってください。

今度は、両腕・両脚を同時に行ないます。
両腕両脚の4本の柱が天井へ向かって伸びていきます。足が上がるのに追随して仙骨が持ち上がるし、手が上がるのに伴って肩甲骨も床からわずかに浮きます。
両手両足を吊っていた糸が切れて「ドサッ」と落ちてきます。


1. 「安楽」とは?

(塾生aさんのシェア)
「問答6」について。
この問いでは、「行住坐臥」の四儀の中では坐ることが最も"安楽"に近いと言っていますが、そもそも道元さんの時代の安楽と、私たちの現代における安楽とでは異なるのではないかと思うのですが、どのように違うのかが分からないので、その違いについて知りたいです。

〔一照さんコメント〕
ですから、それを「問い」のかたちにして尋ねてください。

私が今回皆さんにこういう宿題を出した趣旨というのは、こういうことです。
この「弁道話」の問答では、道元さんによる自問自答の中でけりがついているのですが、アメリカで坐禅の指導をしていた経験から言うと、この問答がさらなる問いを生み出して、議論が続いていくわけです。

キリがないかもしれないけれど、「しめしていはく」と道元さんが答えていることに触発されて、さらにもう一つの問いを考えてください…という意図をもって、皆さんにこの宿題に取り組んでもらいました。
今の発言で、聞きたいことの"趣旨"は分かったけれど、「質問文」をつくってください。カッコつけた禅的なものでなくてもよいので、いつもの話し言葉でいいですから。

『道元さんが言う"安楽"というものは、もう少し詳しく、かみ砕いていうとどういうことになりますか?』

というお尋ねでした。
「安楽」というのは道元さんにとって非常に大事な言葉で、「安楽の法門」という同じ言葉が、「普勧坐禅儀」の中にも出てきます。それはこういう文脈上でのことでした。

「坐禅は習禅には非ず。唯是安楽の法門なり」

これは道元さんの"口ぐせ"みたいなものなんです。

坐禅は習禅ではなくて安楽…ということは、「習禅は安楽ではない」ということになりますね。
では「習禅」とは何かというと、「禅定を習得する」という意味なので、「"まだ達成できていない目標を未来に設定して、それに向かって一生懸命がんばること"という枠組みの中で行なう瞑想修行」ということになります。
「まだ私が獲得していない"禅定"という特別な精神・心理状態を習得すべくがんばっているような営み」のことを、習禅と言っているわけです。
それが「安楽ではない」と言っているわけですから、そこから逆算して考えれば、安楽の中身というのは自ずから明らかになってくると思います。

「習禅は安楽ではない」という考え方で、私たちにとって親しみがあるのは、いわゆる「受験生マインド」というものです。
"志望の大学に合格する"という目標に向かって、たくさんの競争者の中でひしめき合いながらがんばっている、しかも「通ったら勝ち、落ちたら負け」というある意味シビアな状況の中で、それを判定するのは受験生自身ではなくて大学が決める…ということですよね。
このような状況を考えてみれば分かりますが、ここには安楽はないわけです。

安楽の「安」は、"安心、やすらぎ"という心の状態を言っていて、「楽」は"くつろぎ"という身体の状態を指しています。
「坐禅は習禅には非ず」というのは、坐禅という修行はこういった受験生マインド的には行わないということになります。

習禅する人や受験生に共通しているのは何かといえば、「まだ達成できていなくて、将来達成されるべき何らかの目標を追求している」ということです。そこには「(目標達成までの)時間」という概念が生まれてきます。その時間は安楽では過ごせないし、安楽であってはいけないことになります。安楽になるのは、志望の大学に合格してからだし、禅定という境地に達してからのことですから。

私たちは、修行とか稽古、訓練というものをこういったものとして捉えてしまっているのですが、道元さんにとっては、それは違うということです。
道元さんに言わせれば、坐禅は将来安楽になることではなく「いま安楽であること」というわけです。"やすらぎ"も"くつろぎ"も、いま起きていることを受容すること、言い換えれば「現在安住」ということです。

現在に安住している最も端的な姿勢というのが、あの坐禅の坐る姿勢です。

歩いているということは、必ずどこかへ向かっているということになりますからね。それから、寝ていると精神がクリアにならない。
立っている姿勢は…「立禅」というのがあるから、まぁ悪くはないですね。
それから歩くことも、「歩行禅」とか「経行(きんひん)」というのがありますが、あれはある一定の時間内にどこかへ行くというものではなくて、ただ一歩一歩を誠実に歩んでいるだけで、結果的にどこかへ移動することになるけれど、それが目的ではありません。

立つ・歩く・坐る・寝るのうちで、現在安住を最も純粋に表現できる姿勢というのが、手足を組んで口も閉じて、他の動物にはなくて人間だけが持っている能力を一時的にでも放棄する、坐禅の姿勢であるわけです。

……ということを、道元さんはこの「弁道話」の中では言ってはいないけれど、また逆に、いま言ったことは「坐禅は安楽の法門」の説明のほんの一部のことなので、ここで「そういうことなのね」と全面的に納得されても困るのですが、まあ納得できる理由にはなっていると思います。

……ということで、道元に成り代わって答えてみました(笑)。


2. 同じ山に登っている?

(塾生bさんのシェア)
「道元さんにさらに食い下がって問う」というよりは、道元さんのキャパシティの広さと、俯瞰する力の強さ、また、道元さんが言っていることをいろんな人が伝えているのを聞いて軸がブレてしまっているのを、道元さんが「自受用三昧」といってまとめてくださることで「納得して」しまう私がいます。自受用三昧を本気で分かるには、やはり「坐る」しかないのだな…というのが、私のいまの考えです。

(塾生cさんのコメント)
「問答8」「問答9」に関して。
ここで道元さんは、「日本で初めて"正伝の仏法"を伝えるのは私です」と言い切っているわけですが、これは相当な自信ですよね。
これについて、空海さんはどのようにお考えなのか、真言宗の方に聞いてみたいです。

〔一照さんコメント〕
「"鎌倉新仏教"がなぜ日本で興らなければならなかったのか? 真言や天台ではなぜ済まなかったのか?」ということについて、真言宗の中では議論されないのですか?最澄さんや空海さんが「オレたちがいるのに、なんでやねん?」と言っていたかどうかは知りませんけど(笑)。
真言宗は別として、天台宗の場合は、自分のところ(比叡山)で育てたヤツらが、ことごとく山を下りてしまって、彼らに反旗を翻されてしまうわけですよね(笑)。

(塾生dさん(真言宗僧侶)のコメント)
では、空海に成り代わってお答えします(笑)。
正しさは、いっぱいあっていいんじゃないでしょうか?至るところは同じだけれど、そこへ至る道が違う…ということで。
空海さんは空海さんで、すべての仏教の教えを「十住心論」で真言宗的なニュアンスでランク分けしているのですが、禅については「三昧」の中に含まれているくらいの認識を持っているのかもしれません。
ただ、実際の修行の実践では、坐りかたひとつ取っても、全然徹底されていません。しかし、昔の真言の方たちは坐禅を坐っていたという話はたくさんあります。
いまの日本の仏教の場合は、様々な宗派に分かれて教えが"ジャンル分け"されていますが、昔の真言の世界観では、分けるという話ではなくて、教えの違いを相対的なものとしては考えていなかったのではないでしょうか。


〔一照さんコメント〕
道元さん的には、当時の日本の仏教をすべて見渡した上で「私の抱えている問いに応えてくれるものはない」ということで、命を懸けて宋代の中国へ渡って、日本にいたころには夢にも見ていなかったような人物と教えに出会って、「これこそが正伝の仏法だ!」という確信を得て、それを師である如浄さんから受け継いで日本に帰ってきている…というところから、この「問答8」や「問答9」の発言になっています。

「登山道は違うけれど、ひとつの山を登っているのだから、最後のところで出会って、皆が頂上で握手できる」という議論が、アメリカで指導していた頃にもありましたが、I don't buy it... 私はそういう考え方は取らないようにしています。なぜかというと、

① 同じ山に登っているという保証はない。
② 仏教という山は高い山なので、最後まで登り切れる人はそんなにいない。


ということだからです。

Aさんがaという登山道を登っていて、Bさんがbという道を歩いているのだとして、それぞれが登り切れずに途中で終わってしまったとしたら、AさんとBさんは、同じひとつの山にいながら違う風景を見ていることになりますよね。
なので、「同じひとつの山を違う道で登っているのだ」という考え方を、私はあまり楽天的に納得しないようにしています。

もし道元さんがこのような喩えを出して説くのだとすれば、私だったら「ひとつの山に登っているのかどうかも、登り切れるかどうかも分からないのではないですか?」という"さらに食い下がる問い"を出すわけです。

今回のhomeworkの趣旨として話をするなら、この「弁道話」の問答のようなものを見た時には、一つの思考トレーニングとして、ある問いに対して答えが出たら、その答えをもっと先鋭化するような問いを自分なりに考えてみる。そしてそれだけではなくて、「こういう答えがいいのでは」ということで、答えまで用意しておく。

問いと答えというのは、ペアなんですね。きちんと疑問文が構成されて問う時には、それに対する答えが半分くらい想定されている。その想定がなければ、ちゃんとした問いというのはできないことになっているので、思考訓練としてはいいのではないでしょうか。

誰か他の人との対話の場面だけでなくても、自分自身にもこのような思考実験をしてみることが、簡単に納得してしまわない「ひと鍬でも掘り下げる」という思考の態度を養います。
反論のための反論ではなくて、問題をよりクリアに理解するために「さらに問え」ということは、禅でもよく言われます。


■ 彼らの選択(せんじゃく)

仏教にも、やはり"成熟"というのがあるのではないかと思います。
鎌倉以前には、仏法が持っている特殊な「法力」のようなもので国を護るというようなレベル(鎮護国家思想)で仏教は捉えられていて、平安期以前にも様々なことで人々は苦しんではいたけれど、鴨長明の「方丈記」を見ても分かるように、鎌倉時代になって、天変地異もあれば政治的混乱、戦乱、疫病、飢饉などで「こんなひどい時代に、どうしてオレは生きているのだろう?」みたいな実存的な問いというのを仏教が引き受けなければならない状況になった。

そういう状況になってみると、「南都六宗」の奈良仏教から真言、天台…鎌倉以前の当時の現状では、そういった人々の実存的な要望に応えられるだけの手持ちのカードがなかった、ということです。

だから、法然さんや親鸞さん、日蓮さん、道元さん、栄西さんといった、鎌倉新仏教を起こした人たちは、彼らなりに真面目に比叡山で修行したのだけれど、「"問い"に応えられるものはここにはない」といって見切りをつけて山を下りて、その"問い"に答えを出すような独自の動きを見せたわけですが、彼らに共通しているのは「行(ぎょう)」を一つ選んだということです。

日蓮さんは「南無妙法蓮華経」、これ一つ。
道元さんは「只管打坐」、これ一つ。
法然さんや親鸞さん、のちに一遍さんは「南無阿弥陀仏」、これ一つ。

これなら、「末世」といわれる時代に生きている一般の人でもできる、という行を、それぞれ一つ選んだのです。これを「選択(せんじゃく)」といいます。

真言や天台では、法具などが必要なのでお金が要るし、儀式の様々な規則を覚えなければいけないので時間もかかるわけです。それに比べると、南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏や坐禅…そこに仏教がすべて凝集・集約されているというものが必要になった時代だということです。

日蓮さんは「鎌倉という時代意識」を明らかに持っていたように思いますが、道元さんの場合は、「どんな時代だろうが、これが単伝正直の仏法だ」ということで、時代を越えようとしていたところがありますね。親鸞さんは、それとはまた少し違う感じなのですが…。

法然さん、親鸞さん、道元さん、栄西さん、日蓮さん、一遍さん…それぞれ独自のやりかたで、彼らの存在自体に体現されている時代の要請に応えたというわけです。
奈良・平安の仏教がなかったら、道元さんたちの鎌倉仏教は出てこなかっただろうと私は思っています。だから、奈良仏教の「法相宗」も、空海さんの時に生まれた宗派もまだ続いているし、6世紀に建立されたお寺もまだ残っているし…それらの仏教もまだなくならずに、まるで「地層」のようなかたちをとって存続しているのだと思いますし、こういうことは世界に誇っていいことだと思います。

何年か前に、山下良道さんと私とで出した「アップデートする仏教」という本に触発された若いお坊さんたちが集まって「アップデートする仏教を体感しよう!」というワークショップを企画してくれて、全国のお寺をお借りしてやらせてもらったのですが、そこで初めてといっていいくらいに様々な宗派の若い僧侶の皆さんと交流するようになったことで、いろんな宗派に分かれているけれど、多様なままに共存している「世界に誇れる日本仏教の多様性」という思いを強くしました。これを上手に使えば、すごい財産になるのではないでしょうか。今年は9月に、まだ四天王寺(大阪府)で「"帰ってきた"アップデートする仏教を体感しよう!」をやる予定です。



3. どうしてそんなに"坐禅推し"?

(塾生eさんのシェア)
問答5問答8に関して。
他の宗派のことや、三学や六波羅蜜の中の他の要素に対してそこまで否定的な態度を取ってまで、どうしてそんなに「坐禅推し」なのですか?
道元さんにどのような"時節"が生じてそうなったのか…何かあったのですか?

〔一照さんコメント〕
何かあったのですか…って(笑)
それって、もう既に問答1で道元さんは答えているのではなかったですか?

「しめしていはく、これ仏法の正門なるをもてなり」……PERIOD.

ここに「食い下がる問い」をしないと。

(塾生eさんの"さらに食い下がる"問い)
仏法の「正門」というのは、ひとつなのでしょうか?

〔一照さんコメント〕
正門がいくつもいくつもあったら、正門って言わないでしょう。「雑門」になってしまう。
ここでも、先ほど言った「選択(せんじゃく)」という態度が重要になってきます。自分がやるべき修行を、はっきりと選り分けるわけです。

例えば、親鸞さんにとって念仏は「大行(たいぎょう)」です。「大」というのは「無限大の値打ちがある」という意味です。念仏以外のその他の行は「雑行(ぞうぎょう)」と言っています。
親鸞さんが"念仏一筋に生きる"と決意した時の表現は、

「雑行を棄てて、大行に帰す」

ということを言っています。

親鸞さんから見たら、天台宗には雑行がたくさんあったということです。
「こういう病気にはこのような処方」というようなもの(行)が、仏教にはいくつも用意されているわけですが…それらはやってもいいけれど、雑行だというわけです。その雑行に時間と労力を費やしている暇はないから、「雑行を棄てて、大行に帰す」と言って、選り分けて選んでいるのです。これが「選択(せんじゃく)」と「決定(けつじょう)」ということです。

「歎異抄」をみると、「法然上人の教えに従って念仏申して、もしそれで地獄へ落ちたとしても、私は法然さんを恨まない」というようなことが書いてあります。

山に登る道はたくさんあっても、「どれでもいい」というのではなくて、あなたにとっては一つしかない。「こっちへ行ってみて…違うな」「また別のほうへ行ってみて…やっぱり違うな」というのでは、一生かかっても山には登れないですよ。「その道を選んだら、登り切るまで歩む」というのが、宗教的な決意です。

「人によって、門はそれぞれ違う」というのは、それは外側からの見方ですね。「いろいろあった中から私はこれにしました」ではなくて、道元さんにとっては只管打坐しかなかった…と、道元さんの内側から見たら、こういう言い方をするしかない。

こういった「選択と決定」は、ロジックで決まるものではない。
皆さんは、こういう経験ありますか?
職業を選ぶ時とか、結婚相手を決める時とか、どうやって決まる?
あとになって「この人とでなければいけなかった」ということが"後づけ"で分かってくる場合もある。
親鸞さんにとっても、「法然さんこそわが師」というようにいきなり決まったわけではないと思いますね。いろいろな迷いがあったり、夢殿(六角堂)で救世観音のお告げをもらったり…そして最終的には一つの"大行"を取った、というわけです。

「弁道話」で道元さんが書いていることは、「既に選択決定した人の言葉」ですね。
もちろん、道元さんも内面では葛藤があったかもしれない。"決着"がつかずに宋代の中国へ渡って、如浄さんに出会って決着がついた。
「大事了畢」という言葉があるのですが、私はこれを「修行の方向性がはっきり決まった」という理解をしています。

道元さんの「坐禅これ一本でいこう」という決意は、「鰯の頭も信心から」というようなものではなくて、きちんと筋が通ったかたちで行く道がはっきり見えたのですね。実際にはまだ道を歩んではいないけれど、この道を行けば間違いないというのが分かった、ということです。

そういう段階に入った道元さんが書いている言葉だから、「いろいろある中で、坐禅もいいよ」という言い方はできないのです。悪いけど(笑)。



4. 勉強と修行のバランスは?

(塾生fさんのシェア)
問答3問答5に関して。
只管打坐という行を道元さんは選択(せんじゃく)した…ということは、これま一照さんのここまでのお話を聴いて理解できたのですが、道元さんのサンガ(Samgha)においては、仏教の理論の勉強と坐る行というのは、実際にはどういうバランスで行なわれていたのですか?

〔一照さんコメント〕
仏教の理論を"知識"として学ぶことが既に終わった人たち、あるいは、そういう勉強は必要ない人たちが、道元さんのところへ集まっていたのではないかと思いますね。
例えば、「"〇〇教"を勉強する時間」というのは、永平寺にはないと思います。もちろん、図書室などにはそれに関連する本はあったかもしれませんが。

道元さんの当時の修行道場で行なうことといえば、道元さんのお話を聴いて問答をするとか、修行僧を前にして道元さんが何やら謎めいたことを言ったり、あるいは、ひとしきり話した後に「喝!」とか言って演壇からおりるとか(笑)、そういう禅的な宿題を出すようなことを、決められた日に規則的に行なったりしていました。

また、「正法眼蔵随聞記」にも書いてありますが、"夜話"といって、一日の修行が終わった夜にインフォーマルなかたちで、修行の心得を語ったり、"如浄さんにあった時にこんなことを言われた"という話を問わず語りに話したり、"随聞記"を書いた懐弉(えじょう)さんが道元さんに質問した問いに対して答えたりしていたようです。

そういう様子を見ると、私たちがいま一般的にイメージするような"勉強"、机の上で本を読んで赤線を引く…というようなものではない。「勉強は頭を使い、修行は身体を使う」というようなものではなかったでしょう。
朝起きて、坐禅とか朝課(朝のお勤め)とか、定められたことを淡々と行っていくことが勉強でもあり修行でもある…そういうことをひっくるめて「修行」というわけです。


5. 世法と正法

(塾生gさんのシェア)
問答8の「時節のいまだいたらざりしゆえなり」という言葉と、一照さんや皆さんのここまでのお話に関連して。
"問うていわく"、道元さん、あなたが説く教えは、この先の時節にも永遠たりうるのか?

〔一照さんコメント〕
「道元さんが説いている仏法は、遠い将来で"時代遅れ"になってしまうことはありますか」ということですね?
……「この法は永遠であろう」と道元さんは言うだろうと思います。

ティク・ナット・ハンさんの言葉を借りて答えるとすると、仏法の中には、

1. historical dimension
   (世法、世俗諦)
2. ultimate dimension
  
(正法、勝義諦、第一義諦)

があるといいます。

仏教の教理で言うと、historical dimension(世俗諦)は"縁起している世界"なのです。縁起しているから、生滅(生じたり消えたり)があります。私たちがいま見ているような世界のことです。

それとは区別される形で、ultimate dimension(勝義諦)は「真如」とも言いますが、これは縁起しないので生滅がありません。

道元さんの言葉では、今回読んでいる「弁道話」の"自受用三昧"とか、あるいは「普勧坐禅儀」の最初の段落で「道本円通」と言っているところの"道本"とか、「宗乗自在なんぞ功夫を費さん」の"宗乗"とか、「全体遥かに塵埃を出ず」の"全体"とか、「大都(おおよそ)当処を離れず」の“大都”…などという名前で言われているものがあるわけです。

あるいはもっと堅い言葉でいうところの“法性”だったり。
これらは、人間を含むあらゆる一切の存在や世界を根底から成り立たせているような、根源的な“何か”のことです。
……しかし“何か”と言ってしまうと、historical dimensionの中のことになってしまうので、ほんとうは”何か”とも言えないのですが、そういうようなものが想定されているわけです。
「存在の根拠」と言ってもいい。でも、「存在の根拠は、根拠ではない」のですよ。存在だったら根拠にはなれないので……ちょっと難しい話ですが。

いま言った”自受用三昧”とか“道本”とか“法性”とかいうものは、時代によって変化するものではないのですよ。
松尾芭蕉の言葉で「不易流行」というのがありますが、historical dimensionのものは"流行"して、ultimate dimensionは"不易なもの"です。
道元さんは、不易の側に立っているのですね。

「正伝の仏法」は、将来の時代状況に合わなくなることがありますか?

という質問でしたが、合わなくなるものがあるのだとしたら、それは仏法を説く「説き方、ボキャブラリー」が合わなくなるだけだ、と道元さんは答えるでしょうね。
真言宗や天台宗や、またはそれ以前の、鎌倉仏教が生まれる前の日本仏教の説き方とか強調の仕方とか、あるいは"仏法のプレゼンの仕方"について、道元さんにとっては「食い足りない」ところがあったのかもしれませんね。

空海さんや最澄さんたちも、ultimate dimensionに"肉薄"した人たちですから、それぞれが一宗立てられているのだと思いますが、この次元というのは本来、言葉を超えているし、表現などできないものなんですよ。

このことはブッダにとっても同じで、「自分が悟ったことは言葉では表現できないから、誰にも理解してもらえないだろう…」と言ったのはこのことなのです。でも、それでは済まなくて、ブッダ本人にとってはそれでよかったのだろうけれど、ブッダが"決着"がついても、周りを見渡して決着がついていない人がたくさんいると、「かつての自分がそこにいる」というように見えるわけです。

だから、いわゆる「樹下の打坐」から立ち上がって、ultimate dimensionを指し示そうとして、わざわざ危ない橋を渡ってこちら側(=historical dimension)に帰ってきて、ultimate dimensionを指し示す言葉を言うのだけれど、如何せん"成功率100%"というわけにはいかなくて、語れば語るほど迷うような人も出てきたわけです。
それで時代に合わなくなって、大乗仏教が興ってきて、大乗仏教も様々な変遷を経ていまに至っているわけです。

historical dimension(世俗諦)と、ultimate dimension(勝義諦)というのは、両方必要だということです。勝義諦のほうは"アップデート"するとかしないとかの話にはならなくて、私たちが"アップデートする仏教"と言っているのは、historicalからultimateへの「通路」みたいなものをアップデートしなければならない、ということです。


6. お釈迦様はなぜ「只管打坐」と言わなかった?

(塾生hさんのシェア)
問答5に関して。
「坐禅は仏法の全道なり」、坐禅の中に仏法がすべて含まれるというのなら、なぜお釈迦様は「初転法輪」の時に"ただ坐れ"というシンプルな教えを説かなかったのか?
誤解を招くことがあるかもしれないのに、「四聖諦、八正道」などといってわざわざ言葉を尽くして仏教をしようとしたのか?
それは、ここで道元さんが言っていることと矛盾するのではないですか?

私は、学校時代の「宗教」の授業で、「お釈迦様は初転法輪で八正道を説いた」と習ったのですけれど、その時に「お釈迦様は"一緒に坐禅をしましょう"と言った」という話は聞いていなかったので、なぜお釈迦さまは「坐る」ということを中心に据えた説き方をしなかったのか?と思いました。

〔一照さんコメント〕
いわゆる「ゴータマ・ブッダの仏教」が生まれたばかりの頃は、仏法などというのは誰も聞いたことがなかったのですが、道元さんの時代は、ブッダが説いてからもう何百年も経っているわけです。
なので、人々の間の受け皿というか、仏教に対する「familiarity」が全然違うわけです。

ブッダが悟った直後に、誰かがブッダに向かって、「あなたは神々しい姿をしておられるが、何か特別なことがその身に起きたのですか?」というようなことを聞いたので、ブッダは"華厳経"に説かれているような「一の中に全てがあるし、全ての中に一がある」というようなことを言ったのだけれど、その人は「はぁ?」というような感じで全然理解されなかった。

そこでブッダは、「このレベルの話は、皆には全然通じないのか…」ということで、さらに歩いていって、かつて共に修行した5人の仲間たちと出会うまでに、「大学院レベルの話をしても分からないから、まずは幼稚園レベルの話からいこう」ということで、人々が理解できるレベルまで下りていって話し始めて、それで皆は分かったのですが、分かったといってもそれは結局は幼稚園レベルの話で、そこからどんどん育てていって、最終的には法華経レベルの「お前たちはもう既に悟っているんだよ」というようなことを説いたら、500人くらい去っていった…みたいなことが書いてあります。

いま言ったこれらのことはもちろん作り話だと思いますが、仏教の長い歴史の中では、様々な経典がお互いに矛盾する内容を言っているものがたくさん出来てきました。昔の人たちは、それらを"歴史的な産物"であるとは思えなくて、「すべてブッダがほんとうに言ったこと」だと思っているから、それぞれのお経が違うメッセージを伝えている理由を考えなければいけなくなったわけです。それでいま言ったように「相手のレベルに応じて言っているのだ」というような前提で、例えば法華経が最高のお経だと思っている人にとっては法華経が最高のお経になるように、華厳経が最高と思っている人にとっては華厳経が最高になるような順番と理由で、お経を整理するようになりました。
しかしこれらは歴史的に言えばナンセンスな話で、要するに、それぞれ違う人たちが、仏教をそれぞれ異なる理解をして言っているだけの話であるわけです。

なぜお釈迦様は「一緒に坐禅をしましょう」と言わなかったのか?

という質問ですが、実際にはお釈迦様は弟子たちと一緒に坐禅をしていたと思います。「なぜ"言葉を尽くした"のか?」というと、何も言わなければ人々が坐る理由を理解できなかったからだと思います。

何も言わずにそのまま仏教を始めていったら、弟子たちはかつてブッダがお城を出てやったような「苦行」をしていただろうと思います。
坐る意味とか方向性を伝えなければ、表面的なかたちだけは坐っていても、お釈迦様が導きたいような方向を向いて坐ることにはならないから、まずは「修行の取り扱い説明書」みたいなことを言わざるを得なかったのではないか、と私は思います。

修行というのは「修行とは、これこれです」というようなことは書いていないわけです。修行は生活の隙間隙間に入っているようなものなので、こういうことを私は「オーガニック・ラーニング」と言っているのですが、当然ブッダは弟子たちと一緒に坐っていただろうと思います。
禅の人たちは「坐禅しても何にもならない」と言いながら、実は坐っているわけです。それは、仏弟子たちの生活の規則の中に"坐ること"が織り込まれているからです。
そういう否定的な言い方をするのも、ともすれば「習禅」的に坐ってしまうからです。

仏教の文脈の中に置いていまの問いを考えてみると、ブッダは坐禅の話をしなかったけれど坐禅をしていたと思いますし、「四聖諦、八正道」といった"正しいDharmaの理解"がなければ、正しい坐禅はできないから、それを説く必要があったということになります。

……いまそう問われたから、私はこの場で一生懸命想像して答えてみました(笑)。


7. 正師はどこにいる?

(塾生iさんのシェア)
問答3の「しかあればすなはち、この疑迷をやめて、正師のをしへにより、坐禅辨道して諸仏自受用三昧を証得すべし」に関して。
仏法を、人からだけでなく山や川などの自然や、あるいは災害などから教えられることがあったり、また、「師」ということに関しても、"反面教師"というような学び方(?)がある中で、この問答に言う「正師」を立てるというのはどういうことなのか?
正師とは、どういう人で、どの辺にいるのですか?

〔一照さんコメント〕
9月から京都で開講する仏教塾のテキストは、道元さんが書いた「学道用心集」という文章ですが、その中の10の用心のうちのひとつには「正師とはこういうものである」ということが書いてあります。

この中で道元さんは「正師を得ざれば学ばざるに如かず」、正師が見つからなかったら仏道修行なんかしないほうがいい…というような極端な言い方で、正師の大切さを説いています。

正師がいないと修行の正しい道程に留まれない、というのが一つの理由です。正師の前提として、「正しい法(Dharma)を引き継いで、正しい選択(せんじゃく)と決定(けつじょう)に基づいて大行といわれている道を歩んでいるということが確信できる人」ということがあります。親鸞さんにとっては法然さんだし、道元さんにとっての正師は、宋で出会った如浄禅師であったわけです。

しかし、親鸞さんが「この人の言うことには騙されたっていい」というくらいに法然さんのことを思ったり、道元さんが如浄さんについて「私が中国に行ったのは、この人に出会うためだった」とまで言ったわけですが、そこまで思ったのは、法然さんの弟子たちの中でも親鸞さんくらいしかいなかったし、如浄さんにもたくさんの弟子がいたのに、その法脈を引き継いだのは結局は道元さんや数少ない人たちだけだったのです。
いくら親鸞さんが道元さんが「この人こそ正師だ!」と言ったって、他の人にとっては正師ではない…ということは大いにあり得ることです。

なので、正師と言われる人が客観的に存在するというよりは、「その人を正師にする、正しい弟子がいる」と言ったほうがいいかもしれません。あるいは、「正師を弟子が生み出す」

如浄さんは、道元さんがやって来て法を継いで日本に帰ったあとすぐに亡くなってしまうのですが、空海さんの正師であり、その当時に真言の正しい伝統を一身に体現しているといわれた恵果阿闍梨(けいかあじゃり)も、空海さんに法を伝えて空海さんが日本に帰ったあと亡くなっている…という、空海さんも道元さんも示し合わせていたわけではないけれど、このような2つの面白い偶然があります。

如浄さんの言行を記録した「如浄禅師語録」というものがあって、いま研究されているのですが、如浄語録に書いていある如浄さん像と、道元さんが「天童古仏」といって褒めそやしている如浄さん像とでは、かなりのズレがあるという研究があるそうです。「如浄さんは実はそんなに大した人ではなかったかもしれない」ということで(笑)。「如浄さんを大した人にしたのは道元さんだ」という人もいるくらいです。
道元さんの言っていることにはそんなにウソはないだろうと私は思うのですが、しかしその一面では、正師を生み出すのは弟子であるとも言えるわけです。師が大したことなくても、弟子がすごければ正師になっちゃう…という話もあり得る。

「正法眼蔵随聞記」の中にも、「師が"仏性とは、ガマガエルやみみずである"と言ったら、弟子は「何で?」とか聞かないでそのまま信じろ」と書いてあります。

知識若し仏と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はゞ、蝦蟆蚯蚓を是ぞ仏と信じて日比の知解を捨つべきなり。(正法眼蔵随聞記)

それはまず必要なことなのです。なぜかというと、道元さんの言葉で「旧見(きゅうけん)」と言いますが、仏法を理解する前に得てしまった古い思い込みというのを捨てなければいけないからです。
仏性というと何か光っているもののように思っている人に対しては、教育手段の一つとして、ガマとかみみずという下賤で汚いものが仏性だと言って信じさせないと「旧見」は破れないというわけです。
それは正師というものを立てておかないと、「そんなバカなことをいうやつは正師ではない」と言っていたら、いつまでたっても全然変わらない。

現代ではこのような「師と弟子」という人間関係は、ほとんどありませんよね。皆さんには師と呼べるような人はいますか?「メンター」ぐらいだったらいるかもしれないね。
メンターが、白いものを黒だと言ったら信じる?そもそもそんなことは今のメンターは言わないか…。

「正師はどこにいるのか?」という質問ですが…それは自分で探すしかないですね。来るのを待っていてはいつまでたっても現れないから。「正師は何年かかっても、どんな手段を使ってでも探せ」みたいな言い方もあるし、「弟子に準備ができたら、そこへ正師は現れる」という言い方もあります。

皆さん、正師を探しましょう!

反面教師よりは、正師のほうがいいと思う(笑)。

師へのつき方が分かれば、いろいろなことから学べる、それこそ災害や様々ん経験から学びを得ることができる。「師から学ぶ」というのは、学び方の一つのモデルになると思います。

むかしは「随身」といって、弟子は師の身の回りのことを全部やるわけです。師匠が「…コホン」と咳をするかしないかのうちに、弟子はちり紙をパッと出すとか。師が何をするのか、先の先まで先回りして分かっていて、必要な時に必要なだけする。やり過ぎると「うるさい」と言われるし、間に合わなかったら「愚か者」扱いされる。そういうかたちでなければ伝授できない何かがあるのでしょうね。こういうことも、オーガニック・ラーニングの古いスタイルの仕組みになっています。


……このあと、学習ノート②に続きます。


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