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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/10)学習ノート③

(ここまでの10月一照塾)
オープニング・ワーク「岡田式静坐法」の模様は、学習ノート①にて。
9月塾からのhomeworkをシェアするグループワーク「学道用心集"分かりたい一文"のワーク」の前半部分は、学習ノート②をご覧ください。

この学習ノート③では、ノート②に引き続いて、グループワーク「学道用心集"分かりたい一文"のワーク」の後半部分について振り返っていきます。

1. 流れを入して所知を亡ず

(塾生fさんのシェア・質問)
釈迦老師云く、観音流れを入して所知を亡ずと。即ちこれ意なり。動静の二相、了然として生ぜず、即ちこれ調なり。(レジュメp.62)
(釈迦老師がおっしゃっている、「観世音菩薩は、外境をありのままに受け入れながら、しかもそれらにとらわれることがない」と。すなわちこれがこの意味である。動や静の二つの相(あり方)が、明らかにありのままでありながら、しかも何も(迷いの心が)生じることがない。これがつまり(身心の)調ということである。

……これが、分からないですね。何がどう分からないかが分かりません。

〔一照さんコメント〕
僕らがものごとをとらえる時には、「動いている」と「止まっている」という2つの「相(すがた)」のカテゴリーに分けていますよね。
「了然として生ぜず」というのは、その2つの違いがはっきりと区別されているのだけれど、「動いているから嬉しい」とか「止まっているから嫌だ」ということ、執著とかリアクションが生じない、ということです。

その前のところの、「観音流れを入して所知を亡ず」というのも、見るものはちゃんと見えているし、聞くものはちゃんと聞こえているのだけれど、それに対するリアクションが起きていない、ということです。
「流れを入す(かえす)」というのはどういうことかというと、「回向返照」ではないけれど…僕らの意識というのは外に向かっているのですね。
例えば、絵に描いてみますと……

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ここに「見目麗しい女性」がいたとして、僕がその女性を見る時には、身体感覚的にはこんな感じで「目が飛び出して」いるわけです。これは「流れを入していない」目です。僕らは見たものに対して引っかかってしまうのです。

一方、観音は"音を観る"という人だから見方が違っていて、音を観るというのが坐禅の時の状態なので、例えば歌舞伎の"見得"のギロッとしたような、力が入って"取りに行こう(taking)としている目"、見たものにとらわれて執著している目ではなくて、

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やわらかく、ふわっとリラックスして「迎え入れている(receiving)目」というのがあるわけです。これが「流れを入している」目です。

前に、僕は街で観察していたことがあるんですよ。向こうからきれいな人が歩いてきて、それに対して男の人たちは、この「飛び出している目」でずーっと見てるんです。それで、その女の人が去っていったあとに、飛び出している目で見ていた男の人たちが互いに顔を見合わせたら、ばつが悪いんじゃないかなと思いました。「……お前もか。」みたいな感じで(笑)。
女性だって、イケメン男性が歩いてきたら、思わず知らずこういう「飛び出した目」になるんじゃない?

それは、見たものに「触れてしまっている」わけですよね。大体、視線というのは、手は伸ばさなくても"触りに行っている"わけですよ。中には手を伸ばす奴もいますけどね。


◆ 背触ともに非なり
禅の古典の「宝鏡三昧」に、「背触(はいそく)ともに非なり」という言葉があります。

意言にあらざれば、来機また赴く。
動ずれば窠臼をなし、たがえば顧佇に落つ。
背触ともに非なり、大火聚の如し。
ただ文彩にあらわせば、即ち染汚に属す。

「背」というのは、見ないようにすることです。
例えば、戒律を守り過ぎている人が、「女性を見てはいけない!きれいなものを見てはいけない」といって目を背けるようなことです。そういうものがいつも近づいてくるんじゃないかといってビクビクしているような態度、これを「背」といって、これもよくない。

あと、例えば「ジャイナ教」の人たちというのは、殺生を固く禁じられているので、歩いたり坐ったりするときに小さな虫を殺してしまわないようにと、手に箒を持っているそうです。


汚らわしいものに目を背けるようなこと(背)も、きれいな女性に、飛び出している目の視線で触れに行くようなこと(触)も、「背触ともに非なり」ということで、どちらもよくないということです。

シェアしてくれた文章でいうと、「動」と「静」の二相のどちらにもとらわれてはいけない、ということですね。観音菩薩というのは、外側に向かって流れている意識を入して(返して)、所知(見たもの聞いたもの)にとらわれない態度を取っているということです。

こういった感覚器官の使い方というのを、坐禅の時には稽古しているのです。

耳も、聞きに行くのではなくて「聴こえている」。
目も、見るのではなくて「観えている」。
そういう態度でいると、目は自然と「半眼」になっていくのです。
僕らのほとんどの場合、半眼といっても「飛び出して、取りに行く目」というモードのまま視線を下に落としているだけなので、正確な意味ではこれは坐禅の目ではありません。

すべての感覚器官を「receiving mode」にすることが、「流れを入す」の中身だと思います。この状態にしないと、見たものにとらわれ、聞いたものにとらわれてしまう。receiving modeになると、所知を亡ずることができるし、了然としてはっきりと区別しているのだけれど、とらわれ・迷いが生じない、ということです。こういうことが「調」である、とここでは言っています。坐禅は、三調(調身・調息・調心)ということで、まさに調ですよね。

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僕はこの学道用心集を読んで、調が大事であるということが分かって、すごく良かったなと思っています。
坐禅というのは「調える」なんてそんな平凡なことではなくて、もっと特別な境地に至ることだとずっと思っていて、そういう境地に至りたいと思ってやっていましたから。
そういうことは"難行苦行"的で、調えることのほうがもっと難しい。それはなぜかというと、人間は有所得心を持っているから。難行苦行は有所得心がやらせていることですけれど、無所得心に"回心"していると、こういう「調える」ということが愉しめるというわけです。

「心」というのは、僕らの一つの"オペレーションシステム"のことなので、そのOSを入れ替えることと、見たり聞いたりすることというのは、そのOSが動いている様子ですが、それの"向きを変える"こと。この2つがセットになっていて、この両方が必要なのではないかと思います。

§


2. 慧可断臂、倶胝竪指

(塾生gさんのシェア・質問)
古人、臂を断ち指を斬る、神丹の勝躅なり。(レジュメp.60)
(古人は、自ら臂を切り落として道を求め、弟子の指を切って悟りを得させている、そのような中国の勝れた故事がある)

……臂を断ったり指を切ったりすることというのは、私たちの普通の感覚からすると「突拍子もないこと」のように思えるのですが、道元さんはそういう突拍子もないことを褒めているのですか?

〔一照さんコメント〕
用心第四「参禅に知るべき事」ですが、別なところで「参禅は坐禅なり」といっているので、参禅というのは坐禅のことです。
坐禅を中心とした仏道修行というのは「一生の大事」、一生涯において最も大切なことであると書いてあって、次のところには「忽せにすべからず、豈に卒爾ならんや」と書いてあります。
この「忽せにしない、卒爾ではない」ことの例として、「臂を断ち指を斬る」が挙げられています。


◆ 慧可断臂
臂を断ったのは、菩提達磨大師に教えを請いに行った、禅の二祖、中国人として最初の禅の祖師になった、慧可という人です。
慧可が自分の腕をお盆に載せて、壁を向いて坐っている達磨さんに向かって差し出している様子を、雪舟が絵に描いていますね。「慧可断臂図」という作品です。


曹洞宗では「断臂接心」という修行をします。
…といっても、皆で臂を断つわけではないですよ(笑)。
達磨大師と慧可大師の故事をしのびながら坐禅をします。

達磨さんは南インドから中国にやって来て、当時の梁の武帝と問答したけれど全然ピンと来なくて、"これでは見込みがない…"と思って、

如何なるか是れ聖諦第一義。(仏法の第一義とは何でしょうか?)
磨云く、廓然無聖。(がらんどうで、聖なるものなど何もない。)
帝云く、朕に対する者は誰そ。(一体、私の前にいるあなたは誰なのでしょうか?)
磨云く、不識。(そんな事は知らない。)

嵩山少林寺の洞窟にこもって、ずっと壁に向かって坐禅してました。
達磨さんのうわさを聞いて、もともとは道教の行者だった慧可さんは、道教では心が晴れなかったので、ブッダから伝わってきた法を体現した人が来ているというので、教えを請いに行きました。

けれど、「達磨さん、教えてください」と話しかけても、達磨大師はずっと壁に向かったままで返事もしてくれない。慧可さんはそのままずっと待っていたのだけれど、その時達磨さんが「お前、何しに来たんだ?、お前のような志の浅い者には、法は分からん!」といって追い返すわけです。
それで慧可さんは、「もっとcommitmentを見せなければ」ということで、左の臂を切って達磨さんに差し出した…という故事です。

◆ 艫綱を切る
この故事は何を意味しているのか?
先ほどお話した、漢方医の伊藤真愚先生と一緒にいた時、この話題になったので聞いてみたことがありました。伊藤先生はこのように答えていました。

わしが思うに、慧可さんは道教の人だったのだけれど、その時はまだ「道教の艫綱(ともづな、船を岸壁に繋ぎ留めておく綱)」が切れていなかった。それを切って、自分を白紙に戻すという意味で"臂を断つ"というシンボリックな表現になっているのではないか。

今まで歩んできた路線を、未練がましく引きずるのではなくて、それを切り落として路線を変える、回心の始まりとして臂を切り落としている…というふうに僕は受け取っています。そういう「断臂」という表現がふさわしいほど、今まで積み上げてきたものを全部捨てて、仏道修行にコミットしたという例を思い出しなさい、ということですね。


◆倶胝竪指
指を切ったのは、俱胝和尚という、禅問答で何を聞かれても黙って親指を立てていたという人です。宋代に成立した中国禅の歴史書『五灯会元(ごとうえげん)』には、俱胝さんのこんなエピソードが載っています。

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「弟子が師匠である俱胝さんの真似をして、聞かれたことに対して指を立てて答えている」といううわさを聞いた俱胝さんは、「お前、最近オレの真似をして、何を聞かれても指を立ててるそうだな!」と言って、「如何なるかこれ仏法」と弟子に問うたら弟子が指を立てたので、俱胝さんは弟子の指をスパッと切り落としたというのです。
弟子が「痛てーっ!」といって逃げ出そうとするのを、名前を呼んで呼び止めた俱胝さんは、弟子にまた「如何なるかこれ仏法」と同じ質問をしたら、弟子はまた指を立てようとしたけれど指はもうない。そのとき弟子はハッと悟った…

…という故事です。

これも、「豈に卒爾ならんや」、参禅学道はどうして軽率でよいことがあろうか、軽々しく考えてよいのだろうかということの例として引いているわけです。弟子を悟らせるには、指一本も切り落とす手段を取るのも辞さない、ということです。


◆ If you meet the Buddha, kill him!
こういう過激な例示というのは、揚げ足を取るようなことではなくて、「それは何を言うためにそういう過激なことを言っているのか」を考えるためのシンボリックなものとして受け取るということですね。過激なのは承知の上で言っているわけです。禅では、こういう罰当たりのようなことを競って言っていたようなところがあります。
これはホントかどうか分かりませんが、写真で見たことですけど、アメリカの砂漠のハイウェイの道端に「If you meet the Buddha, kill him!」と書かれた大きな看板が立っているというのです。砂漠でブッダに会ったことがある人がいたんですかね?(笑)
これは、臨済さんという人が言った「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ(『臨済録』)」から取った言葉ですね。

「お経なんてものは、尻を拭く紙だ」という言葉もあるし、「仏像は、暖を取るためにちょうど良い」みたいなことを言っている人もいます。

「仏は家を捨て国を捐つ、行道の遺蹤なり」、これはブッダのことですね。世俗で安楽に生きるよりも、真実を求めて道を歩むために、国を捨て家を捨てる…という例が示されています。それくらい大事なことなんだよ、ということです。
世俗の道から仏道へ転換するためには、今までしがみついてきたものを手放す、give upすることが必要になります。手放すものが、ここでは臂だったり、指だったり、家だったり国だったりするわけです。

自分が後生大事に持っているロープを手放さないと、地面に下りて歩けないということです。それがたとえブッダでも、このロープになり得るということで、臨済さんが「If you meet the Buddha, kill him!」と言っているのは「手放せ!」ということですね。
こういうことは、さまざまな宗教で儀式的なものとして残っています。ブッダはお城を出たときに、髪を切って、その時に着ていた高そうな服を全部脱いで、お付きの御者に渡しました。

また、アッシジの聖フランチェスコも、彼はお金持ちの商人の息子でしたが、ある時、神さまの道を歩もうと"発心"して、「これはあなたに頂いたものだから、あなたに返します」といって、着ていた服を全部脱いでお父さんに返して、街の十字街頭で衆人環視の中、裸になって、近くに落ちていた布をまとって自分の服にした…という話があります。中世後期のイタリアの画家、ジョット・ディ・ボンドーネが「聖フランチェスコの生涯」という絵を描いています。

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◆艫綱を切り続ける

世俗から仏道への転換のための「放棄、手放し」というのは、一度やったら終わりではなくて、それをし続けなければならない。道元さんはそれを「髪を剃り、また、髪を剃る」と言っています。一度切ってもまた生えてくる髪というのは「煩悩」のことですね。

僕も、安泰寺で師匠にこう言われました。

坊さんになるということは、仏教では「川のこちら岸からあちら岸へボートで渡ることだ」というような喩えで言われているが、いくらボートを漕いでも"艫綱(ともづな)"を切っていなければ、ボートは少しも向こう岸へは近づかないぞ。その艫綱は、一度切っただけではダメで、切り続けないと、また生えてくるからな。生えたら、また切れ。

実際に修行生活を始めてみると、学生時代に一緒に研究した人たちが今どうしているのかとか、関わっていた仕事はどうなってるだろうか、その時ちょっとつき合っていた彼女はどうなってるだろうか、手紙でも書こうかしら…というのが気になりました。「あ、こういうことを艫綱というのね!」と思ったものでした。

§


3. 正師とは、誰か?

(塾生hさんの質問)
道元さんの時代には、ほんとうに「正師」はいなかったのか?
現代から見直してみた時に、一照さんの目から見て正師に相当する人というのはいるのでしょうか?

〔一照さん回答〕
先ほども言ったように、「師匠と弟子」というのはペアですので、Aさんにとって"すごい!"という人はBさんにとっては"最悪…"かもしれない、ということがあり得るので、名前を挙げてもしょうがないことだと僕は思います。
例えば、あなたの携わっている医学の分野で、師と仰がれている人はいると思いますが、そういう「衆目の一致するところの人」というのはいると思いますけれどね。

僕にとって師匠と呼べる人は、先ほどもお話した野口三千三先生、伊藤真愚先生、内山興正老師ですが、僕の直接の師匠というのは、僕を得度してくれた内山老師のお弟子さんで、安泰寺で6年間一緒だったし、僕がアメリカに渡ってからも頻繁にやり取りしていましたが、正師というのは、別に「一人だけ」でなくてもいいわけです。「一夫多妻制」ではないけど(笑)、"一弟子多数師"みたいな感じでもいいと思います。


◆ root master

チベット仏教では、師匠を見つけるのがすごく重要です。それこそ"血の契り"みたいな儀式をして、一生ついていく。白い猫を見て、師匠が「これは黒猫だ」と言ったら弟子は「黒です」と言わなければいけないような関係になります。そういう師匠は、自分を導いてくれる「グル(導師)」と呼ばれます。特にチベット仏教では、文字で書き表わせないような"秘伝"のような仏教の行を伝えるには、師匠と弟子がこっそり秘密にやり取りする親密な関係に入らないといけないわけです。そういう師はたくさんいては困るので、一夫一婦制の結婚みたいな関係です。そういう師を「root master」と言いますね。

ダライ・ラマさんなども、ただ一人のroot masterはいますが、「この分野に関してはこの人が最高権威、これに関してはこの人が最高の人」という具合に、多くの師や先生から"英才教育"を受けてきたわけです。
僕らもそういう師・先生はたくさんいてもいいけど、核になるroot masterは一人いたほうがいいと思いますね。

内山老師も僕の師匠も、もう亡くなりましたけど、今もやっぱり胸の中にいますからね。「こういう時、師匠だったらどう言うだろう?」とか、「こういうことをやったら、師匠は怒るだろうな…」ということをいつも思いますからね。こういう感じで師匠の存在が自分の中にimprint、刻印されているのは、やはり"一緒に暮らしたから"ということが大きいでしょうね。

安泰寺である晩のお茶会の時に、「きょう、お前らの前を通ったら、耳にイヤホンをつけて踊ってた奴がいたんだよ」と師匠に言われたことがありました。それが誰だか、名前は言わないんですけど、仲間は皆知っているので、「ああ、一照か…」ってことになるんですよ。僕が見られたくない時に限って、師匠は僕の前を通るんですよね(笑)。

僕は、洗濯物を干している時に雨が降ってきても「雨が止んだらそのうち乾くからいいや」って、そのまま干しておく癖があるんですよね。いまでもそれをやって、うちの連れ合いに怒られるんですけどね。
それも、師匠とお茶を飲んでいる時に雨が降ってきて、「あの洗濯物は誰のものか、俺は知っているぞ。あのまま乾くまで置いておくんだろうな?」と師匠に言われたことがありました。僕の性格を、僕より知っているんですね。

……こういう話をし始めると、僕の悪いところばかり出てきて、僕の評価が下がりますのでこの辺でやめておきます(笑)。

§


4. 有心でも無心でもダメ…って?

(塾生iさんのシェア・質問)
況んや仏法は、有心を以て得べからず、無心を以て得べからず。
(レジュメp.55)
(言うまでもなく仏法は「有所得の心」では得ることができない。かといって、「無所得の心でこそ」と拘っても、これまた得ることができない)

……一照さんは、「無心のマインドフルネス研究会」を主宰されていますね。また、先月の塾では「Instead of A, B.」ということで、「Aのやり方ではなく、Bへ」というシフトについて、皆で考えました。
ところが、ここで道元さんは「有心でも無心でもダメ」と言っています。これはどういうことでしょうか?

〔一照さんコメント〕
このレジュメの下の段の現代語訳では、"有心と無心"というのは「有所得心と無所得心」と書いてありますが、これはちょっと違うのではないかと僕は思っています。

有心というのは、「有というものに執著している心」だと思っています。僕らは、物事は「有る」と思っていて、有るものに執著する傾向があります。ものは"有る"から触れることができるので、「背触ともに非なり」の"触"の方ですね。

ここで「無心」というのは、例えば鈴木大拙が「無心ということ」で言っているようなことではなくて、「無に拘っている、執着している心」という意味で僕は受け取っているのですよ。

この場合の「有と無」は、相対的な有と無、対立している有と無のことだと考えていて、一方の心は「有る」ということに執著していて、他方は「無い」ということに執著している…「背触ともに非なり」の"背"の方ですね。
そういう"物事を2つに分けて、どちらか"というような、相対的な心では仏法は得られないよ、というのがこの文の意図ではないかと思います。

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用心第四を最初から読んでみますと、「仏法修行は、必ず先達の真訣を受けて」、先達というのは、師匠のことですね。羽黒修験の山伏に、星野文紘先達という人がいますが、先達というのは山伏だけではなくて、「道の先を歩いている人」。
仏教というのは、道を歩くことに喩えられます。初心者というのは、道を歩き始めたばかりの人。先達というのは、同じ道を先まで歩いているから、「ここに落とし穴があるよ、ここに水たまりがあるよ、この先に迷いやすい分かれ道があるよ」ということをよく知っているのですね。
師匠も修行者なのだけれど、弟子と違うところは「弟子がこれから歩くところを既に歩んでいる人」ということなので、そういう人でないと、道の歩みを導くことができないのです。

そういう人が授けてくれる「真訣(正しい修行態度)」を正しく受け継いで、それに従って修行していくべきで、「私の用心」、先ほど話した"自分の物差し"を基準に「これはよい、これはいけない」と判断してはいけない、ということです。


◆ 「中道」の2つの定義 - ブッダの中道
仏教で大事なのは、中道…「中」ということです。
これには2つの意味があって、仏教で最初の中道は、ブッダが定義したものです。
ブッダが初めて仏法を人に説いた時のキーワードが「中」でした。ブッダが菩提樹の下で悟りを開いた時に、

僕が悟ったことというのは、言葉で表現できるものではないから、他の人に伝えることはできないだろう。伝えても誤解されて、世の中を混乱させ惑わせるだけだから、僕自身の問題は解決したのだから、これでいいだろう

…ということで、自分ひとりで黙って涅槃を愉しんでいればいいと思っていたところへ、梵天さんが降りてきて、

Wait a minute, just a second !
ちょっと待ってください、ちゃんと話せば分かる人もいますから、お願いしますよ!

…と3回くらい頼んで、それでブッダが「うーん、そうか…じゃあ、やろう!」といって心を翻して、樹の下から立ち上がったのでした。


◆ 第1のプロジェクトから第2のプロジェクトへ
ブッダは、「自分の問題を解決する」という個人的な"第1のプロジェクト"は終わったのですが、この時から"第2のプロジェクト"が始まって、それに伴って「悟り」の意味も変わったのではないかと僕は思っています。
第1のプロジェクトでは、僕の問題が解決することが"悟り"の意味だったのだけれど、第2のプロジェクトでは、

「僕の言っていることが他の人にも伝わって、他の人もいま僕が味わっているような"nirvana = 愉快な人生"を得るまでは、僕は悟ったとは言わない、僕はブッダであるとは言わないよ」

と言っているのです。第1のプロジェクトから第2のプロジェクトへ変わる時に、「ブッダであること」の意味が変わっている…と僕は考えています。


◆ 初転法輪

このように、プロジェクトを成熟させた、あるいは"深化"させたブッダは何をしたかというと、かつて苦行を共にした5人の仲間(五比丘)のところへ「彼らなら話が通じるだろう」と会いに行きました。

その5人の仲間は、かつて"苦行のヒーロー"だったブッダが、村娘スジャータから乳粥をもらったり、川で身体を洗い浄めたり、坐りやすいように敷き藁を敷いたりしているのを見て、「ブッダは"chicken out"した、怖気づいて堕落した」と思っていました。

久しぶりにブッダが遠くから歩いてくる姿を見て、五比丘たちは示し合わせて「あいつは弱虫ゴータマだから無視しようぜ、挨拶なんかするなよ、眼も合わせるな」みたいなことを言っていたのだけれど、向こうからやって来るブッダの姿があまりにも神々しいので、思わず合掌してお迎えしてしまいました。ブッダの悟りが身体の外へ漏れ出してしまって、佇まいが変わったということでしょうね。

それで五比丘たちは「あなた、かつてのゴータマ・シッダールタではないようだけれど、何かあったの?」って聞いたんでしょうね。それでブッダは、

むかしの名前で呼んではいけない。
call me tathāgata、私は「如来」である。

…と答えました。

そこでさらに五比丘たちは「ほお、タターガタ…真如から来たりしもの!あなた、何がどうしてそうなったの?」と聞いたら、

「私は中道を見つけた」

…と、ブッダはいきなり中道を説きはじめました。ブッダのこの最初の説法は「初転法輪」と呼ばれています。仏法は、「煩悩を踏み潰す車輪」に喩えられて、Dharmaのシンボルになっているので、初めて法輪を転じたと言われているわけです。

この時ブッダが説いた中道の意味は何かというと、

「感覚的な快楽に偏るでもなく、かといって、難行苦行的なメンタリティに偏るでもない」

ということでした。

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◆ 2つの「行き詰まり」を離れる中道
"感覚的な快楽"というのは、かつての「お城の生活」を指しています。もうお城には戻らない、そこでの生活は乗り越えている。

お城の生活の時のような感覚的快楽に溺れるという行き詰まりと、お城を出てからあとにやったような「決められた理想や目的を達成するためのメソッドを一生懸命やるようなアプローチ=苦行」という行き詰まりを離れた中道を見つけた…というのが、ブッダによる最初の中道の定義です。

多くの仏教書では、この部分を「偏り」と書いているのですが、僕は

「行き詰まり」

と言ったほうがいいと思っています。

実際、ブッダは行き詰まっていたわけですよね。「お城の生活をこのまま続けていたのではダメだ」という行き詰まり感があってお城を出たし、難行苦行を一生懸命やったけれど行き詰まって菩提樹の下に坐ったので、僕は「行き詰まり」と言ったほうがいいと思っているのです。

快楽という道と苦行という道は、最後には結局行き詰まってしまう、Dead endがあるのだけれど、中道はオープンで、行き詰まりがなくて、どこまでも歩いていける道なのです。


「中道」の2つの定義 - 龍樹の中道
それから何百年か後に出てきたのが、"第2のブッダ"と呼ばれているナーガールジュナという人です。漢訳名では「龍樹」と呼ばれています。
龍樹…カッコいい名前ですよね!僕も息子ができたら「龍樹」と名づけようと思っていました。龍樹と書いて"たつき"と読ませて、お坊さんになるのだったら"りゅうじゅ"にしようかなと思ってました(笑)。

龍樹による中の定義は、ブッダと少し違っていて、「有と無の二辺を離れた」ということです。

ブッダの中道は「生活のしかた」に関わる"中"なのですが、龍樹の定義は「存在の態様」についての"中"ですね。

「有」というのは、我々のことですね。凡夫は「有ること、有るもの」に執著してしまうので。"背触ともに非なり"の「触」です。
一方、無に執著するのは、"二乗(声聞乗、縁覚乗)"と呼ばれている人たち、"小乗仏教の人たち"です。二乗の人たちは「俺たちはそういうことには一切関わらない」と、凡夫を嫌って否定しているので、"背触ともに非なり"の「背」の方です。

龍樹さんは「大乗仏教の大成者」と言われている人なので、これはもちろん大乗仏教的な立場からの"中"ということになります。中という語は同じサンスクリット/パーリ語なのですが、ブッダと龍樹とでは意味が異なります。


◆ the third way
いま質問してくれたところで言うと、「有心でも無心でもダメ」というのは、有心というのは凡夫、無心というのは二乗という意味で僕はとらえています。
大乗仏教は、この2つを離れた「第3の道」なのです。凡夫のように、有るものに触ってくっつくのでもなければ、二乗のように毛嫌いして目を背けるのでもない。そういう立場でできているので、この2つの立場からはDharmaは理解できないということになります。凡夫が理解できないのはもちろん、二乗も、大乗仏教的な法というのは理解できない。

第3の立場というのは、第1の立場からも第2の立場からも理解されない、嫌われる。中立の立場というのは、対立している両陣営から「何で俺たちの方へ来ないんだ?中間なんて曖昧じゃないか?!触るか、逃げるか、どちらかしかないだろう?!」と攻撃されます。
「触りもしないし、逃げもしない」というのが、"中"なのです。
このレジュメの現代語訳で、有心は有所得の心、無心は無所得心としているのは、意味としては弱いのではないかと思っています。

§


5. 仏道修行と「正邪」の判断

(塾生jさんのシェア・質問)
邪を捨てる方を知らず、豈に正に帰するの道を登らんや。(レジュメp.64)
(邪なものを捨てる方法を知らないで、どうして正しいものに向かう道を登ることができよう)

……仏法を体現しようとして、"修証一等"で日々仏道を行ずるのですが、「正邪」と言う時には、ここには価値判断が入ってきますよね。判断が入ることと、あるがままを受け入れて仏法を行ずることとは、どのように折り合いをつけていったらいいのでしょうか?
そのすぐ後の段落で「参学、識る可し」と書いてあるあとに、やってはいけないことが列挙されているのですが、正邪という価値判断が入ると、やってはいけないことがどうしても出てきてしまう…。そういう思量分別を「離れたところに」仏道はあるのですよ、と道元さんは書いているのに、正邪のことを言っているのは、どういうことなのでしょうか?

〔一照さんコメント〕
いま挙げてもらった文章は、修行者という"学ぶ者の立場"から見た時に、「仏法に適っている=正」、「仏法に反している=邪」というような判断を、自分の小賢しい「物差し」を基準にして測ってはいけない、ということを言っていると思います。
そういうことをし始めたら、キリがないじゃない?僕らの物差しというのは、基準がコロコロ変わって、頼りにならないですから。そういう何の根拠もない、頼りにならないものを物差しにして正邪を測ってはいけない、ということです。

その証拠に、「この文化では常識なことも、別の文化では非常識」というように、文化によって物差しは違うし、例えば、同じ食べ物・料理について、ある地方では「こんな食べ方、絶対にしないよ!」というものでも、別の地方ではその食べ方が当たり前だったりするわけです。

そういう相対的なことを物差しにして価値判断していたら、紛糾してしまいますよね。仏道修行でそれをやり始めたら、同じところをグルグル回りして、絶対に前に進まない…ということがあるわけです。

正師というのはなぜ正師なのかというと、「仏法を体現している存在」だからです。正師の言った通りに修行する…「言うとおりに修行すべき人」のことを正師と言ってもいいですね。その人のやることは、全て仏法の表現になっている。
そういう人の真訣(正しい修行態度)を受け継いで、指導を仰いで、その通りに行ずるというのが間違いのないことであって、

「まだ仏法を体現していないあなたが、自分の物差しでもって正しいとか邪(よこしま)だと価値判断していたら、何も始まりませんよ!」

……ということが、この部分で道元さんが言いたいことだと、とりあえず理解した上で文章を読んでみると、

若し己見に同ずれば是と為し、若し旧意に合(かな)わざれば非と為す。
(もし自分自身の見解と一致すれば正しいとし、もしこれまで思っていたところと合致しなければ誤りであるとする)

…というのは「ペケ✖」と書いてあります。

「邪」と言っているのは、己見や旧意のことです。「今まで持っていた物差しを捨てないで、その上に正しいものを乗せることはできないでしょ?」というのが、今あなたが挙げてくれた文章の意味だと思います。

縦い塵沙劫にも、尚お迷者たらん、尤も哀れむ可し、之れを悲しまざらんや。
(無量の時間が経過しても、相変わらず迷った者でいることになろう)

「何も変わってない、進歩が全くない」ということですね。
道元さんにとっては、こういう修行の用心について、様々に言い方を変えながらくり返し説かざるを得ないような実例が周りにたくさんあった、ということでしょうね。
道元さん自身にも、こういったことで悩んでいた時代があったんでしょうね。それで、にっちもさっちもいかなくなって比叡山を下りて、宋に渡ったら、如浄禅師という「間違いのない正師」に出会ったので、あとはもう迷いなく道を歩んだ、師匠の言うとおりにやったというわけです。


◆ 道元さんが受けた「真訣」
その時、道元さんは師匠の如浄さんからどんな「真訣」を受けたかというと、

「日本から来た道元さんよ、これから日本に帰ったら、中国留学から帰った僧ということで"箔がついている"から、大臣やら政治家やらがいろいろ寄ってくるかもしれないけれど、そういう人たちは一切相手にしないように。山奥にずっとこもって、私が授けた修行を行じて、1人でも2人でもいいから、ほんものの仏法を伝えてください」

と言われたらしくて、道元さんはほんとうにこの通りにやって、世俗の権力者から呼ばれても出かけて行かなかったし、どうしても断れなかった時には行ったけれどすぐ帰ってきたし、特別な人しか着ることができない、色のついたお袈裟をもらっても、一生着ることはなかったそうです。

道元さんが中国でいかに「ほんとうの仏法、ほんものの禅僧」を見てきたか…ということは、『正法眼蔵随聞記』にも書いてあるのですが、道元さんが日本にいたころには、日本で僧侶になることというのは、高い位につくことがお坊さんが目指すべきことだと、道元さんの周りで"先生"と呼ばれていた人たちも皆言っていたけれど、宋に渡って、ほんとうの仏教僧のありかたを知ってからは、そういうことが全く気にならなくなったということが書いてあります。

「良いお坊さんの実例を見たかったら、中国を見なさい。宋よりもっと前の、唐代以前のほんものの僧侶の行ないを手本にしなさい。その辺で偉いと言われているお坊さんのことは相手にするな」

…と、道元さんは弟子に忠告しています。

正法眼蔵随聞記は、英語では「informal talk」と訳されていて、かしこまった場ではなくて、夜に道元さんと弟子たちが一緒にお茶を飲みながら、あるいは少人数の弟子たちに向かって思うままに話したことが記録されている書物で、道元さんの本音が出ているのだと思います。

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……このあと、学習ノート④に続きます。


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