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8.釧路での生活スタート

スピリアルライフナビゲーター
マルコヒロミです。

こちらのブログを選んで下さいまして
どうもありがとうございます。

前回の投稿
7.3歳の頃の私を振り返り感じたこと


1975年春

両親が東京の幼稚園に入園するための
準備をしたにもかかわらず

直前になり急遽
父の北海道釧路市への転勤が
決まりました。

はじめての飛行機に
ドキドキしながら乗り
古い一軒家の社宅での暮らしが
始まりました。

初めて住んだ釧路の家は
蜘蛛やワラジムシなど
私の大嫌いな虫が住み着いていて

家の中に蜘蛛の巣が張ったり
毎日テンション駄々漏れ状態
本当に嫌な氣分で過ごしていました。

ちなみに今は自然豊かな場所に住んでいて
虫嫌いを大分克服することが
出来ています。

そんな中、幼稚園初登園の日が
やってきました。

この日に、同じクラスのお友達が
北海道弁を教えてくれました。

それは・・・

「しゃっこい(冷たい)」
という言葉でした。

水で手を洗っている時、
水道の蛇口から出てくる水が
ものすごく冷たかったことを
覚えています。

その水を触りながら
みんなで「しゃっこい、しゃっこい」と
何度も連呼していました。

家に帰ってすぐ手を洗いながら
「しゃっこい」と言ったら
何故か母に 

「そんな言葉使うんじゃありません」
と怒られてしまいました。

その当時は何故怒られたのか?
理由が全く分からずポカーンとする私。

今振り返ってみて、よく考えてみると
母は函館生まれの函館育ち。

映画を観ることが大好きで
ずっと東京や外国(特にアメリカ)に
憧れを持っていました。

その反面、自分の住む場所や
使っている言葉に
コンプレックスを感じていて

北海道弁を、かっこ悪く恥ずかしい
田舎者の使う言葉だと
思っていたのだと思います。

なので、子どもの私には
北海道弁を使って欲しくなかった
と後から言っていました。

それから数年間は
北海道弁を使うことは恥ずかしいこと
だと思い北海道弁を使うのを
封印してきました。

母は、自分が嫌なことは
私にとっても嫌なことになる
と思い込んでいたようなのです。

そんなことないのにね(^^;

次回は
9.幼稚園児の頃の私 です。


最後まで読んでくださいまして、
ありがとうございました♡

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