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それぞれの Life on the table

昨日の朝、久しぶりの親しい友人から写真とメッセージが届いた。写真には、以前、彼女の家に泊まりにいったとき、手土産に持っていった梅ジャムの瓶がうつっていて、「とても美味しい」という一言が添えられていた。

父が残してくれた札幌の果樹庭には、さくらんぼ、梅、ブラックベリー、ぶどう、柿など様々なものが実る。食べきれないほど採れるので、ジャムやシロップ漬けにして瓶に詰めて友人への贈り物にする。ある時から、瓶詰めを贈るときに「Life on the table」のロゴマークを貼るようになった。ちょっとした、遊び心からだったけど、貼ってみたらすごくしっくりときた。そして、彼女の写真に写っている瓶の蓋にも「Life on the table」のロゴがあった。

私が「喜んでもらえてよかった」と返すと、「このラベル、いいよね。(ジャムを食べながら)まさに、自分の、ひとりひとりの、テーブルの上の、ライフ、だなあと思った」と。父が植えた梅の樹から、私が梅をもいでジャムにして、友人は最近出会った恋人と毎週末、料理して、食事するテーブルで、恋人のいない平日の朝、ジャムをヨーグルトにかけて食べる。彼女は、あなたのジャムも、私の暮らしも、そして私の生命も、そういういろいろなライフが重なるのがいい、と言った。ただ、そのジャムが美味しくてはじめて、思考が広がるんだけどね、と。

「Life on the table」を自分の食の活動の名前にしようと決めて、長い付き合いのデザイナーの友人にロゴマークをつくってとお願いしたとき、彼に伝えたのは「これが私の仕事です、とアピールすることは求めてない。誰かが、あるいは自分が、それをみたときに、ほっと落ち着いたり、はっと気づいたり、お守りみたいに働いてくれたら嬉しい」ということ。気づいたら、その時から、もう5年近くが過ぎていて、今だに「仕事(誰かの役に立ってお金をもらう)」という意味では、ぜんぜん形にできていない自分の不甲斐なさに落ち込むけれど、かつて名前と形に込めた想いが、知らないところでちゃんと働いていたことに、ちょっと励まされる気がした。

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