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食材を生き物としてみる|木

食についての本を紹介しようと思って、木についての本を紹介するのは、少し奇妙に思われるかもしれない、と思いつつ、それでもやっぱり選んでしまったのは、幸田文のその名も「木」という本。

この本は、幸田露伴の次女である著者が、日本中の様々な木に会いに行き、その生き様について、生々しく綴っているエッセイ。例えば、一編目は、北海道のエゾマツの倒木更新のこと。自然林の中で、一本の木が生命を終えて倒れると、倒木の上に乗った種が、一筋開いた空から太陽の光を掴んで芽吹き、一直線上に新しい木々が育っていく。その世代の連鎖をこの目で見たいと、富良野の自然林に見に行く。あるいは、木が切り倒され、材に加工されたあとも、その木が生きてきたその様が、そこに現れるということを、目の前の材を見ながら、宮大工から聞く。

植物は、地球上で唯一、光合成によって太陽のエネルギーを有機物に変えられる生き物で、だからこそ、その他の生き物は植物を起点にした食物連鎖によって、生きながらえていく。私たち人間もその一員で、植物そのものや、その植物を食べた動物を食べることで生きている。もちろん、日々の料理をするときに、目の前の食材が、一体どんな生き物で、どんな生き方をしてきたのかなんて、いちいち考えることはない。でも、ふとしたきっかけで、あるいは食卓を通して誰かに何かを伝えようとするときに、このアスパラは厳しい冬にしっかり土中で準備して、春一番に一気に伸びたんだよな、とか、この長ねぎは冬の寒風も、夏の酷暑も、あの強烈な台風にも耐えてきたんだな、とか、食材がまだ生きていた頃に思いを馳せて、今、自分が感じているこの味わいとのつながりを、見つけたいと思うことがある。

食材を生き物としてとらえて、生きていた時の姿を透かし見るようになったのは、もちろんこの本の影響だけではない。なるべく生物本来の力を生かすような農を営んでいる人の畑を見せてもらい、生物たちの話を聞いたり、その姿を目で見たりしたことも大きい。でもやっぱり、ずいぶん若い頃に出会った、まるで人の生を描くように木々を描いた彼女の視線が、あまりに力強くて、魅力的で、それがずっと私の中に残っているような気が、やっぱりしている。


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