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元番屋のおかみさんと山菜/居酒屋魚元

標津のサーモン科学館のあとは、北上して斜里へ向かった。翌朝はモヨロ貝塚を訪ねる予定だったので、近くまで行っておきたかったのだ。そして、オホーツクのディープな食文化を味わえる場所としてお店を探していたら、友人に紹介されたのおが「魚元」だった。

料理はすべておまかせで一皿200円。山菜、魚介の家庭料理がどんどんでてくる。ホッケの一夜干し、山ウドのドレッシング漬け、鮭ハラス焼き、ツブの煮付け、ワラビの煮物、タコの唐揚げ、ハマボウフウの酢の物、アマドコロのマヨネーズあえ、ジャガイモのバター醤油煮、イクラは好きなだけどうぞ...。久しぶりに「お腹いっぱいで、もう一口も食べられない...」という体験を味わった。どの料理も、もう何千回もつくっているんだろうな、というなんとも落ち着く味わいで、地元の家庭の普段の夕食に突然招かれたような気分を味わえた。

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お腹がいっぱいになったところで、おかみさんといろいろおしゃべりした。おかみさんは、函館の漁師のもとで生まれ育ち、札幌でバスガイドの仕事をしているときに、知床の原生花園を見て、あまりの美しさにここで暮らしたいと移り住んだ。網元の漁師と結婚し、30年以上、番屋で若い衆の食事をつくり続けた。息子が網元を継いだタイミングで番屋のおかみを引退し、元旅館を買い取って、店を開いたという。

おかみさんとの話で、一番印象に残った言葉は、「採った山菜や釣った魚ならば、心置きなく、お腹いっぱい食べさせてあげることができる」という話だった。確かに私たちも、お腹いっぱいになった。そして、食材の多くは、買ったものではない、おかみさんが採ったもの、獲ったものだった。見せてもらった保存倉庫には、そういった食材が、翌年、また採れるころまで食べ続けられるほど、山のように保存されていた。

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そして、それらは決してお店の料理に使われるだけではない。「みんな私が山菜を採ってくるのを楽しみにしてくれてるのよ」。春には、農家にはまだ野菜はないが、みんな植え付けなどの準備で忙しい。だから、おかみさんは採ってきた山菜を農家に届ける。夏になれば、農家では野菜がどんどん穫れる。そうすると、今度は農家が野菜をおかみさんに届けてくれるという。おかみさんの採る山菜を起点に、そういう循環が成立しているのだ。

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おかみさんは、本当に山菜を採るのが好きで、幼少期から、祖母と一緒に採っていたというし、番屋のおかみ時代も、時間をみつけては山菜を採りにいって、食卓に山盛りの山菜料理をのせていたという。数年前、交通事故の後遺症で、立ち上がれなくなったときですら、車で山に行き、四つん這いで山菜を採って、リハビリの代わりにしたんだ、と笑う。おかみさんにとって、山菜を採るということは、本当に生きることそのものなんだ、と心から納得した。

おかみさんは、オホーツクで生まれ育ったわけではないし、どこで暮らそうとも、ずっと山菜を取り続けている、という、それだけなんだろうから、これがオホーツクらしさなのかはわからない。でも、なんというか、オホーツクのスケールの大きさというか、おおらかさみたいなのが、おかみさんのふるまいにも、染み込んでいるような気がした。


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