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きつねうどんのしくみ

とにかく甘めの味付けの料理が苦手だ。母は料理に砂糖をあまり使わなかったから、甘味の薄い家庭で育ったというのもあるし、実家を出たあとに出会って夢中になったイタリア料理も砂糖を使わないので、単純に好みということもあるのかもしれない。

先日、恋人が昼食にきつねうどんをつくってくれた。人生で数えるほどしか食べたことがない料理。もっと甘くしてもよかったかな、と言っていたお揚げさんは、それでも私には甘かった。ただ、関西の食文化の典型みたいなものを苦手と思ってしまうと、ただただ苦手なものが増えていき、一緒に楽しめるものが減ってしまいそうで悲しいので、できるだけ苦手と決めつけずに、もう少し試してみたいと思っていた。

その後、昼時にでかけていたときに、いい感じのうどん屋さんを見つけたので入ってみた。ここぞとばかり、きつねうどんを頼む。

運ばれてきたきつねうどんは、透き通ったきれいなつゆで、旨味たっぷり。みりんの甘さも上品。これは好き。お揚げさんも、同じように薄い色で、この調子なら、そんなに甘くないんじゃないか、と期待しつつ、口に含む。とたんに、しっかり甘い煮汁がじゅわっと染み出す。一瞬、ああ、やっぱりか、とがっくりする。

ただ、先日食べたときと何か印象が違う。もちろん、煮ふくめ方の上手さもあるのだと思うけど、おつゆと煮汁のコントラストが結構はっきりしていることで、味付けよりも、具としての存在感が前にくる。肉感が増すというか。そして、どんぶりの中に、つゆと煮汁という別味の汁が共存していて、それらが交互に口の中に溢れる感じは、実は、ありそうでないような気がする。それによって、シンプルな料理を、あきずに楽しめる。ああ、だからお揚げをしっかり甘くするのね、と自分なりに合点がいった。ただただ甘いわけじゃない、料理を成立させる甘さなんだ、と。

帰ってから、私のきつねうどんについての発見を、嬉々として恋人に話すと「そうやで。この前つくったのも、同じしくみやで」と言われる。いや、やっぱりちょっと違ったんですよ。彼のつくったものも、味としては十分美味しかったとは思うけど、おつゆと煮汁のコントラストの強さという、ほんの少しの違いで、料理の印象が全然変わる。やっぱり、一回苦手と思っても、何度か食べてみるのは大事なことだと思った。ほかの誰かと美味しさを分かち合えるものを減らさないためにも。

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