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教科として教えて欲しいこと⁉️

義務教育を終えてかなりの年月が過ぎて振り返ってみると正直言って義務教育がその時代において相応しい内容だったのか?

時代時代で必要な内容は変化し続けているけど本質的な内容はきちんと理解出来るようにして欲しいと思っています。

わたしの子供の頃は日本が経済的に急成長していて世の中皆中級層でみんな同じくらいなのがいいという風潮だったように思います。なのでみんなが同じくらい勉強出来るのが理想だと言いつつより良い学校に進学してより良い会社⁉️に勤めてより良い収入を得てより良い伴侶を得て子供にも恵まれていくのが一番⁉️って世間一般的な考え方だった気がするけど、それって終身雇用制度が当たり前で結婚したら一生添い遂げることが一般的な考え方だったからだと思います。

一旦就職して辞めたら、結婚して離婚したら、今でいう⁉️負け組❓というラベルを貼られ人生というか人としてダメダメ👎と見られる世の中だった気がします。

子供の頃はそんなことが当たり前で何も疑いもせずに過ごしてきました。途中で挫折を味わうまでは❗️当時はソロバンや習字を習うのが流行っていました。父親は字がとても上手く常に字を綺麗に書くことをわたしに望んできました。が、家族の中でわたしだけが一向に上手く書けずよく父親と口論した記憶があります。わたしは、字が上手く無くてもタイプライターがあるし、そのうち手書きすることが少なくなるって虚勢を張っていました。中学くらいにワープロが世に出て来たので、ワープロを使えるようになればいいやーと。

ちょっと脱線しそうになりましたが、文章力がないのでご了承ください。

何が言いたいんだと思われましたよね。

今も昔も取り巻いてる環境によって必要なものや習っておいたらいいものは変化し続けていると思います。なのでその時代において必要な内容は変わっていった方が良く国際社会になると言われ出した時には、英語が高校から中学、小学校、幼児教育と変遷して来たのは当然だと思います。

今の10代ではダンスが必須みたいですが、昔では考えられませんでした‼️

ただそれなのに何故未だにイジメや差別、偏見が無くならないんだろう⁉️人の本質は何も変わっていないんですよね⁉️

イジメについては周りの多数より1人だけちょっと何かが違うっていうことで、標的❓というか多数派から多数派がより纏まる為❓に共通の敵⁉️として攻めることが人を傷つけることになるって理解出来ていないからだと思います。喧嘩にしても程度問題だと思っています。力加減が分からず行き過ぎると取り返しのつかない状態になるってわたしの子供の頃は素手が当たり前だったので、当然殴られる側も殴る側も痛いし、これ以上はアカンって頭ではなく体で理解していたように思います。

メンタルケアなんて子供の頃は無くてイジメられた側は、大人になったら絶対仕返ししてやる〜って!漫画を読んで素手で敵わないなら武器を手に入れてとかいろいろ考えていたように思うけど実際のところなんやかんやで実行することはありませんでした。

親の世代が戦争を経験していたのもあるのでしょうが、暴力を振るったり道具を使って人を傷つけるなんて悟られたらもう怖いを通り越して命の危険を感じさせられる空気感があって今思うと何がそう感じさせていたのか未だに分からず、イジメのニュースを見るたびに何が昔と違うのか?考えさせられてしまうのです。

命の大切さについての情報というか教育❓が足りないんですかねぇ?

わたしも戦争を知らない世代ですが、阪神大震災・東日本大震災・その他自然災害など不条理に多数の命が奪われる事例に遭遇するたびに心が悲鳴をあげて苦しくなります。

先月TVで震災の特集を見ていて防災を通じて災害時にどうすればいいのか?というところでまだ震災の時生まれていない中学生が親から震災のことを学んで防災をこれから教科として教えてもらいたいって言っていたのが、印象に残っています。

とても衝撃的でした。原因はともあれ義務教育で教科にして欲しいのは、命の大切さを子供の頃からきっちり教育して欲しいと思うことです。教科の名称はなんでもいいんです!防災科でも保健?(人間科)う〜ん なんだろう。

昔は性についてタブー視する風潮があり性教育というのもきっちりしたものはなくて小学生の頃、ある日(女子)だけ理科室に入って今思うとそれが唯一の性教育?だった気がするけど内容は定かではありません。友達から伝え聞き出したら生理についてスライドで勉強してたみたいですが、なんでみんな同じように教えなかったんですかね⁉️現在の教育の中で性についてどのように教えているのかはわかりませんが、いくら時代が変わっても人間(動物、植物その他生き物)は種として生き続ける為に子孫繁栄が本能に組み込まれているので、例え何も教えなくてもすることはするでしょう‼️しかし、いろんな意味で情報過多な世の中では行為そのものだけが興味を引きそれにまつわることが人それぞれ捉え方に格差を生じる要素のように思えるのです。

変にタブー視して教えられなかったら、環境によって犯罪にまで発展する恐れがありますので、子供の頃特に思春期の頃に性について、又命についてしっかりした認識を教育して、その時に生まれてくるのは想像も出来ないくらいの奇跡の連続の結果であるので生きているだけで尊く各々が尊重し合わないといけないという事を徹底して教えるべきだと思っています。

どんな風に生まれてこようが、周りと違う部分があろうが無かろうが、関係ないんです。命そのものが尊いものだと理解出来たら、イジメ?戦争?なんてとんでもない‼️と思うえるんだと思っています。宗教的な要素で起こる戦争はまた違うでしょうが、命の大切さを知ること自体は現代においてよく聞くようになったLGBTなどの性的マイノリティについても理解の許容範囲になるのではないかと考えます。

みんな違うのは当たり前なんです!何故って同じ親から生まれていないでしよ?人と比べること自体おかしな事なんじゃないですか?ある程度は学力と体力は同じような成長するのが理想だと思うけど人それぞれ能力差はあるし、得意なものも違うでしょう!

今やネット社会であらゆる情報がその気になって探せばそこそこ自分が欲しい情報が出てきて昔ではタブーだったものもタブーでは無くなりつつあるようです。世の中も社会も多様性を認めるようになってきている中で人生の芯を教育する科目が必要不可欠な時代だと思っています。

文脈が複雑化してしまい読みづらかったと思いますが、ここまで読んで頂きありがとうございました。個々の問題の根っこを書いたつもりですが、ご意見がありましたらコメント欄に書いて頂けると嬉しいです。


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