あの日を忘れないために、今をていねいに生きる
現在進行形でつづく震災にかかる問題は、「もう終わったもの」とするこの実態は、如何にメディアによってぼくたちが去勢されているかを物語っているのではないか。
1年前の今日、ぼくはnoteにこう現実を表現した。そして、今日、14時46分に1分間の黙祷をささげたうえで、この記事を書いている。
10年前の今日、ぼくは神戸の営業所でデスクワークをしていた。地震が起きていることに気づくのに、注意を払う必要はなかった。長いあいだ、右に左に揺らめく感覚があった。たしか、そのあと15分から20分後に東北で大きな地震があったことをネットニュースで知った。大変なことが起こっていると思った。Twitterでも地震に関する情報が溢れていた。
その日の夜は、後輩と飲みに行く約束をしていて、居酒屋の震災に関するテレビを見ながら、被害の甚大さに心を痛めた。ふたりとも口数は少なく、時折Twitterでのリツイートに明け暮れていた。
ぼくは当時、営業所長として組織開発のコンサルティングに携わっていて、毎月東京で開催される所長会議に参加をしていたのだが、街灯が消された異様な雰囲気の東京駅を今でも覚えている。
それから10年。
この地震によって、震災関連死含む19,729人が亡くなり、2559人が未だ行方不明のままだ。全壊した家は12万戸にのぼり最大で47万人が避難を余儀なくされた。そして、4万人が仮設住宅に住んでいる。
大変な被害にもかかわらず、ぼくたちは喧騒にまぎれて痛ましい事件を忘れてしまう。忘れてしまうのだ。そんなことを想って書いたのが、1年前に書いたnoteの一節だ。
今年は10年という節目ということもあって、メディアも朝から東日本大震災をとりあげた。それに影響された個人の注目も集まり、昨年は閑古鳥が鳴いていた震災関連のツイートが比較的おおく見られる。それ自体はよいことなのだが、結局はメディアが注目しなければ、ぼくたちは気にもしないということを、かえって前景化させてしまったように思う。
では、ぼくたちは忘れないために何ができるのだろうか。忘れずに被災した人たちをつねに気にかけるにはどうすればよいのだろうか。もし忙しなさによって忘れてしまうのなら、ぼくたちはあらためて自分の人生をていねいに生きねばならないのではないか。自分自身の日々の喜怒哀楽に意識を傾けることで、遠く離れた人たちの生活をリアルに想像することができ、感情をともにすることができるのではないか。
あれから10年。
今ぼくはそんなことを考えている。
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