デザインはPervasiveになっていく

Pervasive
[形容詞]
広がる,普及する; しみ通る.

Pervasive

Pervasiveという言葉は、一般生活ではそれほど馴染みがない。
実はデザインの界隈でもあまり出てこなくて、どちらかといえばITの世界で聞くことが多い。
以前は時折Pervasive Computingという言葉を耳にしたように思う。
Pervasiveとは、染み渡るとか浸透するみたいな意味合いを持っていて、Pervasive Computingは有り体に言えば生活や社会のいたるところにコンピューターが浸透していることである。
思想としては最近のものではなく、2000年代初期のユビキタスや、昨今のIoTという言葉もその系譜だ。
最近では、Pervasive AIなんて言葉を耳にすることもあり、今尚でもメジャーな思想の一つのようだ。

しかして、Pervasiveとは、単純に生活や社会の中にコンピューターが”ある”ことではなく、生活や社会の中にコンピューターが”染み込んでいる”ことを意味する。
“ある”コンピューターは、コンピューターの存在を意識させるが、
“染み込んでいる”コンピューターは、コンピューターの存在を意識させない。
Pervasive AIは存在を感じさせないAIが生活や社会、サービスに染み込んでいる姿である。
確かに、ここ数年は生活や社会にどんどんコンピューターが染み込んでいて、一件心地よいプロダクトやサービスが、よくよく掘り下げてみると意外なところでAIの気配を感じることも多い。
人々の生活の中にコンピューターがある時代は終わり、どんどんその存在は溶けて見えなくなり、そして枝葉から根幹に至るまでテクノロジーにすり替わってゆくのだろう。

Pervasive Design

さて、Pervasive Designという言葉を耳にしたことがある人はほとんどいないと思うのだけれど、自分は現代を「デザインがPervasiveになっていく過渡期」だと感じている。
Pervasive Designとは「自分はデザインされていると主張しない、染み込んだデザイン」であり、ある意味でよくデザインされていることもである。

“ある”デザインは、デザインされた痕跡を意識させるが、
“染み込んでいる”デザインは、デザインされた痕跡を意識させない。
例を出すなら、
「ゴテゴテに色がついて、強調されるところがわかり、私はデザインされたものだと主張している資料」ではなく。
「レイアウトも色使いも大人しいが、何故だか読みやすい、よくコントロールされた資料」である。
Pervasive Designはデザインが染み込んでいるという性質上、過度に主張が強くない。シンプルにも似た概念だろう。

Pervasive Design は、物の飽和に対するアンチテーゼ

昨今は、どんどん世の中のデザインがPervasiveになっている。
多分、作り手と受け手それぞれのリテラシー向上を意味する。

我々の先祖こと、かつての作り手は不安だった。
私たちのデザインしたものは、目立っているだろうか。気づいてもらえだろうか?そして何より、”本当にデザインされている”のだろうか?
我々はデザインしているんだよ、ということをどうしても主張せずにはいられなかった。
派手な装飾は自分達がデザインすることを確認するための不安の表れで、 “デザインされている”アピールだ。

同時に、我々の祖先である、かつての受け手はデザインに飢えていた。
それまでにあったのは、デザインされてないものだったから、”デザインされている”ことを良いものだと感じるようになった。
デザインされていないものよりは、デザインされていることを選び、無彩色なものよりは派手なものを選ぶ。

何が理由なのかは知らないが、ここ数年で、世の中のデザインに対するリテラシーが急激に上がっている。
今や基本的に全てのものが、何らかのデザインをされていることを私たちは知っている。
同時に、デザインされたものが溢れ返っているから、”デザインされている”ことだけでは戦えなくなった。
ものが、デザインが飽和したからこそ、「真に良いもの」への回帰が起こっている。

真に良いものと、デザインの”染み込ませ”方

真に良い、というのが何かというのは非常に難しいのだけれど、とりあえず表層だけがデザインされたものではないことは確かだ。
僕自身は「真に良いもの」を、「『何らかの目的 (あるいは何らかの崇高な目的)』を『正確なアプローチ』で実現しているもの」だと考えている。
先ほど例を挙げたように、Pervasive Designとは、「レイアウトも色使いも大人しいが、何故だか読みやすい、よくコントロールされた資料」である。
僕はこれを真に良いものだと思っている。なぜなら、資料としての目的に合致しているからである。
資料の目的とはゴテゴテしていることでも、デザイナーが主張をすることでもない。ただ純粋に、情報を伝えることが目的だ。

だとしたら、どうすれば真に良いもの - 読みやすい資料をデザインできるのだろう?
当然読みやすい資料を作るのには、経験がものをいうのは確かだ、読みやすさ/読みにくさに対する勘所も経験が裏打ちしてくれる。
しかし、それは方法の一部に過ぎず、本質は”ユーザーに寄り添う”ことではないだろうか。

それってUXデザインじゃん

ユーザーに寄り添ってUXがデザインされていることが、Pervasive Designなのだと思う。
UXがきちんとデザインされているから、ユースケースがはっきりしている。
ユースケースがはっきりしているから、デザインに迷わない。
きっとそういうことなのだろう。だから、不安を誤魔化すために装飾をしなくて済む。だから結果として、シンプルな(無駄のない)デザインとなる。

自分はシンプルなデザインが好きなので、デザインはPervasiveになるのは嬉しく思う。
そして多分それは、物とデザインにあふれたこの世の中でも求められているのだろう。
デザインは、Pervasiveになっていく。

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