僕は同性愛者が理解できない / "LGBT"は差別を生む

僕は同性愛者が理解できない

このご時世で知らないのもどうかと思うが解説しておくと、LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを示す単語だ。
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルという単語はたぶんわかるだろう。
トランスジェンダーとは性同一性障害を含む性別越境者。
生まれた時の性別と、自分の性別が違うのではないか、と感じる人たちのことである。

まず、同性愛者とは世の中にどれぐらいいるか?
ある統計によると、男性の10人に1人が同性愛者、女性の20人に1人が同性愛者だ。
例えば40人のクラスを想像する。
そこが男子校なら4人の同性愛者が、女子高なら2人。
男女比が半々の共学なら、3人の同性愛者が存在することになる。
大体の人はそれだけの同性愛者を思いつかないのではないだろうか。
たまたま思いつくならもっと範囲を広げてみよう。
おそらく、それよりずっと少ない数しか知らないはずだ。
偏りがあると見るよりは、統計との齟齬分だけの人が、人に自分を偽っていると考える方が順当だ。

差別や否定を恐れ、本音を隠してる人がそれだけいる。

LGBTの流れを受け、中には嫌悪感を感じる人もいると思う。
ホモは気持ち悪い、とかなんとか。
同性愛は異常だ、理解できないから気持ち悪い。
果ては道徳と人道を持って否定する。
同性愛は生産性がない。神の教えに反している。

彼らがあなたに何をしたというのか。
生理的嫌悪感と、倫理的な判断を一緒にしないでほしい。
気持ち悪いという理由で拒絶し、否定するのは、議論も生まれない。
それは愚者のすることだ。


LGBTは貴方達に害をなす存在ではないし、彼らは偏見に苦しんでいる。
いわれのない偏見や、デリカシーのない無自覚な偏見に。

「僕はホモです」

例えば僕が自分が属する男性コミュニティでそう主張したとしよう。
何が起きるだろう。
明るく受け入れられることはない。これだけは自信を持って言える。
明るく受け入れられることは理想中の理想。無理中の無理みたいなもんだ。
それほどまでに同性愛に対する偏見は強い。
大方、困惑と好奇の表情に、時には侮蔑と恐怖に晒されることになり、差別の温床となる。

「同性愛者ということは、俺のことをそういう目で見ていたのかな」
そういう意見も耳にする。それがいわれのない偏見だ。

異性愛者に対して、同じことを思うだろうか。
「僕はヘテロです(ヘテロセクシャル。異性愛者のことを示す)」
それは"普通"のことであり、
「異性愛者ということは、私のことをそういう目で見ていたのかな」
なんて取り立ててそう思う人は少ない。
マジョリティであるが故に、意識されていないのかもしれない。
だがしかし確実にそこには差があって、ただ単に、異性ではなく同性を好きだったから、というだけで。


運良く彼らがコミュニティに受け入れられた、とする。
受け入れる側にもいろんな人がいるが、
自分はLGBTに偏見がない、と思っている人は特に注意が必要だ。
デリカシーのない無自覚な偏見を持っているかもしれないからだ。
それは好奇という形で表出することが多い。

「昔からの男友達二人が付き合ってることを知って、驚いた。でも自分には偏見とかないし、いろいろ聞いちゃった」という話をたまたま耳にした。

いろいろ聞いちゃった。セックスとかについて。

デリカシーのない無自覚な偏見は、彼らを苦しめる。
そういう疑問が湧くことはわからなくもない。
聞きたいと思う気持ちもわかる。
でも、何故聞く?
それ、昔からの男女の友達が付き合っていることを知ったら、聞く?
気になっても聞かないよね。
ゲイだから、という理由だけで、すぐにそういう話をするのはデリカシーがない。
本当にすごく親しくない限り、しない話題じゃないだろうか。
好奇もまた偏見を生む。
生物学的な性別が男性同士女性同士である以前に、彼らは恋人だ。
恋人同士の営みに対して配慮がなさすぎる。

彼らを取り巻く偏見は他にいくらでもある。
彼らが本当の自分について知られることを恐れ、秘匿するのも無理はない。
同性愛者は自殺企図率が高いと聞く。
同性愛者であるということを隠すというのは、自分を偽るようなもので、
いつまでも自分を偽ってはいられない。


彼らが社会に受け入れられればいいと思う。
多様性を認めることは社会に必要なことだ。
LGBTに限らず。人種や信条も含め。
今のままではいけないというのは、逆の立場になればわかることだ。
彼らには恋人として普通の行為すら認められていない。
手を繋いで街を歩くことが憚られ、家族になれないなら病院で面会を謝絶されることすらある。同性同士という以前に、恋人達なのに。
彼らのために、ぜひとも受け入れられてほしいものだ。

しかし、だ、LGBTが理解できない、というのは間違ったことではない。

昨今の流れを踏まえると、理解できない、なんて言ったら殴られそうだが、
理解できない、ということは間違ったことではない。
逆に最近はこれがおろそかにされていると思う。
嫌悪感を抱くことですら、間違ったことではない。
たとえ頭でわかったとして、感情はそう簡単に変えられないものだ。
何故なら、それは理解しえないものだから。
異性愛者と同性愛者が真に相互理解するというのは無理な話だろう。
理解するとは、彼らが何を考えているのか、事細かにわかることを言うのだ。

僕は同性愛者ではないので、彼らがどんな風に受け入れてほしいのかを知らない。以前、同性愛者にカミングアウトされ、そして告白された時に、
「告白してくれたことはありがたいが、男性と付き合うということを考えたことはなかった。残念ながら付き合えない」と、返したことがある。
そう伝えてくれた彼と、今ではほとんど連絡を取っていないが、その時の僕の返答が彼にとっていい印象であったならよかったと思う。
それとも、彼にとっては絶望的な拒絶だっただろうか。それすらわからない。

LGBTが完全に理解できるのは、きっとLGBTだけだ。
自分はLGBTに理解がある、なんて安易な気持ちでいうのはやめたほうがいい。
今の僕はこれぐらいの理解で生きているけれど、きっとそれも正しくない。
彼らから言わせたら僕も偏見に満ちているかもしれない。

それでも我々は受け入れなくてはいけない。理性と感情は違う。
嫌悪してるからといって拒絶しては、多様性もあったものではない。
理解できなくとも、受け入れることはできる。
彼らも理解を求めているわけではない。でも、受け入れてほしいと思っている。
あなたと同じように、彼らもまた社会の一員であると。

僕は同性愛者が理解できない。僕は異性愛者だから。
でも、共に生きていけたらと思う。


''LGBT"は差別を生む。

日本ではようやくLGBTという単語が周知されてきたぐらいなのに、世界ではLGBTという言葉を廃止する流れも起きている。
何故なら、LGBTは差別用語と見なされることもあるからだ。
前述の文章ではLGBTのことを、ほとんど同性愛者と同義で書いた。
正直すまないと思っている。
悪気はなかったが、LGBTというと同性愛者を連想する人が多いからわかりやすいと思ってそう書いた。

今やLGBTはレズビアンとゲイとバイセクシャルを示す単語に成り果てている。
しかし本来のLGBTとは同性愛者を示す言葉ではない。
LGBTのLとGとBは同性愛者(厳密にはBは両性愛者の頭文字だが)を示す言葉であっても、Tは同性愛者を示す言葉ではない。Tはトランスジェンダーの略だ。

トランスジェンダーを知る前には、
まず、性的指向と性自認(≒性同一性)という言葉を知っておく必要がある。
性的指向は、好きな相手の性。
異性愛、同性愛はこちらを説明する言葉。
性自認は、自分の性別。
性自認は、例えて言うなら、男性が自分の本当の性別は女性だと感じる あるいは逆 のような話だ。

トランスジェンダーとは性自認に関係する。
概略としては「生まれた時の性別と、自分の性別が違うのではないか、と感じる人たち」のこと。
ただし、性別二元論からは逸脱したもので、男性のトランスジェンダーが、必ず「自分は女性である」と思うわけではない。

例えば、
他者に対して性的な欲求を抱かない性別とする「アセクシュアル」(思春期に抱くようなただ単なる性的欲求への嫌悪感ではない)
自分の性別は男女のどちらでもない性別であるとする「Xジェンダー」
自分の性別が何かわからなく模索している「クエスチョニング」
など、分類は様々だ。

LGBTに加え、セクシャルマイノリティという言葉を耳にしたことある人もいるんじゃないだろうか。
日本語に訳せば性的少数者。
異性愛者というマジョリティに対して、同性愛者というマイノリティを示す言葉として使われたりする。
LGBTとセクシャルマイノリティの違いは成り立ちだ。
これは割愛させてもらうが、言葉が指し示しているものにあまり差はない。

性的指向と性自認の組み合わせで、性別は50や100そこらの区別もできる。
少し前のFacebookでは50種類以上の性別を選択することも可能だった(今では完全記入制となったのでもっと自由だ)。
ただ、日本人からするとなかなかハードルが高い。
日本ではまだまだセクシャルマイノリティに関するリテラシーは低く、
世間はようやく最低限の知識を知ったぐらい。

さて。
先程も述べたことだが、"LGBT"はほとんど同性愛者と同義になっている。
同性愛者はセクシャルマイノリティのなかでは圧倒的マジョリティである。
前述のアセクシュアルやXジェンダーのような性別を持つ彼らは、セクシャルマイノリティの中でも、殊更マイノリティだ。

悲しいことに、LGBTが同性愛者を示す言葉として使われている以上、
''LGBT'' はさらなるマイノリティの存在を容認しない否定の言葉となる。

最近はLGBT向けのSNSなんてのもあるらしい。
しかし実態はほとんど同性愛のためのコミュニティとなっていて、
そうでないセクシャルマイノリティ、
つまりトランスジェンダーにとって肩身の狭い場所となっている。

それらを踏まえると、LGBTよりはセクシャルマイノリティを使う方が望ましい。
セクシャルマイノリティに配慮しています、とか。

しかし、セクシャルマイノリティにも問題がある。
まず、長いこと。
LGBTの方が短くわかりやすいから書きやすいだろう。
それから、''マイノリティ''という単語の持つ 、異端さ、被差別感、異常さなど。
例えば身体障害者や精神障害者は社会的に見れば''希少''だが、マイノリティなんて言われない。そんな言い方をすれば差別的と言われるのは間違いないだろう。



ではどうすればよいか。

それが、SOGIだ。


セクシャルマイノリティを受け入れる社会であるなら、
マジョリティとマイノリティのように分けてしまうのではなく、
性的指向と性自認には多様性がある、と説明するのが良い。

SOGI(ソギ)とは、Sexual OrientationとGender Identityの頭文字をとったもので、そのまま「性的指向」と「性自認」を意味している。
LGBTのように特定の人達を示す言葉というよりは、
性的指向と性自認という概念をまとめたものだが、
人類には多様性があることを教えてくれる、いい言葉だと思う。

だから僕は、これからSOGIという単語を広めていきたいと思っている。


いろいろなことを書いたが、正直僕もどこまで正しいかはわからない。
曖昧な理解ではある。
願わくば、あまり間違ってないといいのだけれど。

SOGI以外にもいろんな言葉はあるが、僕が知る中ではSOGIが一番使いやすい。
SOGIはまだまだ新しい概念で、僕が知ったのも1年も前じゃない。
性的指向と性自認に関して、外国から10年遅れてるとされる日本では、まだまだ耳にすることはないだろう。
だけれども、きっとその言葉が必要な人達が居るはずだ。

これから社会の中で、みんながLGBTやセクシャルマイノリティについて興味を持ち、SOGIという言葉が認知されますように。
そして、どんな性的指向と性自認を持つ人達にとっても、生きやすい世界になりますように。

更なる多様性が認められれば、世界はもう少し暖かくなると思う。

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