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共同洗濯室の春夏秋冬 (海外生活の日常バトル)

 スウェーデンという国は、比較的人が少ないためか、ストックホルムなどでは、あちらこちらで著名人に出遭う。

  以前私は、ストックホルムのほぼ中心のマンションに住んでいた。

 近所には、「長くつ下のピッピ」の著者、アストリッド・リンドグレン女史が住んでいた。おそらく彼女がほぼ晩年の頃であるが、数回すれ違ったことがある。

 バス、および電車に乗ると目の前の席には、私でさえ頻繁に、テレビおよび劇場で見掛ける俳優、子供番組のお兄さんなどが一般人と肩を並べて座っている。そして、その有名人は、会社で私の隣に座っていた同僚の親友であったりする。

 自分のマンションに居ても、ふと窓の外を見るとアイドル同士が抱擁していることがあった。「スクープ!」と、いうよりは、人の家の窓の外でやらないで自分の家でやってくれませんか、という感覚である。そして、その(スクープ)を目撃しても、誰も歩調を乱すことなく傍を通り過ぎる。

 アパートの隣にあるカフェでは毎朝、有名なポップ歌手がテラス席に座り、エスプレッソで清々しい朝を始めている。

   スーパーマーケットで陳列物をドミノ倒しにしてしまった時に、収拾するのを助けてくれた紳士がいた。お礼を言おうと顔を上げると、大人気の学術コメディープログラムの司会者であったりと、

 その気になれば、この調子で冗長に執拗に、あと三千文字のエピソードは軽く書けるほどストックホルムの街中は著名人三昧である。この辺で止めておこう。

 著名人を見掛けることが好きな方にとってはストックホルムはパラダイスであろうが、私はスウェーデンの著名人に関しては特別に関心を持っていない。さらに、この国では著名人を見掛けても駆け寄ってサインを求めるというような現象を見掛けたこともない。


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 ある日、同じ建物に、若い女性の歌手が引っ越して来た。

  彼女は歌姫としては非常に人気があるようで、同じ建物のアパートの人たちにも一目置かれていた。

  さらに、彼女は著名な小説家の子孫であるということであった。かの小説家は、日本でもおそらく知らない人はいないであろうと思われるほど世界的に影響力のあった人であった。

 私もその小説家の書くものは好きであったため、その理由のみで、当初は彼女に好感を持った。

  

 以前住んでいたアパートの地下には共同洗濯室があった。

 その地下を友人に披露したところ、黒部峡谷の高熱隧道の内部を彷彿させられると言われたことがある。高熱隧道の動画を見て、なるほど、と共感した。当時の私のマンションは1910年の築であった。
 

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 私はその地下で月に数回洗濯をしていた。

 洗濯室は予約制で、一世帯、一か月四回のみ利用できた。

 うっかりとしていると一か月間の予約で満室になってしまい、席とり競争に負けた月は三週間に一回しか洗濯を出来ない時もあった。子供は育ち盛りの三人である。あまり思い出したくない負の過去である。

  そのような理由で、この限られた洗濯時間を如何に最大限に利用できるかと言うことは、尋常な文化的生活を営むうえにおいて非常に重要な課題であった。

 ある夜私は、自分の持ち時間に、地下の洗濯室に降りて行った。

 洗濯室は鍵も閉められるのであるが、締めにくく開けにくいドアなので、通常私は鍵を閉めてはいなかった。


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  その時間は私の持ち時間であったため、他の人が洗濯室の中にいるということは通常ではあり得なかった。

 また、そのような雰囲気の洗濯室であったため、夜の遅い時間に、そこで不意に他人と遭遇することは、あまり気持ちの良いものではなかった。

 

 しかし、その夜は人がいた。

 くだんの歌手であった。

 彼女は、洗濯機の前に屈んで何かをしていた。

 私は、彼女が一言の挨拶もせず、私の顔面を通り過ぎて、洗濯室から出て行くまで、状況を把握出来ぬまま傍観していた。


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 彼女が出て行ってから洗濯機を見てみると私の洗濯物は放り出されており、洗濯機の中には、代わりに彼女の洗濯物が入っていた。私は時間を勘違いしたのかと、時計を見てみたが、まだ私の持ち時間は一時間も残っていた。

 そして、まだ洗濯機を通していない娘達の服は、床に置いたIKEAの袋の中に山積みになっていた。それを洗濯できるのは早くて次の週となる。その間にも洗濯物は溜まる一方である。

 すなわち、

 くだんの歌手は、他人の予約した洗濯時間に入ってきて、勝手に他人の洗濯物を放り出し、自分の衣服を洗濯し始め、挨拶もお詫びも弁明もなく、その前を通り過ぎて行った、ということになる。

  私の常識範囲では咀嚼できない事象であった。


 理不尽さに憤りは感じたが、同時に、この件は、大騒ぎしても泣き寝入りになるであろうと確信した。ファンの多い歌手、無名の一市民、どちらに勝ち旗が上がるか。

 不条理な話ではあったが、短い人生の貴重な時間を、無為なことに費やしたくはなかった。


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 共同洗濯室では、毎回、大小を問わず、頻繁に事件が発生していた。

 例の歌手の傍若無人ぶりもエスカレートしていた。

 洗濯室における論争が殺人事件に発展したところもあると聞く。去年の二月には、他のマンションで男性が殺害されていた。

 

 ある日、ふと、窓の外を見たら、歌手がトラックにベッドを積んでいた。すなわち、引っ越しをするところであったのだ。

 もう洗濯室、および建物内で嫌がらせをされることもなくなるのだな、という安堵感もあったが、これで話し合う機会も失ってしまったという空虚感もあった。


 スウェーデン人の俳優達と一緒に仕事をしたこともあるが、スタッフの名前を覚えようと努力し、労いの言葉を掛けてくれる俳優もいれば、スタッフを顎で使っていたような俳優もいた。

 著名人達は、それなりに才能もあり、相当な努力もされた方々もいらっしゃるので、尊敬に値する場合も多々ある。

 しかし、有名になるまでの過程においてお世話になった一般人、さらに有名になったあとでも、彼らを支える一般人、およびファンの人々に感謝する初心をいつまでも忘れないで頂けたら有難い。


  たとえ、世界的にはそれほど影響力のない無名の一般人にも、守っていかなければならない小さな日常がある。

 

ご訪問有難うございました。

紹介させていただいた写真は、ストックホルム市旧市街にある地下カフェのうちの二軒でした。洗濯室とは関連がありませんが、最後の二枚は入り口の様子が洗濯室と酷似しております。

最初の四枚のカフェの写真は、700年前には刑務所として使用されていたものです。今回は中には入りませんでしたが、(勇気のある方は)700年前に囚人が幽閉されていた小部屋でコーヒーを頂くことも出来ます。